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人生は後始末 「運は自分が運ぶもの」 Posted on 2017/02/26 辻 仁成 作家 パリ

「運」とは「巡り合わせ、定め」のことですね。「運」という漢字は運ぶ、運送の「運」と同じ字。
ですから、「運」というものは誰かが運んでくるものじゃないでしょうか?
もしくは「運」は自分が運んでいるのかもしれない。
幼い頃、小生は辞書を眺めながらそのように考えました。

運がいいね、と誰かがいいます。
悪い気がしませんが、この「運」はいつどの瞬間にやってきたのでしょう。
運のいい人というのは楽観的な人に多い気がします。
運を呼び寄せる人というのは、最初からいい運だけを見ている。
言い換えれば、運がやってくることを疑わない人です。
運がないと言い続けている人は「運がない」と言い続けたからこそ運に見放されてるんじゃないかな、
と少年ながら思ったことがありました。
きっとそういう大人が周りに多かったんでしょうね。

「大丈夫、絶対なんとかなるよ」と、どんな逆境にいても言い続ける人がいます。
この根拠のない確信こそがその人に「運」を運んでいるのかもしれない。
「うまくいかないのはすべて世の中のせいだ。俺は間違えてない」という人にいったい誰が「運」を運ぶでしょう。
ということは、「運」は「運」じゃなく、人間が自ら引き寄せているもの。
そう考えるとちょっと未来が明るくなりますね。
自らの力で運を切り開く。運気を上げていきましょう。

「運命」という言葉があります。
これも巡り合わせのことですけど、命が付く分、重い印象がありますね。
命を運ぶわけですから、つまりは我々人間のことじゃないでしょうか? 
いいことも悪いこともあるってことかな、と小生は中学生の頃に気が付きました。
運命以外に人間の将来を動かすものがあるはずだ、これが努力であり、熱意なんだ、と。
それでもダメな場合は運命のせいにすればいい。
つまり、運命とは結果なんだな、と小生は青年になりかけた頃、このような境地に辿り着くことになります。

すべてを運命のせいにしてしまうことの危険はあります。
運命が先か努力が先か、ということかな、と大学に入る前に小生は思いました。
今、自分に与えられた場所や肉体や能力を最大限に駆使して、この運命と対峙することは、実は逆に、楽しいことじゃないのかなって。
運命は定めですから、もうダメだ、と思えば、もうダメでしょう。
運命は命を運んでいるということだから、うまく運べば違う運命に出会えるかも。

そういうものだと思えば、恐るるに足りない。

不意に訪れる事故も確かに運命です。
「運命には逆らえない」というのは本当だと思います。
本当だからこそ、小生はわずかな可能性を信じて努力をし続けよう、と大人になった今、悟ったのです。
たぶん、死ぬまで、運命と本気で向かい合うつもりです。
いつか運命を手懐けてやるぞ、ぐらいの気持ちで。
まだまだ、最後まで分かりません。

いくつもの小さな結果が積み重なって、一生となります。
そして、一生の最後に訪れる結果こそが運命なのでしょうね。

人生は後始末 「運は自分が運ぶもの」

今日の後始末。

「人はせっせせっせと命を運ぶ運送屋さんなり」