JINSEI STORIES

滞仏日記「黄色いベストのデモ隊の中心に僕はいた」 Posted on 2019/01/20 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、今日ははからずも黄色いベスト運動のデモ行進に参加することになった。パリ左岸地区は戒厳令のような状態だった。警察の車両が朝からあちこちを封鎖していた。こんな日に外出するのはよくないよ、と息子に忠告されたが、どうしても左岸に住む友達の家に届け物があって出かけることになる。デモはだいたいいつも昼過ぎから本格化する。その前に戻ればいいという甘い考えがあった。ところが、ちょっと上がって行けよということになって、土曜日だし、あがったらワインが差し出された。積もる話もあったので長居してしまった。すると不意に何か爆発するような凄い音が聞こえてきて、窓から覗いたら黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)のデモ隊が目の前の大通りを埋め尽くしていた。すぐに出ないと戻れなくなると思って、飛び出したところ、フル装備の警官隊に取り囲まれた。「旅行者か?」と訊かれたので、「違う」と正直に言ったのがまずかった。「じゃあ、前に進め」と指さされた。前には黄色いベストを着た連中がうじゃうじゃいる。いや、そうじゃない、と反論したが、警官が首を振った。どうやらジレ・ジョーヌの一味と勘違いされてしまったようであった。向こうに抜けたいと告げたが、ダメだ、前に進め、と怒鳴られてしまった。左手に機動隊が、右手にジレ・ジョーヌのデモ隊が睨みあっている、そのちょうど激突地点であった。いつもブラウン管を通して目撃している、まさにあの瞬間である。双方が物凄い勢いで睨みあっており、警察の人たちはバズーカ砲のようなもの(たぶん、ゴム弾であろう)を抱えている。殺気立っていてとにかくここで逆らったら逮捕されると思い、指示に従うことになる。気が付くと、僕はなんとデモ隊の真ん中に立っていた。それはまるでテレビドラマのような出来事だったが、もはや出るに出られない。僕は明らかにデモ隊の流れに参加していたのである。
 

滞仏日記「黄色いベストのデモ隊の中心に僕はいた」

 
あとで知ることになるのだけれど、その瞬間というのはフランス中のテレビで放映されていた、まさに今日一番高いテンションの暴動時だったようだ。あちこちで煙が上がっていたし、放水車もいた。見回すと歩道には報道陣が陣取っていた。若い女性ジャーナリストらしき人、(というのはカメラを首からぶら下げていた)と暫く一緒だった。「僕はデモ隊じゃない。あっちに抜けたいんだ」と彼女に言った。「やめた方がいいわよ」と物凄くクールな返事が戻って来た。「石が飛んできてあたったら大けがをする」ちょっと奇妙な光景なのだけど、僕も含め、マスコミの人たちも、機動隊も、ジレ・ジョーヌも、みんな一緒に移動していた。機動隊員は殺気立ってはいるものの意外と紳士的であった。デモ隊も先頭の人たちは過激だった(機動隊に尻を出している集団もいた)が、その周辺とか後ろの人たちは冷静に行動していた。駐車してある車が破壊されているということもなかった。機動隊が時間をかけてじりじりとデモ隊を排除している、そういう感じ。何か、もうある種のルールが出来上がっていて、僕には、決まり事を守りながら過激な駆け引きをやっているような感じに見えた。僕が迷い込んだデモ隊にはジレ・ジョーヌの他に白い服装の連中もいた。一緒に行動をしていたジャーナリスト風の彼女に尋ねたところ、彼らは医療従事者のデモ隊ということであった。地面に倒れ込んだ怪我人を介抱していた。そこをマスコミが取り囲んで撮影していたが、でも、何か作り物のような芝居がかった演出を感じた。もしかするとデモンストレーションだったのかもしれない。確かめたかったが、うろちょろすると戻れなくなると思って流れの中からあまり離れないようにした。デモ隊と言っても相手は市民なので機動隊も神経を使って前進している。それはテレビ画面を通して見るあの緊迫感に満ちた現場ではなかった。デモ隊も機動隊が手出しをしないと分かっていて挑発しているようにも見えた。しかも、驚くべきことに、デモ隊の中心に食べ物や飲み物を販売するピンク色のワゴン車が営業していた。ジレ・ジョーヌたちは過激なデモの間にそこでホットドックを買って路上でパクついている。そもそも道が朝から閉鎖されているのに、このピンクの屋台車はどこから入って来たというのだ? 数十メートル先から爆音が届けられているし、煙も立ち上がっているというのに、まるで野外フェスにいるような不思議な空間が広がっていた。フランス人は場慣れし過ぎじゃないか、と僕は思った。世界中の人たちが心配する「パリ暴動」の現場とはちょっとかけ離れていた。そこはまるで台風の目の中にいるみたいで長閑だった。僕は大通りの真ん中で立ち止まり、前後左右を見回した。メディアから届けられる映像と現実のあまりのギャップに思わず苦笑してしまった。
 

滞仏日記「黄色いベストのデモ隊の中心に僕はいた」

 
二時間くらいデモ隊と一緒に行動していると何か自分もその一部のような気持ちになって来た。「どこにいるの? 何してるの?」と息子からラインが飛び込んできたので、心配させてはいけないと思い「もうすぐ帰る」とだけ返した。ふと、子供の手を引く母親の姿が目に飛び込んできた。どこかに住人たちが出入りする出入り口があるはずだ、と僕は思った。機動隊の目を盗んで、その母と子供の後を追いかけた。路地の入口に機動隊の検問があった。警察車両が道を封鎖していた。「住人しかここから先へは行けない」と言われたので、フランス語が分からないふりをして、「ツーリストだけど、危険を感じる。どうしたらいい?」と英語で告げた。簡単な身体検査があり、僕はようやくデモ隊から解放されることになった。一つ路地を抜けると、そこは静まり返るパリの穏やかな住宅地であった。家に戻って急いでテレビをつけると、先ほど自分がいた場所の映像が映し出された。機動隊とデモ隊が衝突、という赤い文字が画面の下で緊迫感を演出していたが、僕の感想とは明らかに異なっていた。
 

滞仏日記「黄色いベストのデモ隊の中心に僕はいた」

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