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人生は後始末「正しい愚痴り方」 Posted on 2018/03/11 辻 仁成 作家 パリ

 
人間というのはまず自分に対して疲れてしまう。
他人のせいにするのは、自分が見えていないからに過ぎません。
他人とは自分を映す鏡です。

君が誰かに愚痴をこぼす。
しかし、愚痴というのは言葉の暴力以外何ものでもない。言われた方はたまったものじゃありません。
愚痴というのは邪気の塊ですから、人間が悪い気を吐き出しているのです。
その上、愚痴というのは他人にこぼすものだから、なんとも始末に悪い。
知り合いに愚痴をこぼされると小生はげんなりします。
なんで自分の不愉快を人に間接的に押し付けてくるのか。
人間は自分の中で解決できない問題を、愚痴って身近な人間に押し付ける性質があるのです。

しかし、愚痴は本当に悪いことでしょうか? 愚痴とは何でしょう? 
じゃあ、人間は愚痴っちゃいけないの?
愚痴は長い一生における小さな噴火のようなものかもしれません。
愚痴を言わないでため込む人間は逆に真面目過ぎて心配になります。
小出しにすることで、大きな崩壊を未然に防いでいるのかもしれません。
愚痴を言っても確かに始まらない。
でも、愚痴ることで、人間は自分を許しているし、バランスをとっている。
崩壊しないように、自分を維持するための愚痴もある。
大事なことはそれを聞いてくれる人間がいるかどうか、でしょう。
愚痴を聞いてくれる友達の存在こそが実は大事なのです。
我々は高僧じゃない。
このようなストレスだらけの世の中で、多少は愚痴らないと壊れてしまいます。
いつも愚痴を聞いてくれる友達がいるなら、君もその人の愚痴を聞いてあげればいいだけのこと。
吐き出したストレスをお互い補いあえれば、その愚痴も邪気にはならず成仏するでしょう。
誰も彼もと愚痴を言うのは慎む方がいい。問題はそこかもしれない。
たまにこぼす愚痴はその人の人間らしさを物語ることもあるし、時に相手に信頼感を植え付けることもできます。
もちろん、適度な愚痴の場合ですよ。

とても尊敬する人間が自分に愚痴をぶつけてきたら、逆に、ちょっと嬉しかったりしませんか?
この人は自分を頼って愚痴をこぼしているのだな、と思えば聞いてあげようという気にもなります。
愚痴も時には人間を繋ぐ道具となるのです。
そう、愚痴が架け橋になることもあるんですよ。
いい聞き手は、「しかしね、人間みんな一緒だよ」などと微笑みながらつぶやいてくれます。いいですね。
そうすると怒りや不満も和らぐものです。
これはガス抜き。人生は長い、だからこそ、時々人間にはガス抜きが必要なのです。
毎日愚痴っちゃだめですよ。しょっちゅう愚痴ってる人は自分に何か問題があると思う方がいいでしょう。
愚痴というのは我慢をした人間がその上で申し上げたいささやかな意見なのです。
そう思えば愚痴も必要な行為だということになる。
何でもかんでもダメじゃない。
正しい愚痴り方をマスターすれば、生きることはもう少し楽になる。

愚痴というのを辞書で調べてみると面白い。
「無知によって惑わされ、あらゆることに関して真理を見ようとしない心の状態」
なるほどね、ある意味、あたってます。
友達の少ない小生、愚痴りたい時は鏡に向かって愚痴ります。
するとね、自分の悲痛な顔が滑稽で、思わず笑ってしまうんですよ。
「なに、深刻ぶってんだよ、おめ~」ってな具合に。
小生、たまに息子にも愚痴ります。
するとね、息子の顔があきれ果てて歪むんですよ。
「パパ、疲れてるね」などと言われ、思わず苦笑しちゃいます。
愚痴はガス抜きだと割り切ることで、人生はわずかに緩まります。
さあ、正しく愚痴って緩く生きていきましょう。
自分に厳し過ぎないようにね。
 

人生は後始末「正しい愚痴り方」

小生、愚痴りたい時は料理をしてストレス発散します!(笑)

 
 
今日の後始末。

「くどくど愚痴を並べてはいけません。さらっとスマートに愚痴って日々を上手に手懐けましょう」