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滞仏日記「幸せになるために誰にでも出来る方法」 Posted on 2019/03/08 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、幸せとはなんだろう? なんで人は大きな幸せのことばかり語りたがるのだろう。お金持ちになった、試験に受かった、作品がヒットした、というのは本当に素晴らしいことだけど、それを毎日手に入れることは難しい。僕はそういう人生の大ヒットのようなことは神様のギフトだと思って、幸せにはカウントしない。で、今日はたくさん幸せを感じたので、ここにそのことを列挙してみたい。僕が思う幸せというのは本当に小さな、どうでもいいようなことばかりだ。けれども、僕は今、そのささやかな幸せを人生の一番中心に据えることが出来て幸せなのだ。そうだ、幸せである。息子の部屋からピアノの音が聞こえてくる。これはたぶんショパンだろう。この静かな音が僕を幸せにさせる。上の階のアシュバル君4歳が走り回っている。その足音の歩幅が僕を幸せにさせる。彼が元気であることが何よりだからだ。そして、今日は知り合いからいただいた田麩(デンブ)があったので息子に「のり弁」を作ってあげた。なぜかわからないが、この大阪の神宋(かんそう)という会社の鰹田麩はプラスティックのケースに入っている。切り取り線に従って二か所を切って取り出す。するとそのプラスティックのケースがクリアファイルになるという仕組みだ。もう、その瞬間、僕は幸せになった。田麩からクリアファイルという繋がりに思わず笑みがこぼれた。そして、出来たのり弁を食べてその鰹田麩の美味さにまたまた幸せになった。海苔と田麩と白ご飯、こんなに幸せになれるんだ、と思って、また幸せになり、そのクリアファイルに領収書を仕舞って、さらに幸せになることが出来た。なんて素晴らしい一日じゃないか!
 

滞仏日記「幸せになるために誰にでも出来る方法」

滞仏日記「幸せになるために誰にでも出来る方法」

午後、ピアノのエリック・モンティニーとクラリネットのツツイカオリがやって来て、食堂でライブの練習をやった。スティングが歌うレオンの主題歌をジャズ風にアレンジして三人で演奏をした。小さなライブのための練習なのだけど、僕はこの二人が好きだ。人を押しのけない性格、そしてミュージシャン特有の優しさがある。彼らと一緒に音を出すと僕は幸せで満たされてしまう。好きな音楽に包まれて、なんとも幸せな時間であった。練習の後、馴染みのベトナム料理店に行き、そこでご主人が作った料理を食べてちょっとワインを飲んだ。息子も一緒だった。息子がエリックにピアノを習うことになった。それは彼にとってきっと人生を彩る素晴らしい経験になるはずだ。いいな、と思った。エリックはいつも微笑んでいて、怒ることが滅多にない。僕とは正反対の性格だからこそ、気があうのだろう。カオリさんのクラリネットは彼女のように背筋が伸びていて凛々しい。三人でライブが出来ることが待ち遠しい。こういう小さな幸せが僕の今日を構成している。僕はその一つ一つをかき集めて今日が素晴らしかったと結論付けることが出来た。

最近、僕はこのような小さな幸せを拾うようにかき集めては大事にしている。毎日、小さな幸せを発見しては今日も良い一日じゃないか、と思うようにしている。コツコツ人生を進むこのような小さな幸せが僕の心の大きな支えになっている。これらの幸せを集めて僕は人生全体を決めたいと思っている。ささやかな幸せを見逃さないことが人生を豊かにする。勝利なんかいらない。人生を全うすることが人間の大事な使命だと思う。そのために、毎日を大事に生きることだと僕は思っている。急がず、おごらず、慌てず、一つ一つである。いい一日だった。日記に記しておこう。
 

滞仏日記「幸せになるために誰にでも出来る方法」