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パリで生きるファッションデザイナーとしての決意 Posted on 2019/12/27 佐藤 康司 デザイナー パリ

自分の夢が将来の目標となったのはいつだろう。憧れが、自分を生かす希望になったのはいつだろう。子供の頃見た夢は形を変え、様々な思いを重ね、ようやくたどり着いた場所。
ここにも一人、夢を掴むために、日本を離れ世界に一歩を踏み出した人がいます。子供の頃から絵を描くのが好きで、絵を描き続けていたら見えてきた世界がありました。デザイナーの佐藤康司さんは現在、パリで自身のバッグブランドの、LIENDE(リアンドゥ 『—との縁、絆』という意味を持つ仏語からの造語)を立ち上げ、活躍中です。
 

パリで生きるファッションデザイナーとしての決意

渡仏したのは1998年、フランスがワールドカップで優勝した年だった。

ついこの間のような気もするけれど、もう19年もの歳月が流れた。
フランスはその間にEUに加盟し通貨もフランからユーロに、携帯電話やパソコンが普及して社会も大きな変化を遂げた。
そんな時流とともにデザインの仕事の仕方も随分変わってきた。
仕事を始めた当初は、デザイン画はもちろん、平面デッサンやプリント柄、刺繍柄も全て手描きだったので良く腱鞘炎になった。しかし、今は、イラストレーターやフォトショップでの仕事が増え、同じように手を痛めている。
 



モード業界で働き始めてまだ間もない頃、エルメスでマルタン・マルジェラのアシスタントをしたことがあった。
彼と働いた時期はそんなに長くはないけれど、20代前半の僕にとって刺激的な毎日となった。

彼のブランドのコンセプトやステッチアイコンのアイディアなどを1年以上の時間をかけて入念に仕込んだ話を直接聞けたこと。
ファッションショーにはプロのモデルを起用せず、一般女性に声をかけ、面接では彼女たちの過ごしてきた人生に耳を傾け、外見ではなく内面の美しさに服を纏わせることに神経を注いでいた。 
洋服のディテールを決める際にも、自分自身の考えは中心にしっかりと持ちつつ、研修生も含めた多くの人の意見に耳を傾け、吟味したのち最善の方法を選択する。

穏やかでインテリジェンスなその佇まいとは裏腹に、いつもあくなきチャレンジャーであった。
彼の姿勢はデザイナーやディレクターとして仕事をする上での僕の指針となり続けている。
 

パリで生きるファッションデザイナーとしての決意

他のブランドには無いものを創り出す。
新しいフォルム、パターン、プリント柄、テキスタイルを考える。一つの洋服を世に出すためには、本当に色々な人々の協力が必要となる。
皆のそれぞれの経験と知識を総動員し、今までとは違うことに挑戦し、試行錯誤を繰り返し、やっと納得のいく商品が完成し販売に至る。
良いものが出来れば必然的にそれだけ値段も上昇する。その付加価値をお客さんが理解し、購入してくださる。
その収入がまた次への更なるクリエーションへと繋がっていく。

ところがこういうこれまでのファッションの道理がファストファッションの出現によりあっけなく崩壊した。
クリエーションの中心として、新しいことに挑戦する人たちを擁護し支え続けてきたこのファッションの都、パリでさえ、その流れに逆らうことが出来ず飲み込まれてしまった。
 

パリで生きるファッションデザイナーとしての決意



機能性や低価格の追求、ラグジュアリーブランドのコピーが中心のファストファッションブランドにおいては、デザイナーの個性は殺され、極度に制限された範囲内でしか仕事ができなくなってきている。
昔ながらの純粋なデザイナーであることが難しくなった。そのうち過去のトレンドの歴史やデザイン情報、型紙などをインプットしたAIが割り出すデザインに支配され、全て事足りるようになるかもしれない。
そうなったらこの分野でのデザイナーやパタンナーはほとんど必要なくなるだろう。

消費者にとって安いものは有り難いけれど、お店に足を運ぶワクワク感や、購入時の達成感や嬉しさは激減することになると想像する。
現代人の多くはそういう付加価値みたいなものをもはや洋服やファッションには求めていないのかもしれない。
ワンシーズン使い捨てになってしまうような物だけが世の中に氾濫すること、これは、ものづくりをする人間としてはどうしても避けたいことなのである。
 

パリで生きるファッションデザイナーとしての決意

これから自分が目指すところには広大な市場はないだろうし、ビジネスとしてやっていくのは厳しいのかもしれない。しかし、それは伝統と同じく決してなくなってはいけないものだと信じている。
そして自分の周りの挑戦をし続ける人々と共に、触って、身につけて嬉しくなるようなものを提案していきたい。

渡仏してこの19年、本当に色々なことがあった。しかもここ数年はさらに社会情勢や経済が不安定になってきている。それでもフランスから世界へ変わらぬファッションの情熱を届けていきたい。

それが僕の仕事なのである。
 

パリで生きるファッションデザイナーとしての決意

Photography by Takeshi Miyamoto
(except the last photo)

 



 
 

Posted by 佐藤 康司

佐藤 康司

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Koji Sato
デザイナー。1976年生まれ。新潟市出身。98年に渡仏。Academie Internationale de Coupe de Parisモデリスト科を首席で卒業。YVES SAINT LAURENT HAUTE COUTUREのタイユールのアトリエで研修後、 HERMÈSで当時クリエイティブディレクターだったマルタンマルジェラ氏に師事。2001年よりMICHEL KLEINのアシスタントデザイナーに。アパレル、アクセサリー、テキスタイル、刺繍、ライセンスを担当。2010年よりデザインディレクター兼コレクション責任者に就任。2017年4月にパリで株式会社CREAFIDEMSを立ち上げ、現在様々なプロジェクトを進行中。