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滞仏日記「人生は一字一句」 Posted on 2019/02/12   

 
某月某日、新作小説の出版に向けてゲラの直しが続いている。本のタイトルは「愛情漂流」。前作「真夜中の子供」は戸籍のない少年を支える博多・中州の人々の人情を描いたヒューマンタッチの作品だったが、今度のはどまん中の恋愛小説に仕上がった。系譜で言えば「サヨナライツカ」が近いかもしれない。100パーセント恋愛の話だけど、20年前に書いた「サヨナライツカ」とはおそらく全く異なる愛の問題が主題、愛情を漂流する2組の若い夫婦の物語だ。僕はこの作品を書くにあたって、風景描写をほぼ描かないで、心理描写のみで構成する小説というものを企んだ。この4人の登場人物たちの心理描写だけで最後まで一気に読ませる。サスペンスの要素もあるけれど、事件が起こるわけじゃない。人間の心理が打ち寄せる波のように交互に岸辺を濡らしていく。風景描写はほとんどないけれど、読み進むうちに読者の心にそれぞれの風景が滲んでくる仕組み。はじめての試みだったけれど、ゲラを読み返した時に、うまく機能出来たと満足を覚えた。

編集者が第一読者になるわけだけれど、今回は竹書房の竹村響が担当で、彼がなんと反応するか、が楽しみだった。彼は30代のまだ若い編集者だけれど、その背後に大勢の読者がいるはずだと思って書いた。感想が届く瞬間はいつもドキドキする。「どんぴしゃ今の時代の話で、僕たちが読みたかった小説です」という有難い言葉を貰った。しかし、今の時代というものをことさら意識して書いたわけじゃない。僕はじっと時代を見つめてきた。ある日、僕の中にこの4人が出現するのだが、もちろん、産んだのは僕だけど、彼らは升目の中で自ら成長をはじめる。僕は街角のカフェから彼らをいつも目撃していた作家に過ぎない。時に俯き、時に言い合い、時に愛し、時に抱き合っている彼ら彼女らを、通りすがりに振り返った一作家に過ぎない。彼らのやり取りが聞こえてきて、彼らの物語が動き出し、作家は実った果実をもぎ取る農夫のように、それぞれの物語を一つ一つ丁寧に収穫した。

愛情漂流というタイトルは確かに今の時代にふさわしいタイトルだと思った。竹村響に打ち明けると、それがいい、と目を大きく見開いて同意した。彼は彼女の海原をずっと漂流している。彼女も彼の海原を漂流している。それがどこに漂着するのか、そこがこの作品の一番重要な主題かもしれない。

ゲラに書き込まれた校閲さんや編集者さんの初校直しの鉛筆文字を作家は一つ一つ検証していく。赤を入れる、というけれど、実際は鉛筆で書かれてある。僕を驚かせるような問題はほぼなかった。この後、ゲラを戻し、三月頭くらいに再校が届く。その後、三校、念校があるかもしれないけれど、僕の場合、原稿を渡した後、大幅に加筆訂正をするようなことはしない。完成形に近いものを(その前に推敲を百回くらいやってから)出来るだけ渡すよう心がけている。それでも文字の統一などしきれていない箇所を校閲さんがチェックしてくださる。頭が下がる。(作家によってはゲラになったところからどんどん加筆していく人もいる)今回の校閲さんも丁寧で冷静な腕のある方であった。校閲の人と会うことはないけれど、なんというのか、その方々が作業場で丁寧に作業をしてくださっている様子が目に浮かぶ。僕はそういうゲラに心を落とす時間が大好きかもしれない。校了が待ち遠しい。
 

滞仏日記「人生は一字一句」