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人生は後始末「同じ土俵に下りるな」 Posted on 2017/04/12 辻 仁成 作家 パリ

どうしようもない言いがかりを受けることがあります。
人間生きていれば火の粉、とばっちり、矢も降ってきますね。
普通に生きていても喧嘩をふっかけられることがあります。
災いというものは思わぬところからやってくるものです。しかもだいたいは非常にくだらないレベル。
なぜか、小生はよくそういう被害を受けます(笑)。

「同じ土俵に下りるな」

小生はつねに自分にそう言い聞かせています。
ひとたび、その土俵に下りたなら、結局は同じレベルになる。
向こうは引きずり下ろしたくてうずうずしているわけです。ならば相手にしないこと、上の土俵に上がれ、です。
人間の一生には限りがあります。くだらない言いがかりにいちいち反論する暇はありません。
自分とは違う次元の話だと思うに越したことはない。
けれども、人間、時には下の土俵に下りなければならないときもあります。
執拗に攻撃され、それが愛する者や人間の尊厳に及ぶ場合ですね。
そういうときは「命がけで戦え」と自分に命じます。
めったにありませんが、一生で何度かそういうときも巡ってきます。
本気で戦う人間に、くだらん連中が勝てるはずはありません。真剣に生きる者は強いのです。

そもそも、火の粉が降るような土俵に自分がいたことも問題です。
よく考えるとわかることですが、自分にも多少の非があるのです。自分の中の慢心とか傲慢がそういう輩を引き寄せたわけですから。一割は自分にも責任があるのだから、この話はここまでにしよう、と。
割り切るといいますが、割って切る、のです。割って切った悪い部分をそこに捨てて、次の土俵を目指せばいい。
一生は短いのに、そんな世界で何をぐずぐずする必要がありますか? 笑って切り捨て、出発すべきです。
しかし、こういうことは繰り返します。
学習できる人は同じ過ちを何度も繰り返さないものです。
本当の反省とは外に対して言葉で謝ることじゃありません。本当の反省は自分を内部で変えることでしょうね。
語源はわかりませんが、振り反って省みる、から生じた言葉。ドイツ哲学などの「反省哲学」が語源という説もあります。自分を振り返るとき、人間は哲学を持ちます。
本当の反省を持った人だけが前に進めるのかもしれませんね。
同じ土俵に下りず、なぜこのような連中が現れたか多少反省する。

なるほど、人生、後始末が、大事です。
 

人生は後始末「同じ土俵に下りるな」

今日の後始末。

「同じ土俵に下りず、上の土俵に上がれ」