JINSEI STORIES

滞仏日記「今日は母さんと久々に会って、恭子節炸裂な夏の一日であった」 Posted on 2022/07/06   

某月某日、三四郎も元気そうで何よりであった。
そうこうしているうちに、父ちゃんは福岡入り、3年か4年ぶりに母さんに会ったのであーる。母さん、いつの間にか、87歳になっていて、びっくりぽん。でも、相変わらずの恭子節炸裂で、元気なのであったぁ。
「どうも、ご無沙汰しております。お母さま、お元気でしょうか?」
母さんは複雑な表情をしながら、
「こんなに生きてしまっていいのでしょうか?」
と言うのであった。
なので、もちろんですよ、そんなこと言わないでよ、と弟と二人で言ったら、
「そうなのね、ありがとう。じゃあ、写真でも撮りましょうか」
ということになり、
「恒ちゃん、えりとか髪型とかちゃんとなっているの? 顔大丈夫?」
と自分のジャケットや顔色を気にし始めた。
「こんなに生きてしまっていいのでしょうか?」というわりには、めっちゃ前向きな母さんであった。マスクの痕が顔についているけど、と指摘すると、顔を叩いて、
「ほら、こうやるとなくなるでしょ、便利よね。パンパンパン」
と言ったので、覗くと、あらら、マジで、皺がない! なにこの皮膚の蘇生率!
どうなってるの? なにやっているの、この87歳なのであーる。
「恭子百まで」
と弟の恒久が言った。
「ばいー」
と母さんが言った。ばいー、というのは、福岡の方言で、驚きの表現というか、「そんなー」みたいなのかな。(間違えていたらすいません)母さんが筑後の出身だから、ちっご弁かもしれない。ばいーは、「いー」にアクセント、

滞仏日記「今日は母さんと久々に会って、恭子節炸裂な夏の一日であった」

キャナルシティ博多にこういう人がいました。似てる・・・。



「ばいー、百までも生きたら、もう、忙しくて、あんた、大変になるったいね」
「兄貴、母さんは87歳なのに、まだ杖も使わないで3階まで階段の昇り降りされてらっしゃるとよ」と兄弟して、母に敬語・・・。
「まじか」
「うん、生徒さんたちは一回り下の方が多いけど、杖をついていらっしゃる方が多い」
「ほえー」
「ばいー」と母さん。
「ほえー」とぼく
「ばいー」と母さん
うるさい親子であった。
「私はこんなに元気で、生きていてもよかとでしょうか?」
「ばいー」とぼく。
堂々巡りの相変わらず、お笑いな辻一家であった。
「あ、お兄ちゃん、忘れるところやったたい」
と母さんが鞄から大きなパンフレットのようなものを取り出した。戸塚刺繍協会の会報のようである。
「31ページよ」
と指さして、恭子が言うので、開いてみると、見開きで母さんのエッセイが掲載されているではないか?
「ばいー」とぼく。
「あんたのことを書いたとよ。私が書いたったい。こんな私だけど、まだ生きておってもいいとやろうか?」
あはは。うるさか、一回でよろし・・・。
「はよ、読みなさい。もう読んだ? ちゃんと読んだとか? 噛みしめて、読んだとか? 87歳のエッセイを」
「読みました。感動しました」
「ばいー、そげなこつ言うてもなんもでてこんばい」
終わりのない応酬の辻家であった。あはは・・・。

滞仏日記「今日は母さんと久々に会って、恭子節炸裂な夏の一日であった」

滞仏日記「今日は母さんと久々に会って、恭子節炸裂な夏の一日であった」

滞仏日記「今日は母さんと久々に会って、恭子節炸裂な夏の一日であった」



「あの、辻さんですか?」
女将さんにそう言われたので、はい、お邪魔しております、と告げると、
「お父様がここに良く来られとったとですよ。あなたのお父さんが」
と言うではないか、ばいー、おったまげた三人であった。
「辻信一がですか? ほんとうですか?」
「わたしはあの人にここに一度も連れて来てもらったこつがなかったい」
と母さんが反論・・・。やれやれ。
「ええ、うちの父がみずま高校の幹事をやっておりまして、よく来んしゃったとです」
おお、霊感辻家であった。出たな、信一。
すると、母さんが、話題をかえた。ふー。
「あんたね、忙しかとやろ。でも、博多に来たなら、ほとけさんの前で手だけはあわせていけっちゅうこったい」
と言うのである。
その通りである。息子も大学に合格したことだし、本も売れているし、先祖様に感謝をしないわけにはいかんばい。
「十斗が合格しましたよ」
ぼくは小さく手を合わせるのであった~。

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございました。

滞仏日記「今日は母さんと久々に会って、恭子節炸裂な夏の一日であった」



東京、羽田で携帯がauだからか、わかりませんが、4Gを拾えず、PCR検査のアプリ画面が表示されなくなって、出口を塞いで半泣きの父ちゃん。なんとか空港Wi-Fiに接続し、ようやく外に出ることが出来たが、冒頭から大騒ぎとなる。しかも、出たら出たで、はじめて会った「ボンジュール、パリごはん」のディレクター義和氏に携帯のせいでデータ送信(シャルル・ド・ゴール空港の自撮り映像)がうまくいかず、半泣き継続、小一時間も立ち往生したあげく、結局、時間がかかり過ぎ、義和しゃんが一日だけWi-Fi契約することになり、やっとなんとか電送が終わったという次第であった。そういうタイミングで、「辻さん、お荷物になるとは思いますが」と義和さんがなぜか扇風機をくれて、それがなんだか知らないけれど、やたら重くて、荷物も重く、パソコンも二台抱えているので、三つの荷物にパニック~!!!義和の善意を無にできない上に、暑いしテンパりつつも、荷物を三つもかかえて羽田空港で右往左往していた父ちゃんなのであーる。するとそこに、辻さんですかぁ、と日仏のご家族が出現、「いつも読んでます、デザインストーリーズ」と言われたので、これは助かった、と国内線乗り場に行く方法を訊いたぁ・・・。モノレール乗り場を教えてもらい、生まれて初めて、モノレールの改札を潜ることもできた、えへへ。なんとか、博多にたどり着いたのだけど、auは復活せずauショップに何回も足を運んで、結局、他の携帯会社に乗り換えることになって、今に至っている。ふー。今日のツイートは数が少なかった、残念無念。ま、義和氏の扇風機はうだるような暑さの福岡で役立つかもしれない、よくわからない、ということをつけ足しておきたい。
毎回、大騒動を持ち込む父ちゃんであった。
ということで、今日のお知らせです。
新刊「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」は発売中。
そんな父ちゃん、7月28日に、都内某所からオンライン小説講演会を開催させて頂きます。一度は小説を書いてみたいなぁ、小説憧れるなぁ、書きたい、と思われる皆さんを対象にした講演会です。(抽選で40名の皆さんを現地にご招待します)小説教室の導入的な、ぼくがどうやって小説家になったのか、作家になるまでのいろいろ、そして、ちょっと小説の書き方のヒントなど、をさらけ出したいと思っております。
詳しくは下の地球カレッジバナーをクリックくださいませ。良い一日を。

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