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リサイクル日記「僕が愛するパリよ」 Posted on 2022/05/26 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、パリはだいたいどんよりとしている。
晴れ渡る日もあるが、どちらかというと曇天の日が多い。
セーヌ川の河畔を歩くと、淵沿いに建つ歴史的な建造物や聳えるマロニエの街路樹や石を積んだ塀とか路上古本店ブキニストだとかを象る線が僕の目に迫ってくる。
灰色の風景の中に控えめな色が配色されており、それを無数の線が、そうまるで画家が無造作に描いたスケッチのような細い線がこのパリを繊細に縁取っていて、僕は時折足をとめては、この歴史が描いた線画の美しさに見とれてしまう。
パリジャンたちは曇天が嫌いで南仏とかマラケシュあたりを目指すが、僕は多分フランス人が大嫌いなこの曇り空のパリを愛している。
これこそがパリだと思う。
曇っていたり小雨が降るパリの方がずっとパリらしい。
晴れ渡る空に聳えるエッフェル塔のキッチュな広告写真を見る度、僕は苦笑してしまう。
エッフェル塔だってあの重厚な鉄の織り成す構造美が、低く垂れこめた曇天の空に埋没するような感じで刺さっているからこそ美しいのだ。
世界の人が憧れるパリと僕が愛するパリとはまるで別のものだということに最近気が付いた。
 

リサイクル日記「僕が愛するパリよ」



リサイクル日記「僕が愛するパリよ」

 
今日は寒くはないが、小雨が皮膚に張り付くような一日であった。
アレクサンドル3世橋の上に立ち、濁ったセーヌ川を見下ろしていると、何か不思議な既視感のようなものに揺さぶられた。
僕は慌てて背後を振り返った。
灰色の空のどことは言えないところから飛沫のような雨が打ち付けてきて思わず目を細めた。
ずいぶんと遠くまでやって来たものだと思った。
僕はパリに魅せられてここで暮らしているわけじゃない。
不思議な縁があって、ここにいるに過ぎない。
住んでみたいとは思ったが、実際に住むとは思わなかった。
編集者のマリーピエール・ベイが別れ際に言った。
「いいかい、偶然はない。こうやってここに私たちがいることは全て運命なのだ」と。そのことの意味に思い当たることがいくつもある。
なぜ、僕はここにいるのだろう、息子はどうしてここで生まれたのだろう。
パリ万博に日本が最初に紹介されたのは1867年の第2回万博、その時すでに薩摩藩、幕府、佐賀藩などから大勢の日本人が大挙渡仏している。
その後、いろいろな日本人がここを目指した。
ここで死んだ日本人も大勢いる。
なぜ、みんなここを目指したのだろう。

リサイクル日記「僕が愛するパリよ」



25歳の時に僕ははじめてパリを歩いた。
僕が泊まったホテルはルーブル美術館脇のプティホテルだった。
なぜ僕はパリを旅先に選んだのだろう。
一人で僕はやって来て、まるで将来住むためのアパルトマンを探すみたいな感じで歩き回った。
その時の記憶が今もはっきりと残っている。
左岸をあてもなく歩いていると見覚えのある風景に出会った。
激しい既視感に襲われ、僕はそこから動けなくなった。
そこはオデオンとサンジェルマン・デ・プレとのちょうど中間の、サンシュルピュス教会の裏手の路地だったと思う。
(そここそマリ・ピエール・ベイの出版社の所在地だと39歳の僕は知ることになるが・・・)
あまりに見覚えがありすぎて、驚いて僕はそこから暫くの間動くことが出来なくなった。
建物や教会や街路樹の線がまるで生きているように僕の頭の中へと忍び込み、勝手に接続されていった。
僕は作家のボリス・ヴィアンの小説が好きだった。
記憶違いかもしれないが、彼は1959年にこの辺りで死んでいる。
僕が生まれる3ヶ月ほど前のことだったような・・・。
あの時、若い僕は30年ほど先の自分の後ろ姿を目撃した。
数十メートル先の路地を曲がった男がいた。黒いコートを着てハンチングをかぶっていた。
今、思い返すと、あれは今の僕じゃなかったか。
彷徨うように、何かを探し求めているような前のめりな恰好が自然と街角に同化していた。
その時の記憶だけが鮮明に残っている。
僕は未来の自分をその時に目撃したのかもしれない。
今、背後を振り返るのが怖い。

19世紀の終わりにはすでに日本人が経営する画廊がパリにあった。
どういう人物がどのような縁でそこに到着し、そこを経営していたのかわからないが、僕は自分の小説の中でその人を描いたことがあった。
見たことも行ったこともない一切ゆかりのない人を自分の記憶の中から引っ張り出す時、作家は醍醐味を覚える。
セーヌ川はずっと流れ続けている。
秋になると、いや、夏の終わりにはこの川面を落ち葉が埋め尽くす。
赤っちゃけたセーヌの川面の記憶こそが僕のパリの原風景である。
そこを流れる紅色の葉はそこに留まることがない。
落ち葉は流れて消え去る。
パリはこの地に永遠に聳えているが、このアレクサンドル3世橋の上を行く人は永遠ではない。
僕もこの世界もいつかは消えるが、パリはその後も残り続ける。薩摩藩や佐賀藩の人はこの橋の上で何を思ったのであろう。
初投稿、2019年1月。
 

リサイクル日記「僕が愛するパリよ」

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