JINSEI STORIES

ジャン・コクトーの悪口 Posted on 2017/05/28 辻 仁成 作家 パリ

ジャン・コクトーは詩人であり、小説家であり、劇作家であり、映画監督であり、画家であり、あと何があったかな? そうだ、評論もやってた。

ジャン・コクトーのことが好きか、と問われるといつも言葉が濁る。
でも、パリで暮らすきっかけのささやかな興味の対象の一つだったかもしれない。ボリス・ヴィアンもそうかもしれない。ゲンズブールも。
この辺の話はとくに避け続けてきた。できれば、避けて通りたい。好きだったし、嫌いだった。
でも、毎朝、コクトーが描いた猫の絵のカップで苦いコーヒーを飲んでいるのは事実だ。
 

ジャン・コクトーの悪口

 
パリから車で1時間ほどの村、ミリィ・ラ・フォレ。ここにコクトーの家がある。
今は美術館のようになっている。彼の書斎や寝室や戯曲の書きかけだとかファッショナブルな写真などが展示されている。正直、とくに何か心惹かれるものがあるという場所ではない。
 

ジャン・コクトーの悪口

ジャン・コクトーの悪口

 
そこから車で5分ほどのところにコクトーが内装を施したサン・ブレイズ・デ・サンプル(Saint-Blaise-des-Simples)礼拝堂がある。
ここは昔、ライ病患者用病院の付属礼拝堂であった。だからか、今も敷地内には当時治療に使われたと思われるハーブがたくさん植えられている。そして、この礼拝堂の中にコクトー自身が眠っている。
礼拝堂の中の墓石にはJe reste avec vous(私はあなた方と一緒にいます)と彫られてある。

エディット・ピアフの信奉者で、なんと彼女が死んだその同じ日に彼女の死の衝撃のせいで心臓麻痺を起こし、ジャン・コクトーは他界している。(ウィキペディアの受け売り)そういうことも何一つ知らない無知な私は礼拝堂の中で正直に「私はあなたが嫌いだった」と告白してしまった。
でも、正直な言葉だったけど、言ったあと、私もだよ、と聞こえた気がした。だから、礼拝堂には3分もいられなかった。確か前回来た時も3分で出た。
よっぽど気になる存在なのだろうなぁ、と思う(笑)。
 

ジャン・コクトーの悪口

ジャン・コクトーの悪口

 
そもそもコクトーの幼稚な絵が好きじゃない。
帰りがけ、ショーウインドーに並べられていた皿やコーヒーカップが目に留まった。お、あの猫の絵が描かれている。しかも、1959という特別な数字まで。
1959年とは、コクトーがこの礼拝堂を改修した年だそうだ。私はその皿を2枚、カップを1つ、小皿を3枚買い、店員さんに「そんなに買う人はいないわよ」と褒められた。
「いや、この絵はそんなに好きじゃないんだけど、たまたま僕の生まれた年なんですよ。珍しいからね」と言ったら、この皮肉を彼女はとっても気に入ってくれて、お皿を1枚タダにしてくれた。
フランス人というのは実に面白い。 
 

ジャン・コクトーの悪口

ジャン・コクトーの悪口

 
コクトーはいったい何をしたかったのだろう、と礼拝堂を出た時に思った。私は礼拝堂を振り返った。そこが嫌いだったわけじゃなく、でも、居心地がいいというわけでもなかった。何か、彼の内部にもぐりこんだような落ち着かない気持ちにさせられた。
コクトーのことを自分は何か知っているだろうか、と振り返ってみる。思い出せるものは彼が描いたイラストばかりだった。そして、あの青白いどこか三島由紀夫的な不健康な顔。
しかし、全部がとってもフランスっぽい、と思った。モノクロの彼の映画を学生の時に観ながらそう思ったことを思い出した。鏡の中の自分と向き合う非常にナルシスティックな映画だった。

ミリィ・ラ・フォレのコクトーの家の中で唯一足が止まった場所があった。それはコクトー自身が喋っている、壁に埋め込まれたテレビジョン。口早に、彼が何かについて語っていた。耳を傾けた。ジャズについての論説じゃないか。私はしばらくその人の喋る、奇妙な姿を見続けた。

ああ、この人があの猫の絵を描いた画家なんだ、と思った。
 

ジャン・コクトーの悪口

 
ミリィ・ラ・フォレを離れる時、礼拝堂で見たコクトーの言葉が聞こえてきた。

「私はあなた方と一緒にいます」

確かに、いるな、と思った。
この人は私にとってそういう存在なのかもしれない。 
 

ジャン・コクトーの悪口