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滞仏日記「マルシェに行こう。腹いっぱいの幸福のために」 Posted on 2019/01/12 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、食材がなくなったので行きつけの市場まで買い物に出かける。もう15年くらいの付き合いになる。この5年ほどは毎週欠かさず通っている。200メートルくらいの幅広の遊歩道に二列にずらりと小さな店舗が並んでいる。八百屋は10軒くらい、魚屋は5、6軒、肉屋もそのくらいかな、アンティーク屋、下着屋、陶器屋、ワイン屋、パン屋、チーズ屋、何でも揃う。冬の時期になると、牡蠣屋さんとかキノコ屋さんなども出店している。行きつけのマルシェの中でさらにお気に入りの八百屋はカンボジア人が経営していて、とにかく安い。大きなビニール袋いっぱいの各種野菜を買い込んでも4ユーロ、500円くらい、お気に入りの魚屋はブルターニュから大量の魚を仕入れて届けてくれるのだけど、ここも驚くほどに安い。例えば日本では高級なラングスティン(手長エビ)が1キロで14ユーロなのだ。肉屋も驚くほどに安い。鴨肉が400g、10ユーロ。大量の食材(4,5日分)をまとめ買いするのだけど、1万円を超えることはない。
 

滞仏日記「マルシェに行こう。腹いっぱいの幸福のために」

 
ただし、お気に入りの魚屋は朝の8時から長蛇の列になり、11時頃にはもう何も残ってない。店舗も普通の店の倍は広く、働いている人も十人くらい。列に並んで10分から15分は毎度待たされる。自分の番になると、店員さんが「お客さんの番かな?」と指をさしてくる。「ウイウイウイ」と合図を送る。「何にしましょう?」「今日はまずそのスズキを」と指さす。養殖物は安いけど、漁師が釣った5~60センチの大きな野性のスズキは信じられないくらいに美味いのでそっちを買う。だいたいお刺身とかカルパッチョにするけど、家に帰ったらすぐに処理して、僕の場合、昆布茶を振りかけてサランラップで包み、冷蔵庫で半日から一晩寝かせてからオリーブオイルと自家製のオレンジ塩で食べる。最高である。マグロがあれば分厚いのを二切れ、あと鱈はぶっとい背肉、これも5~60センチはあるかな、を一本買う。この季節は鱈ちり鍋にする。ホイルで包んでバターとかワインとかでオーブン焼きにするのも美味い。アサリに似た貝も一キロほど買う。これは砂抜きをしてボンゴレに。エビはボイルしてあるのでそのまま剥いて食べることが出来る。ビュロと呼ばれる巻貝が人気で、食前にこれをワインのつまみとして食べるのがフランス流だ。爪楊枝(こちらにも存在する)などで刺してくるんと引っ張り出し、マヨネーズにつけてくらいつく。コリコリとした触感がたまらない。白ワインとの相性は抜群だ。他に、サバ、イワシ、ホタテ、ロット、ロットとはアンコウのことだけど、もちろん、アンコウ鍋にする。焼いても美味い。とにかく安いので大量に買って帰り、週末はだいたい魚料理が中心となる。火曜日くらいから金曜日くらいまでは肉デーに変わる。肉屋はどこの地区にもそれなりにいい店がある。

顔馴染みの店の人たちとは長い付き合いなのでみんな笑顔で挨拶してくれるし、時間のある時は立ち話もする。いろいろな情報、ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト運動のデモ隊)のことや、天候のこと、新しい法律についてや、政治のことなどの情報を仕入れる。マルシェは食材を売るだけじゃなく、僕にとっては生活の上での情報源となる。そうそう、最近、燻製屋さんを見つけた。彼らはポーランド人だが、様々な魚、(サーモンがメインかな)をかなり上等な燻製に仕上げている。ほぐして炊き立ての白ご飯の上にまぶし、さっと醤油をかけてかっこむのだけど、これが、ほほほ、笑みが溢れるほどに美味い。ここの最高の燻製は400g程度で800円程と信じられないくらいに安い。市場のおかげで僕ら親子は贅沢な日々を過ごすことが出来ている。ちょっと人生に行き詰った時、マルシェを歩くだけでも気分が晴れる。ボンジュール、ムッシュ、とあちこちから笑顔と声が飛び交う。ランディス(日本の豊洲市場)まで行かなくても向こうから自分たちの街までやって来てくれるのだから、素晴らしい文化じゃないか。世界中を旅する時、必ずその土地のマルシェに行く。土地の食文化に触れることがまずはその国を理解する上で一番の方法だからだ。今日、使ったお金は5000円程度(上手な買い物が出来た)、これで息子と二人の約4,5日分の食材になる。日本より物価の高いフランスでマルシェは強い味方なのである。
 

滞仏日記「マルシェに行こう。腹いっぱいの幸福のために」