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“ 相手がロボットであって欲しくない理由 ” 一緒に考えたいこと。 Posted on 2018/01/21 ヒルトゥネン 久美子 通訳、プロジェクト・コーディネーター フィンランド・ヘルシンキ

一昨日、フィンランドのTV番組で日本の幼稚園で試験的にロボットを導入し、園児と遊んだり、お昼寝時の体温測定など保育士さんの仕事負担を軽減する試みをしている場面が放送されました。 
その翌日からは、仕事で訪問した高齢者介護施設の行く先々で、フィンランド人の口からはロボットが人の代わりをすることについて日本人はどう考えているのか、意見を求められました。
「いや……。日本全体がこうだとは思わないでほしい。これはほんの一部でしょう。そんな世界にはならないと思いますよ」と同行した日本視察団の方々はおっしゃいました。もちろん、そう思いたいです。
その背景には、ロボットは人に代われない、代わって欲しくない、やはり人間同士のスキンシップや生きた心を通わせて共に過ごすことの大切さを尊重したい。ロボットでは寂しい。いろいろ理由はあると思います。
ですが、その本当の思いを私たちは、しっかり声にして、発信しているでしょうか?
声にしていかない限り、“なんとなく気がついたら、そんなことになっていた……” と、いつものパターンで流されてしまわないでしょうか? 現に確実にいろいろなロボットタイプが人とのコミュニケーションのために、そして生身の人間の代わり(モデル)として登場しています。
 

“ 相手がロボットであって欲しくない理由 ”  一緒に考えたいこと。

 
人間の作りだすテクノロジー。その開発の中身とスピードは想像をはるかに超えるものです。今の時代、不可能なことはない? 問題解決のために、次から次へと新しいものが生み出されます。
でも、私は皆さんに問いたいのです。
なぜ、その問題が起ったのでしょう? そしてその原因は改善されたのでしょうか? それこそが問題解決と思うのですが、なんだか、問題はそのままで、その不都合をとりあえず隠すために、新しいテクノロジーやメソッドを作り出し、覆いをしているイメージを持ってしまうのは私だけでしょうか?
保育士さん不足の助けとして遊び相手になってくれるロボット? 認知症の方には介護士の表情や反応により傷つく方がいるので、常に穏やかなロボットとの会話が安心? 怪しい人が多いので、小学生の防犯ベルは当たり前? 問題の本質を忘れていないでしょうか? 何か原因を改善するためにできることはないでしょうか?
 

“ 相手がロボットであって欲しくない理由 ”  一緒に考えたいこと。

昨年後半、福祉先進国と言われるフィンランドで「高齢者福祉テクノロジーと介護」をテーマにしたセミナーに参加する機会をたくさんいただきました。
北欧全体、そして多くのヨーロッパの国々が最新のテクノロジーを利用し、高齢者福祉の現場を支援しようとしています。ですが特徴的なことは“テクノロジーは高齢者や介護スタッフの日常生活の質を維持・支援するために検討・開発されるものであり、決してテクノロジーの更なる開発のために利用されてはならない”という視点でした。
テクノロジーを開発しようと思えば、技術的に不可能なことは何も無くなってしまう時代が来るかもしれません。そして、いろいろなことが簡単で楽になるでしょう。でも私たちが望んでいることは、それだけであって欲しくないと願います。
私たちが幸せに生きるということって、どういう事でしょう? 幸せの本質をも、今改めて一緒に考えたいと思うのです。人それぞれに違って勿論いいと思うのです。 
でも、少なくとも、皆さんに考えてもらいたい。「そういう時代になりましたね〜」と他人事のように自分の生きている時代を過ごさないで欲しいと心から思います。
 

“ 相手がロボットであって欲しくない理由 ”  一緒に考えたいこと。

昨日訪ねた高齢者施設の施設長は「私のお尻はロボットには拭かせないわ!」と言って笑っていました。また、ある福祉テクノロジー開発部門の技術者は「優れた、成功したテクノロジーの使用例は “人の陰に隠れて” 利用されること」と言い切りました。つまり人がテクノロジーやロボットに仕事を任せて日常生活からいなくなるのではなく、日常生活の質を保ちながら生きる人がいて、その陰にそれを支えるテクノロジーが存在するということです。
話し相手、遊び相手、健康チェックを人に代わってロボットがしている間に、保護者や関係各所に提出する決まりになっている園児や高齢者の様々な記録を、未だに手書きでするスタッフの方々。その膨大な量の仕事こそを改善するべきではないでしょうか?
 

“ 相手がロボットであって欲しくない理由 ”  一緒に考えたいこと。

ロボティックスとIT利用が人類に欠かせない時代である事は間違いありません。
ですが、時代は変化しても、多少の不器用や不便さは人らしさとして受け入れて、人間であるがゆえに体験できる、複雑で弱々しく、また繊細で愛らしい心の交流ができる、社会や環境が存続し続けて欲しいと心から望みます。
テクノロジーで人の心を完全に満たすことはできないと私は信じています。形や行動を管理できていることに安心を覚えず、そこに生きる自分の心がどう語るかに耳を傾けたいと思います。そして身の回りの小さな幸せに鈍感にならないように心がけたいです。

やっぱり、どんな時でも楽しい会話を返し続けてくれるロボットよりは、静かにハグしてくれる人にそばにいて欲しいものです。
 

 
 

Posted by ヒルトゥネン 久美子

ヒルトゥネン 久美子

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通訳、プロジェクト・コーディネーター。KH Japan Management Oy 代表。教育と福祉を中心に日本・フィンランド間の交流、研究プロジェクトを多数担当。フィンランドに暮らしていると兎に角、色々考えさせられます。現在の関心事はMy Type of Lifeをどう生きるか、そしてどう人生を終えたいか。この事を日本の皆さんと楽しく、真面目に、一緒に考えていきたいです。