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滞仏日記「日仏文学を繋ぐ」 Posted on 2018/12/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日は日本から若い知り合いが遊びに来たので行きつけのレストランに連れて行った。とっても仲のいい友人だから喜んで出かけて行ったが、不意に知り合いから、しかも当日いきなり「今パリです」という連絡が舞い込むこともある。「今、パリ」と言われても、実は困る。何かあれば異国にやって来た知人を助けてあげたいと思うのだけれど、身体は一つだし日々子育てに追われており、当日いきなりというのはなかなか動けない。

国際交流基金の安藤理事長から電話が入ったのは先月のことで、「辻さん、今よろしいですか」と切り出されたのは現在フランスのあちこちでやっている『ジャポニスム2018』の一環としてパリで日本文学のイベントをやりたいという申し出であった。今年はフランスにおける日本年なので演劇や映画、アートと様々な催しものがパリ各地で開催されている。「文学だけがなかったので、なんとか実現したい」という強いご要望だ。17年もこの地で生きてきた日本人作家として何かお役に立てればと思って引き受けたのはいいが実際動き出してみるとこれが想像を超えて大変な仕事となった。作家やスタッフの選出、会場探し、全体のオーガナイズ・・・。しかもやりとりは苦手なフランス語である。今日、会場となるホテルの下見をした。マドレーヌにある歴史的なホテルで、メイン会場もシンポジウムが行われる会議場も想像以上に素晴らしかった。きっと日仏文化を繋ぐ小さいけれど重要なイベントになることだろう。日本作家もフランスの作家も実力ある方々の名前があがってきた。実現まであとひと月とちょっとだが、なんとか間に合いそうだ。それにしてもパリにいるというだけで次から次にいろいろな話が舞い込んでくる。それだけここは影響力のある都市ということであろう。

日本作家・思想家で、ここパリで長く住んだ人といえば真っ先に思い出すのは思想家の森有正氏であろうか。彼は1950年からパリで暮らしている。彼のエッセー集は当時の日本の文化人がこの地でどのような文化交流をしていたのかを知る上でとっても重要な文献だ。1950年代と言えば、僕が1959年生まれだから、60年以上も前のことになる。当時の日本の学者や思想家たちがすでにここパリで今とあまり変わらない感じで暮らしている様子などを読むと驚かされる。もし、森さんが生きていたら当時のことを語ってもらいたかった。

ここまで書いたところで「パパ、たった今、ストラスブールでテロがあったみたいだよ」と息子が仕事場に飛んで来て言った。またか、と悲しくなった。犯人は逃走中だそうである。ジレ・ジョーヌの暴動にしろ、相次ぐテロにしろ、なぜか今、クリスマスを前に世界中の人たちがフランスのことを心配している。ジレ・ジョーヌのデモ暴動による観光経済への打撃は計り知れない。そのタイミングでのテロだ。ここはチャンスとばかり政権にゆさぶりをかけたいのであろう。けれども、これが今のフランスなのかもしれない。
 

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