PANORAMA STORIES

ソンチカのペチェンカがくれたもの Posted on 2017/02/27 美月 泉 人形劇パフォーマー、人形制作、俳優 スロベニア・リュブリャナ

一つの料理がこんなにも人を幸せな気持ちにするのか。
私はここで、一生忘れない味に出会った。
それはこの小さな国の中でもさらに小さな単位、とある家族の食卓で見つけたこと。

作り手の名前はソンチカ。推定年齢65歳。今私が下宿している家の家主だ。
その料理に名は無く、ソンチカは昔からそれを“ペチェンカ”と呼んでいる。訳すならば“焼いた”という意味である。
2年前のクリスマス、彼女が作ったペチェンカを初めて口にした私は言葉にできない思いに包まれた。

美味しいでは到底足りない。私はそのことに驚かされた。
 

ソンチカのペチェンカがくれたもの

そもそもソンチカは料理が苦手だ。
苦手だ、というのは彼女の息子たちがいつも言っていることで、当の本人も料理をするのが好きではない、苦痛だと公言している。
彼女の料理のレパートリーは20あるかないか。それをぐるぐる、作り続ける。
レシピを見て新しく作るということはどうやらとうの昔に諦めたらしい。

1年に一度、クリスマスにだけ食卓に出るというソンチカのペチェンカが忘れられず、私は二度目の冬となる昨年のクリスマスを心待ちにしていた。知りたかった。1年前のあの料理はなぜあんなに美味しかったのか。
一方で、あれはこの国で迎えた初めてのクリスマスだったから特別に感じたのでは? という思いも微かにあった。
 

ソンチカのペチェンカがくれたもの

そしてやってきた2016年のクリスマス。異国もんの私がひとり、またソンチカの家族に混ざっていた。

前菜、スープ、サラダを経て、いよいよメインのペチェンカの番だ。
茶色の陶器にたこ糸がぐるぐる巻かれた茶色い肉の塊がデーンと乗っている。1年前に見た光景そのものだ。
目の前でたこ糸が外され、1.5cm程の厚さに切り分けられたペチェンカが私のお皿にも載せられた。
ローストされた豚肉には横向きに切れ目が入っていて、干しプルーン、干し杏、そしてピスタチオが挟んである。
付け合わせは1年前と同じ紫キャベツの煮込みとマッシュポテトだ。
私の心はドキドキしていた。やっとこの時がきたのだ。
 

ソンチカのペチェンカがくれたもの

一口、二口、ペチェンカを噛み締めていたら急に涙が込み上げてきた。自分でもびっくりする。
クリスマスの楽しい席で泣くなどたまったもんじゃない。あわててトイレに駆け込み目を乾かす。
何もなかったかのように席に戻りペチェンカを頬張ると、また涙が落ちそうになる。

ああ、美味しい。

言い表せない力が染み渡る。それはお風呂に浸かるときに体中がじんわりあたたまっていくような幸福感だ。
私は幸せだった。
 
食べ物には、その価値を高める方向性がいろいろあるけれど、ソンチカのペチェンカは私がこれまで考えてきた食べ物の良し悪しの分類を越えたものだった。
もしかすると、彼女はただ必須だから料理を作り続けてきたのかもしれない。家族のために、必要だから。
でも、くり返しくり返し、何十年と作られた同じメニューは、無駄を無くし、ただシンプルに、究極のその料理へと研ぎ澄まされていく。
毎年食べている家族にはこの変化は感じられないのかもしれない。彼らにとっては、去年も今年も変わらない“ママの、料理”なのだから。

けれど外から、不思議な縁でこうして混ぜてもらった私は感じずにはいられなかった。込められた愛を。
子、そして家族への思いは、こうして料理の中に込められ、そして食べる本人が気づかないうちに、体や心を形成していくための栄養となるのだろう。なんて尊いのだろう。
そう思うと、なんだか私も無性に熊本の母の料理が食べたくなった。
 

ソンチカのペチェンカがくれたもの

私が今これを書いているのは中南欧の小さな国、スロベニア。
世界で唯一、国名の中に“LOVE”の文字が含まれているという。

SLOVENIA。

ここから、これから、この国の愛や魅力にあふれたお話を紹介していけたらと思います。
 

ソンチカのペチェンカがくれたもの

Posted by 美月 泉

美月 泉

▷記事一覧

Izumi Mizuki
人形劇パフォーマー、人形制作、俳優。熊本県出身。2015年よりスロベニアの首都リュブリャナにてシリコンを使った人形・映像制作のチームに所属し活動中。日本では大人も子供も見られるヘンテコかわいい人形劇の活動をしています。人間と、その周りに在るモノや生き物たちが持つ物語に、日々目を凝らし心躍らせて生きています。