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滞仏日記「親に会えない日にこそ親のありがたみを思う」 Posted on 2019/04/16 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、日本滞在中もパリに残した息子のことでいろいろな方々と話し合いをしている。僕がどんなに忙しくてもそれは親としてやらなければならないことだ。学校から毎日のように様々なメッセージが届く。ロケハン中なのに、その長い手紙にいちいち目を通している。だいたいはどうでもいいことなのだけど、時々、とっても重要なお知らせが混ざっていたりするので、面倒くさいけど、辞書を片手に読みほどかなければならない。ふと、自分の親のことを思った。こうやって博多にいるのに(スケジュールがびっしりで)僕は実家に立ち寄ることができない。そればかりか父親の13回忌の法事さえ出席できなかった。僕が博多に入った日の朝に法事があったが、知らされたのが直前で、動かせない仕事が入っていた。もう少し早く教えてくれれば、と弟に小言を言ったが、親戚のスケジュールなどがあり、調整が難しかったのだろう。いつも家のこと、母のことを任せっきりの弟を責めるのは筋違いだ。親戚の方々にも申し訳ないので、何も言えずにいる。それどころか、ロケハンがびっしりで仏壇に手を合わせることさえできない。今日はロケハンで博多中を歩いた。iphoneの万歩計を見ると18000歩と出ている。若いスタッフはもっと歩いているだろうから、休ませろ、とも言えない。本当に親不孝な息子だと思う。弟や親せきにも頭が上がらない。忙しいという字は心を亡くすと書くが、本当である。

自分の息子にいつか同じ目にあわされるに違いない。でも、親というのはそれを許す生き物なのであろう。だから、母さんはきっと「仁成、まずは自分の身体を大事にしておくれ。いつでも元気な時に立ち寄ってくれればいいから」と言うに決まっている。決まっているから子供は甘えるのであろう。子供は甘えていいのだ、と昔、母さんが言った。

今回の映画のスタッフに実は弟が参加している。彼はこの作品の福岡での広報の仕事をしている。今朝からずっと一緒だった。ロケハンの合間に「恒ちゃん、30分、あきそうだから、実家に行かなきゃね」と小さく告げると、弟が、「倒れるからやめた方がいい。そういうの母さんは望まない」と言った。有難い言葉にすがるようにして、逃げるしかなかった。「じゃあ、明日の朝、ロケハンが始まる前に母さんとどこかでご飯とかできるかな」と提案をした。先ほど、弟から連絡があり、「母さんはちょっとでも会いたいみたい。どんなに朝早くだろうと」とのことだった。

どうしても渡したいものがあった。それは母さんへのお土産のチョコレートだった。僕が大好きなショコラティエ、ジャック・ジュナンのギモーブ。ギモーブとはマシュマロのことである。マシュマロにミルクチョコレートをコーティングした、実に美味しいお菓子だ。ものすごく柔らかいので高齢の母さんにはちょうどいい。で、カバンの中から取り出してみたら、買って一週間以上過ぎているので、あるいは熱のせいでか、ちょっと白っぽくなっていた。福岡に入った日に渡すべきだった。これもついでに許してもらうしかない。父さんには何もないから、ロケハンの合間に中州の国廣神社で祈ることにする。
 

滞仏日記「親に会えない日にこそ親のありがたみを思う」