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滞仏日記「息子の15歳の誕生日に思うこと」 Posted on 2019/01/14 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、ついに息子が今日、15歳になった。15歳を記念して身長を測ってみたところ172センチ、体重は70キロだった。外見も内面も立派になったと思う。バレーボール部のキャプテンで、成績もまあまあ、志望高校への入学も決まったし、もちろん、彼の人生は彼が望むと望まないとに限らず順風満帆ではなかったけれど、それなりのレールの上を歩くことができてきているのじゃないか。父親としてホっとしている。もちろん、この後、中学卒業試験(ブルベ)があり、高校生卒業試験(バカロレア)があり、大学入学へと続く。何が彼の人生を狂わせるかわからないので気を抜くことは出来ないが、彼が選ぶ道を父としては精いっぱい応援してやりたい。そのためには僕がもっと頑張らなきゃならない。でも僕は今年、還暦を迎える。自分の役目はこの子をなんとか巣立たせること。簡単なことではないけれど、少なくともここまではやってきた。そして、今がもっとも重要な時期であることは間違いない。学校や社会からああだこうだ要請も増えた。思春期、反抗期でもある。日本人である息子がフランスで成人するために乗り越えなければならないハードルは想像を超えて高い。僕のような華奢なオヤジに出来るのか、ずっと自信がなかった。親戚も兄弟もいないここパリで不安になることの方が圧倒的に多かった。正直に言おう。僕は不安だ。大きな声で叫ばせてほしい、僕は不安なんだ!

どんなに僕が不安でも息子は15歳になった。彼は彼の人生を見つけたし、そこへと向かっている。僕に出来ることは、ひたすら応援し続け、寄り添ってやることであろう。少なくとも彼が大学を卒業して社会人になるまでの間は・・・。彼がどういう大人を目指しているのか今は分からない。でも、明らかに言えることは、息子はここフランスで生まれ、ここの教育を受け、ここで生きている。そして彼自身のアイデンティティをしっかりと持っているということだ。大学入学まであと3、4年、社会人になるまでにあと7年程度。なんだかんだであと10年も頑張れば息子は巣立つ。10年後、僕は70歳になっている。70歳の自分など想像もできないけれど、そこまで頑張って働ければ、彼を次の世界に押し出すことが出来る。何とか押し出せたなら、僕の一つの役目はまっとうできたことになる。そのために生きるという決意を今年の年始に僕は持った。70歳までここフランスで生きなきゃ、と決意した。少なくともフランスで生きることを決めたのは息子ではない、運命の力だ。その運命に少なからず加担したのが僕だった。僕には責任がある。あと十年、何をしてもここフランスで生きなければならない。フランスにもたくさんの問題がある。テロも起きれば黄色いベスト運動もある。でも、総じていい国だと僕は思うようになった。そのことは折に触れ日記に記していく。言葉でいうのは本当に簡単なことだと思う。今日まで少なくとも息子を支えてきたのは縁もゆかりもなかった他人のフランス人であった。このことだけははっきりと言わなければならない。黄色いベスト運動にしても、テロへの対応にしても、いろいろと問題はあるだろうが、僕はフランスを支持する。それは黄色いベストを着ている労働者もフランス政府の役人も警察官一人一人(警官こそ複雑な立場であろう。彼らも黄色いベストを着ている)、全部を含めてフランスらしい感情で動いているからだ。ガソリン税が上がるというだけでこれほどの規模のデモが他の国で起こるだろうか?未来に対する不安の前で立ち上がることを単純に批判できるだろうか?僕は日本とフランスの間で生きている。どちらの長所も短所も分かっている。日本を愛する気持ちも負けないから、日本を単純に批判する人とはいつも戦っている。でも、フランスの良さも分かっている。ジレ・ジョーヌ運動の暴力は容認できないけれど、革命で生まれたフランスという国らしい行動かもしれない。非難する側も応援する側も今は強く鬩ぎ合っている。僕はどうするべきか、この世界が抱える問題に単純な答えなどはない。エネルギー、EU、民族の問題からテロまであらゆることにおいて一つの結論で解決できるとは思えない。でも、今の僕にとって大事なことは、あと10年は最低必死で生きなければならないということだ。つまり、生きる決意をした。自分のために今までは生きてきたが、これからは自分のためだけに生きることは出来ない。日本とフランスのあいだで、15歳の息子の誕生日に、僕が思ったことである。
 

滞仏日記「息子の15歳の誕生日に思うこと」