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「世界最初のライン生産工場」アルセナーレにヴェネツィアの真価を見た Posted on 2018/01/23 吉田 マキ 通訳・コーディネーター ヴェネツィア

1月中旬のヴェネツィアは、1年でもっとも静かな時といえる。
人の少ないヴェネツィアを体験したい人には、この時期がお勧めだ。水上バスも寺院にも並ばずに済む。ただし、霧の日は多く、二週間前後の休みを取っている店も少なくない。年末年始に仕事をした人の遅い休暇と、設備の点検や修繕に当てるためだ。そうこうするうちに、怒涛のようなカーニヴァルがやって来る。
 

「世界最初のライン生産工場」アルセナーレにヴェネツィアの真価を見た

<霧のヴェネツィア>

 
 
そんな静かなヴェネツィアの中でも、冬は特に人通りの少ない東の端にアルセナーレはある。
アルセナーレ(arsenale)というイタリア語は、元々はアラブ語由来のヴェネツィアの言葉だ。
ヴェネツィア共和国がここに、造船とそれに搭載する兵器などの工房と機能を集約させたのが1104年。それが「兵器工場、兵器庫」という意味の言葉に広まっていったのだろう。
 

「世界最初のライン生産工場」アルセナーレにヴェネツィアの真価を見た

<アルセナーレ正面エントランス>

 

「世界最初のライン生産工場」アルセナーレにヴェネツィアの真価を見た

『アルセナーレ正面エントランスの風景』 カナレット
1732年 47㎝×78.8㎝ キャンバスに油彩 プライベートコレクション

 
 
最盛期には船大工だけで1万人を超え、その他にも溶接工、鍛冶屋、砲弾や火薬の職人、ガレー船のオール、帆船の帆布やロープ作りなどの職人がここで働いていた。
ライン生産の原型ともいえる、完成された部品を効率よく配置し製造するシステムが確立されていて、1日に1隻のガレー船が作れたという。
ヴェネツィア商人に欠かせない商船や、軍用船がここで作られた。商船でも、海賊の襲撃に備えて一通りの武器が積まれていた。
この巨大で、軍事機密が集まる施設の運営には、6人の監督官が倉庫の鍵の保管や夜間の警戒に交代で当たった。技術的な面は、工場長に相当する人物が、たくさんの親方衆を束ね統括していたらしい。
 

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<アルセナーレの一部>

 
 
「アルセナロッティ」は、アルセナーレで働く工員達のことだ。彼らは、有事には戦闘員となり、平時でも、大規模な火事などには即座に駆け付け市民を守る、「消防団」のような任務も持っていた。アルセナーレの近くに住んで、異変の報告が義務づけられていた。許可なしでの外国移住は禁じられていたし、機密を漏らした者は、厳罰に処せられた。
一方で、給料は終身、病気やケガで働けなくても収入は保証されていた。住宅やワインが無料で支給されるなどの特典もあったという。大評議会の護衛や、ブチントーロ(元首お召船)の漕ぎ手など、近衛兵のような名誉もアルセナロッティには与えられていた。
 

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<19世紀の船>

 
 
いつの世でも人材を確保するには、それなりの魅力を提供する必要がある。報酬だったり、名誉だったり、安定といった要素だ。でなければ、優秀な人材から逃げられてしまう。
ヴェネツィアの上層部は、人の心理を読み「おトク感」を付加するのに長けていた。また、アルセナロッティのような工員も、私営の工房の職人も事務方にいたるまで、上のやり方が割に合わないと思えば反発し、合うと思えば納得して働いた。皆が常に収支のバランスに敏感な、商人のメンタリティを持っていたのだと思う。
自分が儲けるだけでなく、相手やまわりをも豊かにしていかなければ、長期的な繁栄はない。それは、個人も店も国もおなじだろう。ヴェネツィア商人というと、歴史上とかくネガティブに描写されることが多いが、実際のヴェネツィアは、そういう「企業努力」を怠らなかった国なのだ。
現在のヴェネツィアで観光客を相手に商いをしている人々に、かつてのヴェネツィア商人の気質は、残念ながら感じられない。
 

「世界最初のライン生産工場」アルセナーレにヴェネツィアの真価を見た

<アルセナーレを囲む壁>

 
 
1797年、ナポレオンが侵攻し最初にしたことは、アルセナロッティを解散させブチントーロを焼き払ったことだという。ヴェネツィア人の心を砕くには、とても効果的で理にかなっている。
アルセナーレは、海洋国家ヴェネツィアの文字通り心臓部であった。実際ここは街で唯一、高い壁に囲まれている施設である。
今も周辺には、「錨の小路」や「瀝青(コールタール)の小路」、「甲冑の路地」「盾の橋」など、船づくりや武具などに関する名前が残り、昔日の活気を想像することができる。
 

「世界最初のライン生産工場」アルセナーレにヴェネツィアの真価を見た

<「甲冑の路地」を示す表示板>

 
 

Posted by 吉田 マキ

吉田 マキ

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Maki Yoshida
神戸出身。90年にイタリア、ペルージア外国人大学留学。彫刻家および弦楽器創作アーティストのイタリア人との再婚により、娘を連れて2003年よりヴェネツィア在住。夫の工房助手の他、通訳、コーディネーター、ガイドなど。