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滞仏日記「人生とは、八転八起」 Posted on 2019/02/02 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、今年初めての東京、光りが眩く神々しい。パリと同じくらいの寒さだ。僕は夏よりも冬の方が好きなのでこの冷たい空気を喜んでいる。東京の光りはパリのそれよりもさらさらとしており、適切な言葉かどうかわからないけれど、澄んでいる。僕は東京生まれなのでここが生まれ故郷ということになるけれど、ここは今も昔も何も変わらない。建物は変化しているのだけど、この街の本質は変化していない。非常に霊力の強い都市だと思う。悪い意味じゃなく、先祖と深く繋がっている街という意味だ。パリはどうだろう、あそこで生まれてないので、僕と息子とではパリへの考え方も思いも異なる。しかし、あれほどの歴史がありながらあの街は日本のような霊力を感じない。(きっとパリの方が気を遣って、僕が日本人だからあまり驚かせてはいけないと遠慮しているのに違いない)。そういえば、フランス人の幽霊というのを見たことがない。あの人たちはそもそもあまり怨念のない人たちだから、死んだらさっさと別の世界に我先にと旅立ってしまうのだろう。だからカタコンベなんてものがあっても観光スポットになりうるのかもしれない。日本は先祖とのつながりがとても強いせいもあって、この清澄な空気を肺にとどめるだけで時を超えていく不思議な歴史的思考の振動を覚える。外国生活が長いからだろうが、この違いは外で暮らさなければわからないことかもしれない。

都内に立つといつも何か言葉が心に降りてくる。今日は八転八起という言葉だった。これは子供の頃に七転び八起きについて考えているうちに僕が辿り着いた人生の在り方、佇み方の一つ。七転び八起きと七転八起とは同じ意味で扱われるが個人的には違うと思っている。七転八起は状況を説明する場合にも使うので、ポジティブに遣いたければ七転び八起きの方が現在を励ます言葉としてはふさわしい。ところで、七回転んだのならば七回起きるのが普通だが、この諺の素晴らしいところは(諸説あるけれど)人間が生まれた時に起き上がることを一度目として換算しているところであろう。今を生きる我々には、七転び八起きがもっとも納得できる言い方かもしれない。しかし、いずれ人間が死んだ時にはもう一度転ぶ(寝るということ)じゃないか、と思ったひねくれもの辻少年は「最終的に人生は八転八起なのだ」と結論づけた。これは八回転んで八回起きればいいという意味ではない。赤ん坊が立ち上がって、その赤ん坊が人生を全うしてこの世を去るまでの人生にはいろいろなことがある、という意味だと思ってもらえたらいい。ポジティブな意味は一切ない。でも、与えられた人生を八転八起だと思うことで生きることの尺度がわかり、与えられた意味を深めることが出来、その時々で真剣に人生に向かうことが出来る。人間は毎回、起き上がる必要はない、と僕は思って生きている。七転び八起きじゃなく、七転び一度寝てからの八起きくらいがちょうどいい。落ち込んだら、すぐに起き上がらず、倒れた野原の上で大の字になってちょっと頭を冷やしてから、ゆっくり起き上がれという意味に僕は変換して遣っている。その上での八転八起の人生なのだ、ということであろう。正確には八起八転ということになるが、どちらでもいい。すべては言葉の綾なのだから。まこと言葉とは巧みなものである。けれども、その言葉の中にはコトダマ(言霊)が宿っている。特に日本語の中には。そんなことを初日、東京で考えた。
明日はライブなので今夜は飲みに出かけず、大人しくしている。東京はインフルエンザが過去最高に流行しているのだそうだ。こんなタイミングでかかるわけにはいくまい。宿の巣作りをしてから、友達の家に預けた息子に短いメッセージを送った。「東京は元気そうだ。お前も頑張れ」と。父ちゃんも頑張る、自分のために。
 

滞仏日記「人生とは、八転八起」