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建築家、坂 茂の新作を見学した Posted on 2017/06/29 辻 仁成 作家 パリ

建築家、坂 茂がまた面白いものを地上に産み落とした。

この人とはたまに飲む。その時のほわっとした感じが信じられないほど、その設計や建築物は細部に至るまで濃密でゆるぎなく、まさに彼自身の全神経と思想が注ぎ込まれている。

大家になればなるほど設計を弟子に任せる人が多い。グランドデザインは自分でやり、細かいところは弟子がやる感じ。弟子たちに言葉で説明するだけで一切設計しない人もいる。
けれども、坂 茂は全部自分でやらないと気が済まない。
世界各地でこれだけの仕事をやり遂げている建築家には珍しいことではあるまいか。
彼のスタッフがこっそり教えてくれた。

「デザインを考案しているときは誰も近づけないんです。まるで鬼。精密なマシーンのように集中し、描き上げていきます」
 

建築家、坂 茂の新作を見学した

La Seine Musicale
Photo: Didier Boy de la Tour

 
坂 茂がコンペ開始から6年で完成させたこの一大多目的施設は、ルノーの工場があったセーヌ川の中州、セガン島にある。
リュック・ベッソンが映画撮影所を作るという話などもあったが、結局、ここに複合型音楽施設群が出現することになった。そのコンペで勝利したのが坂 茂氏。
信じられないのは、工事が始まったのはわずか3年前のことだ。

最大6千人収容できる多目的ホール、専属オーケストラエリア、いくつかの大ホワイエ空間、屋上庭園、音楽学校、幅45m×高さ18mのハイビジョンLEDスクリーン、太陽光パネルによる船の帆を思わせる巨大発電施設、など様々な顔を持つ施設だが、その中でも一番私の心と目を奪ったのが、1150席のクラシック音楽ホール「オディトリアム」だ。
 

建築家、坂 茂の新作を見学した

La Seine Musicale
Photo: Didier Boy de la Tour

 
まず会場外壁の玉虫色のタイルに驚かされた。
イタリアの職人に作らせ、一枚一枚手ではめ込んだというタイル壁。

真正面から見ると深緑色なのに斜めからのぞき込むと赤茶色に変化する。
非常に繊細で手の込んだ、まさにアルティザン(職人)の仕事である。
 

建築家、坂 茂の新作を見学した

 
ホールはヴィンヤード型で、客席がぐるっと舞台を取り囲んでいる。演者と観客の距離感がない。
指揮棒を振る指揮者の顔を見続けることも出来る。
 

建築家、坂 茂の新作を見学した

 
何より圧巻なのは天井である。
見上げると、916個の六角形の木製フレームが大きく波打っている。
木製フレームには輪切りにされた4種類のサイズの異なる耐火性紙管が使われている。よく見ると、硬い天井の手前にこの六角形の木製フレームが配置されている。
本来の硬い天井に反射した音が紙管を透過する時、絶妙の音響効果を生み出すのだとか。
紙管の中に照明までが隠しこまれており、通常の劇場にありがちなバトンが一切見当たらない。

アメリカやイギリスのレコーディングスタジオで録音を何度か経験したことのある私は、ホールの任意のポイントで手を叩き、反響テストをやってみた。
どの位置でも一つ一つの音がバランスよくおどろくほど明瞭に聞こえる。この反響はクラシック音楽に最適であろう。

オディトリアムの内壁は同一のモジュールの波形合板で構成されている。
大半は反響用の硬い波形合板がずれて重ねられており、打っては返す波のように見える。別の場所には網代のように編んだ内壁も存在する。
これら内壁や天井の工夫、椅子の配置によって、どの席に座ってもほぼ同一の音を体現できるという仕組みだ。

この会場での実績は今後、演者たちによって語り継がれることになるのであろう。
 

建築家、坂 茂の新作を見学した

 
この中洲に建てられたこれらの施設の総称はラ・セーヌ・ミュジカルである。
まさに音楽のためのステージにふさわしい名前。セーヌ川を下る巨大音楽クルーズ客船といえる。
最前方に立つとまさに船の舳先に立ったような気持ちになる。帆の形をした太陽発電施設がブリッジにあたるのか。
セーヌ川を移動する音楽のためのクルーズ客船というイメージは実におしゃれだ。
 

建築家、坂 茂の新作を見学した

La Seine Musicale
Photo: Didier Boy de la Tour

 
坂 茂はいつ眠るのだろう。
彼は隔週で東京とパリを往復している。その忙しい時間の合間に私たちはパリで落ち合い、盃を交し合う。世界に誇る日本の建築家である。私は彼と知り合いであることを誇りたい。

坂氏から刷り上がったばかりの本を手渡された。
「SHIGERU BAN 坂 茂の建築」(TOTO出版刊)という本だ。

彼がこれまで手掛けてきた数々の建築物が体形的に示されている。まさに、まるごと一冊、坂 茂という内容である。

震災によって崩壊した街に仮設住宅を作るため世界中を飛び回る。そのボランティア精神には常々頭が下がる。
同時に「ラ・セーヌ・ミュジカル」のような大規模建築物を世界に刻み込んでいく。まるで神のような人だ。

きっとまた来年あたり、不意に新しい建築物をこの地球上に生み落とし私を驚かせるに違いない。
 

建築家、坂 茂の新作を見学した