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人生は後始末「All’s Well,That Ends Well」 Posted on 2018/03/23 辻 仁成 作家 パリ

 
終わりよければ全てよし、という言葉がある。
これはシェークスピアの戯曲「All’s Well,That Ends Well」に由来する。
多少のミスが過程にあったとしても、結果がよければ評価されてよし、というニュアンスを含んでいる。
The end crowns all. ということだ。
「結果オーライ」に似ている。
「結果オーライ」は、中身はよくなかったけど、なんとか勝ったね、と喜んでいるだけの言葉で、過程はこの際ちょっと忘れようじゃないか。
しかし、「終わりよければ全てよし」にはもう少し、過程に対して後悔や不満や残念を抱いている。
やるべきことをやって、周到な準備をした人間が真剣に挑んで出した結果に対して言うべき言葉かもしれない。
しかし、やるだけやったんだ、過程での多少のミスはもはや問題じゃない。よくやった。結果がすべてを物語っている、という感じ。
少しだけ、未来へ希望を繋いでいる終わり方かもしれない。

一方、日本には「人事を尽くして天命を待つ」という言い方がある。
やるべきことを全てやりつくし、あとは運命を天に任せるだけ、という心境だが、思えば我が人生、いまだこれの連続なのだ。
がっかりすることの方が圧倒的に多い。
ま、今自分がやれることだけに全力を尽くす、というのは簡単そうで簡単ではない。
いい結果は発表できるが、実は発表できない結果の方が圧倒的に多いのだから。
運を天に任せることの不条理。しかも人事を尽くした上で、だ。
なんて残酷な言葉だろう。
人としてやれることをし尽くさなければ天命を待っちゃいけないだなんて、表現者としてはなんとも緊張させられる言葉である。

これに対して、結果より過程が大事、という言い方もある。
ちょっときれいごとに感じる、あるいは、負け惜しみっぽい言葉だが、しかし、これが時に大事になる。
子育てはまさにこれの連続と言っていい。
むしろ結果などない人生もあり、その場合、過程が全てを語る。
こういう時に、過程こそがその人の生きる礎となる。

スポーツなどの場合は過程が大事だとわかっていても、結果が全てだったりする。
金メダルじゃないとならない人にとって銀メダルは価値がないこともわからないではない。
けれども、みんながみんな一番になることなんかできやしない。
逆を言えば、その人なりの人生における金メダルを見つけられたらそれがベスト。
あらゆる人間にとって大事なことは生きることをおろそかにしないということであろう。
過程をきちんと積みあげたものには必ずそれだけの結果がついてくるということ。
幸福の形は様々なのだから、人に結果を押し付けるものでもない。
一人一人が自分の結果を見つけられることが大事だ。
結果より過程が大事、という言葉は、ベストを尽くした人間にとっての真実となる。
その結果に負けない過程を持った人間が結果に左右されることなく人生に屹立する。
足腰の弱い勝利もたくさんあるということをこの言葉は言い含んでいる。
勝負事は知らんが、そもそも人生において、勝ち負けだけが全てではない。

あらゆることを経験し尽くした人間がその最期の時に「私はけっこうよく生きたんじゃないかな」とちょっと自負できたなら、それに勝る結果はない。
 

人生は後始末「All’s Well,That Ends Well」

 
今日の後始末。

「人生に納得をし、後悔を残さないために、日々を切に生きることに尽きる」