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人生は後始末「感謝で始め、感謝で終える」 Posted on 2018/01/01 辻 仁成 作家 パリ

 
あけましておめでとうございます。
2018年が読者の皆様にとって幸福な一年でありますよう。そして、デザインストーリーズにとっても行動的で野心的な一年になりますよう、スタッフ一同精進してまいりたいと思います。

さて、最近つくづく実感することですが、やはり人間にとって言葉が大事であろう、と改めて思うとる次第です。日々、発する言葉が大きく生涯に影響を与えているのは疑いようがありません。周囲を見回しても、自身を省みても、言葉で失敗をし、言葉で命拾いをしてまいりました。
困ったことが起きると問題の根底には言葉の掛け違いや誤解や使い間違いがずらりと並んでおりますし、いいことが起きると当然そこには素晴らしい言葉たちが天使のように舞っておったわけです。乱暴な言葉を吐き散らす人間の周りには暴力とか、犯罪とか、哀れなものばかりが集まっています。美しい言葉を丁寧に伝えている人には当然、それにふさわしい幸福、穏やかな人生、周囲との調和が寄り添っているように思います。やはり、言葉なのです。普段の言葉遣いをちょっと気にするだけで、私たちの運気というのは上昇します。

おはよう、おやすみ、ありがとう、ごめんなさい、いってきます、おかえり、いただきます、ごちそうさまでした、さようなら、これらの何気ない日々の言葉ですが、この言葉たちを丁寧に使うだけで、いえ、むしろ自覚的に使うならば、その人生は満たされ、豊かになるはずです。小生は息子に、
「挨拶をする時は、誰に対しても、相手にちゃんと聞こえるよう、心を込めて、丁寧に、そして元気を持って言いなさい」
と教えています。
返事が聞こえない時は真剣に叱ります。すると、言ったよ、と文句が返ってくることがありますので、取っ掴まえて、それがなぜ違うのかをきちんと教えるのです。やりすぎでしょうか? いいえ、これは人間が生きる上での礼儀ですから、礼儀を教えるのが親の仕事。そこさえできればあとは必要ないくらいです。挨拶がきちんとできれば徳のある人と出会うことができます。
「はじめよければ終わりよし」ということわざもあります。人生ははじまりと終わり方なのです。

立つ鳥跡を濁さず、といいますが、誰かと喧嘩別れをしたとします。その時にこそ、その人間の器の大きさが分かるのです。立つ場所を汚すだけ汚して、恩も友情も忘れて自分のことだけ考えて飛び立つような人間の末路は見えています。どんな状況であろうと、最後をきちんとまとめることができた時、その人の一生が評価される。誰に? それは天にです。小生、信仰はありませんが、人間ですから、天に唾を吐くこともありません。天というものは誰かでも法律でもなく自分でもない、絶対的な何かですが、人間はこの天にいつも見つめられて生きていると思うのです。
悪いことをした、と思う時がありませんか? それは天が教えてくれているのです。

「徳を積む」という言葉がありますが、これは正確には「隠徳を積む」が正しい。隠徳とは「自分の善行を言いふらすのではなく隠す」こと。人に何かをして見返りを求めるような慈善行為じゃなく、寄付をしても名前を一切あかさないようなものが陰徳といえるでしょう。お年寄りにさっと席を譲るとか、妊婦の方の荷物を持つとか、何気ないことです。礼を受け取らずに善行をするわけですが、でも、天はちゃんと見ています。それでいいじゃないか、と思うことが陰徳です。こっそりと善行を積めるような人間になりたいものです。小生などは自慢したがりだから、なかなかこれができずに困っております。

しかし、そのような人は多いはずです。小生たちは仙人ではありませんから、だめな時もしょっちゅうある。そういう時にこそ、いい言葉を使えばいいのです。ありがとう、と真心を込めて相手に言えた時、天は微笑むことでしょう。一生をかけてこのことだけをやったとしても、あなたは莫大な徳を積むことになります。これが幸せにつながるのだと小生は思うのです。

ありがとう。
いいえ、どういたしまして。

すっきりしませんか? すがすがしくなりませんか? そういう一生を小生は心掛けたいと思います。
万が一、もめたとしても、いい言葉で乗り越えてください。汚い言葉を使えば邪気が寄ってきます。いい言葉を使う人には天使が集まってきます。
 

人生は後始末「感謝で始め、感謝で終える」

 
今日の後始末。

「愛に包まれた素晴らしい一年でありますように」