PANORAMA STORIES

海のない街のサーファーが教えてくれたこと Posted on 2017/04/17 溝口・シュテルツ 真帆 編集者、エッセイスト ドイツ・ミュンヘン

海のない街のサーファーが教えてくれたこと

ミュンヘンの街を歩いていて、おや、と思うことがある。

ミュンヘンはヨーロッパ大陸のほぼ真ん中に位置し、一番近いアドリア海までも約300km、遠く離れている。
それなのに、たまに「いま海からあがってきました」といった風情に髪を濡らし、サーフボードを抱えた若者が、ひょい、と地下鉄に乗り込んで来たりするのだ。
 

海のない街のサーファーが教えてくれたこと

アイスバッハという川がミュンヘン市街を流れていて、サーフポイントとして人気を集めている、と知ってさっそく見物に行ってみたのは、2013年の2度目のミュンヘン来訪時だった。
クリスマスの直後で、ただ外を歩いているだけでも指がかじかんでしまうような気温のなか、果敢に波に挑む彼らの姿は、控えめに言っても衝撃的なものだった。

以来、いまでも、近くを通りかかることがあればこのポイントに足を伸ばして、ときには小一時間もサーファーたちの姿を眺めるのが楽しみになった。

もちろん腕に覚えがある人はだれでも参加してかまわないという。
一度、ここの“常連”のドイツ人の若者と話をしたことがあるが、「海とは勝手が違って難しいんだ。だから面白い」と白い歯を見せてくれた。
 

海のない街のサーファーが教えてくれたこと

さて、私がなぜこんなにもこのサーフポイントを気に入っているのかというと、そこには微妙な心の動きがある。

かつて一度だけ、もといた会社の同僚に誘われてサーフィンに挑戦したことがある。よりにもよって真冬、千葉の御宿だった。サーフィンに憧れを抱きつつもなかなかきっかけのなかった私はふたつ返事で誘いに乗り、何万円もかけてウェア一式を買い揃えた。

サーフィンは難しいスポーツ。私は何回も派手に波に飲まれ、ほとほと嫌になった。それでも、海のあとのハマグリの網焼きと生ビールはたまらなく美味しかったし、いつかまた挑戦したい、そう思っていた。

けれども、それから10年はたっぷりたってしまったが、私が再びそのウェアに腕を通す機会はついに訪れなかった。ウェアはクローゼットの片隅にずっと所在なさげにぶらさがっていたが、ドイツへの移住の際、ついに友人にあげてしまった。

そしていま、軽々と波に乗るサーファーたちを目前にしてみると、一度は抱いたはずの「もう一度挑戦したい」という思いは、もうすっかりどこかへ消えてしまっているのである。
 

海のない街のサーファーが教えてくれたこと

まだ30代半ばで何を、と言われるかもしれないが、年を重ねるということは「もう叶わないこと」「あきらめなければならないこと」が増えることでもある。
小学校2年生のとき、町のバレエ教室で軽やかに踊る友人を見ながら、「私はバレリーナにはなれない」とはっきりと悟って以来、この思いが頭から離れることはない。

気の多い私は、夢も多い。
でも、オリンピックの金メダリストになるのをあきらめて、ピアニストになるのをあきらめて、マノロ・ブラニクをはくのをあきらめて。何回も、自分の人生にはどうやっても叶わないことがあると思い知らされてきた。

もちろん、なにかをあきらめたときにはちくっと胸が痛むもの。自ら望んだとはいえ日本の暮らしをあきらめざるを得ないいま__ もちろんその代わりに手にしたものはかけがえのないものばかりだけれど__ ちくっとどころではなく、胸をしめつけられるような思いになることも、たまにはある。

そんなとき、アイスバッハに出かけて、軽々と波を乗りこなすサーファーたちの姿を眺めて、「これは、私にはもうぜったいに無理だ!」と爽やかに思い知らされるのは、胸がすく。
「あきらめよ、そしてあなたの道を進めよ」と、濡れそぼった彼らに背中を押してもらっているような、そんな気がするからだ。
 

海のない街のサーファーが教えてくれたこと

Posted by 溝口・シュテルツ 真帆

溝口・シュテルツ 真帆

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Maho Mizoguchi Stelz
編集者、エッセイスト。2014年よりミュンヘン在住。自著に『ドイツ夫は牛丼屋の夢を見る』(講談社)。アンソロジー『うっとり、チョコレート』(河出書房新社)が好評発売中。巡礼路を歩く旅がライフワークで、『Huffington Post』『YOUNG GERMANY』にサンティアゴ巡礼記連載中。日独間の翻訳出版エージェント業にも携わる。