PANORAMA STORIES

家なき子 Posted on 2018/04/02 エロチカ・バンブー バーレスクダンサー ベルリン

昨年末ほんの数週間、日本へ戻った。日本にはもう家族は無く、とうとう家も手放さなくてはならないという状況を味わいに帰ってみたのだ。海外に住む誰もが、ある年齢になると選択をせまられる日本の家問題。特に、私のように親兄弟がいない場合、決着をつけないといけない。 慣れ親しんだ家には沢山の思い出があって……というのは当たり前だけど、手放したらもう日本に帰る所はない? 日本に家がないという現実をどう受け入れよう。

できれば誰かに貸して、住んでもらいたかった。ベルリンのようにアーティストに貸して勝手にリノベーションしてもいいし、外国の人に貸しても良いと思っていたけれど、日本ではそのような借り手がつくのは難しいという不動産屋さんの言葉で断念。
 

家なき子

社交ダンスを教えていた母の希望で大きな鏡付きの広いリビングや、写真が趣味だった父の建てた暗室が庭にあった。今思えば、なんとも好きなことをして生きてきた二人だった。彼らの好きなことへの情熱は徹底していて、おかげで私は趣味で忙しい両親のいない一人の時間を存分に楽しんだ。それは時に孤独だったりしたけれど、その引き換えに自由があった。

思えば戦争戦後の貧しい時代を経験した両親。長女だった母は、家事を手伝うため学校を休み、食糧難でわずかな食料は幼い兄弟が常に優先された。父は戦争へ行った。叔母の話によると父は戦争から帰ってきてから、外へ一歩も出れず。そんな時にカメラに出会い、生涯そのカメラが彼を癒すことになる。
 

家なき子

アメリカ・モハビ砂漠 Photo by Don Spiro

 
ゲーテの詩集を木陰で読む夢見る乙女だった母は、戦争のおかげでパンクス精神が芽生えた。これからは誰からも邪魔されず、私の好きなことをとことんやらせて頂くわ! 国が決めた道徳なんか戦争や時代によって変わる。なにも信頼できやしない! 女は結婚するものなんて誰が決めたのか。長女だから早く結婚しなさいと騒ぐ周りをことごとく無視し、地味な生活とはさようなら。大蔵省印刷局の職業婦人になり自由を謳歌。私が生まれた後も、ダンスだ、シャンソンだ、文学研究だ、観劇だ、とちょくちょく家をあけた。
私が高校生の頃は母にボーイフレンドがいて、「デートしてくる」と言ってよく出かけていた。父も私も「そお? 楽しんで」って見送っていた。
 

家なき子

父は母よりひとまわり歳上であったのと、戦争体験、先妻との死別もあり、「家族がそこにいるだけで幸せだ」とひとり晩酌をしていた。その父は私が生後3日目から私の写真を撮り始め、週末はよく父の写真のモデルになった。あまりにも撮影に夢中になり、あるとき箱根から帰る登山電車の最終を逃してしまった(その頃は終電が早かった)。真っ暗な駅で二人でポツンと立っていた思い出がある。また写真を撮るためちょくちょく会社をズル休み。しかし なぜか会社の誰も父の事を悪く言わず、許されていたミスター不思議ちゃんであった。
 

家なき子

そんなチャーミングな両親の残した家。出来れば売れないで欲しいという気持ちが強く、それを察したのか家はそこにあり続けた。
売れたら日本に帰る所がなくなる。一体私はどこに住むの? 大きな不安。でも、地球単位で考えてみたら? 地球人という考え方だったら帰る所は地球上のどこか。
国に捕われる必要はない。でも、本当にそんな生活ができる? 
頭の中のひとりチャットは収まらず、強制終了もきかない!


そんなある夜、ベルリンでのこと。近所の売店の軒先のベンチで若い綺麗な20代の女の子と隣り合わせになった。
聞けば、彼女は幼い頃、家族と共に内戦で国を追われ、ひどい爆撃から逃れながら様々な家を渡り歩いたそう。
「結構ワクワク楽しかったの。その家の子と遊んだり。色々な町にいけるのは旅行のようだったしね。あの頃は本当に楽しかったな!」とキラキラした笑顔で話す。

”楽しかった” その言葉に私は救われた。
想像してみて。国と国の境目がないことを。見あげればそこには空が広がっている。Love & Peace!
 

家なき子

オッケー! 日本に家がなくても大丈夫。

やっと決心がついた時、同時に執着も薄れていたのです。するとこの3年間全く売れなかったあの家があっけなく売却されてしまった。私の心の準備が出来るのを待っていてくれたかのように。
その空っぽでガランとした、もと実家に対面した私の感情は思ったよりクールだった。感極まるのかと思っていたけれど、おやおや別れはあっさりと綺麗に出来るものね。ダンスの板間も庭の暗室も、富士山の山頂が見えたのどかな景色も、今までありがとう。

今、私はベルリンのフラットに住んでいる。海外ではよくあるサブレット(大家が一定期間留守をする間、住居をそのまま他人に貸すこと)。ある日本人アーティストのフラットを借りている。私はどうも常に好きなことをやって生きている人とご縁があるよう。徹底した芸術バカ一代で日本や世界中の街をニコニコしながら精力的にエキシビションやアートレジデンスで飛び回っている方である。素晴らしいお手本が目の前にあった。

暗室やダンスの部屋があった家の代わりに、今は一部屋がアトリエ。
ある人にとって、家は愛する家族や子供との共同生活のための場所。私にとって、家はショーで暴れまくった後、一人になってエネルギーをチャージする場所。それが出来ればどこでもいい。

これでいいのだ!
 

家なき子

北朝鮮・平壌 Photo by グレートザ歌舞伎町

 
 

Posted by エロチカ・バンブー

エロチカ・バンブー

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Erochica Bamboo
バーレスクダンサー。日本の各都市のクラブやキャバレーでショー活動した後、2003年にラスベガスにある世界で唯一のバーレスクミュージアム、Burlesque Hall of Fameで開かれるバーレスクの祭典で最優秀賞を獲得。それを機にLAに拠点を移す。2011年よりベルリンへ移りヨーロッパ、北欧で活動中。ドイツのキャバレー音楽ショー”Let’s Burlesque”のメンバーとしてドイツ各地をツアー中。