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『海よ、我は汝と結婚せり』~海と結婚したヴェネツィア~ Posted on 2017/06/15 吉田 マキ 通訳・コーディネーター ヴェネツィア

『海よ、我は汝と結婚せり』~海と結婚したヴェネツィア~

フランチェスコ・グアルディ『センサの祭りの日、ブチントーロの出発』1766年 
キャンバスに油彩 66×100 ルーブル美術館蔵

 
永遠の海洋支配と海に働く者の加護を祈念する、「Festa della Sensa」(センサの祭り)は、キリスト昇天祭後の日曜日に行われる。

10世紀、アドリア海を航行する上で、ヴェネツィア人の悩みの種は海賊であった。これに終止符を打つべく、第26代ドージェ(元首)が西暦998年にイストリアとダルマツィアを支配下においたことを記念して、1000年から始められた。今もこの街にとって最も重要な行事の一つである。
 

『海よ、我は汝と結婚せり』~海と結婚したヴェネツィア~

ヴェネツィア市長、総大司教らが乗る「現代版ミニブチントーロ」

 
正装したドージェがブチントーロという緋色のガレー船でリド島の沖へ向かい、『海よ、我は汝と結婚せり。永遠に汝が我とあるように』と、海に指輪を投じる。今はそれに似せた縮小サイズの船で、市長がヴェネツィアと海との結婚を宣言する儀式だ。  

『カノッサの屈辱』からちょうど100年後の1177年、西ヨーロッパ全体を巻き込んで長く対立していた、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(赤髭王)と、ローマ教皇アレクサンデル3世を、ヴェネツィアの調停で和解させた事があった。この仲介に感謝して教皇が指輪を贈って以来、「海に指輪を投げる」という儀式が加わったらしい。
 

『海よ、我は汝と結婚せり』~海と結婚したヴェネツィア~

海に指輪を投げる市長。写真はcomune di veneziaより

 
1797年ヴェネツィア共和国は終焉を迎え、ナポレオンの指示でブチントーロは焼かれてしまい現存していない。が、結婚するくらい海とは切っても切れない関係のこの街には、今でもたくさんの種類の伝統的な船がある。その中で一番知られているのがゴンドラだ。

昔はゴンドラの中央部にフェルツェと呼ばれる小さなキャビンがあり、乗客は雨や風を凌ぐことができた。色も装飾も様々だったが、豊かさを誇示する道具としてサイズもエスカレートしていき、狭い運河の通行の妨げになったため、1562年に色は黒、長さ11mと定められた。

そのゴンドラを漕ぐ人を、ゴンドリエーレという。かつて、富裕層にはお抱えのゴンドリエーレがいて一万艘ものゴンドラがあったが、今は430人ほどがライセンスを持ち、各々がゴンドラを所有している。
この街を舞台とすると、決して欠かせない役者である彼らに対して、地元の人々は冷やかだ。「さも街の主のような顔をして」と軽く舌打ちさえする。
相当良いだろう実入りに対してのやっかみだけでもない。

大声で話す、喧嘩っ早い。観光客相手に法外な料金を取ったりする。
収入として彼らが申告している額を誰も信じていない。まあ、悪く言われるのも無理はない。
 

『海よ、我は汝と結婚せり』~海と結婚したヴェネツィア~

昔のキャビン付きのゴンドラ

 
最近は料金表の明示を義務付けたり、各ゴンドラにナンバープレートを付けたりして、「ぼったくり」はずいぶん減ったようだ。ボーダーのシャツに黒のズボン、日焼けした肌に金のネックレスを光らせ、仲間内でしゃべりながらスイスイとお気楽に見える彼らだが、船を操るテクニックは決して侮れない。

ゴンドラは、船の最後尾の左側に立って漕ぐ。ゴンドラに限らずこの地方の漕ぎ方の特徴は、「立って一本の櫂で前方を見て漕ぐ」ことである。浅瀬の島々を移動するのに、底の平たい小舟で前を見て、障害物を避けながら漕ぐこのスタイルが適しているためだ。
水上には信号もセンターラインもない。とりわけ大小の船がひしめき合う大運河では、まわりの船の向きや速度、それらの起こす波の大きさを瞬時に予測し、潮の高さや風に応じて、船を動かす。これはモーターのある船も同様なのだが、ゴンドラはそれを櫂一本で調節する。
乗る人や見る者には、それらを一切感じさせずに、ただ滑るように進む。
シンプルなものほど使いこなすのは難しいが、一度体得したら応用がきく。自動運転と対極にあるものだ。
 

『海よ、我は汝と結婚せり』~海と結婚したヴェネツィア~

船の左側で漕ぐゴンドリエーレとアコーデオン奏者と歌手が乗るゴンドラ

 
ゴンドラに歌手がアコーデオン奏者と乗り込んで、「オー・ソーレ・ミオ」や「フニクリ・フニクラ」を歌うのをよく見る。それは例えば、京都桂川で津軽じょんがら節を聞いて悦に入るようなもので、奇妙な光景なのだが、外国人にとってイタリアに来た感慨が増すのだろう。リクエストの多くは有名なナポリ民謡だ。

そのうち機会があるかと思いながら、実はまだ一度も乗ったことがない。ナポリは見たが、近くて遠いゴンドラにも、死ぬまでには乗ってみたいと思っている。
 

『海よ、我は汝と結婚せり』~海と結婚したヴェネツィア~

サンマルコを出発した市長を乗せた船と、それを取り囲む様々な種類の手漕ぎの船

 
 

Posted by 吉田 マキ

吉田 マキ

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Maki Yoshida
神戸出身。90年にイタリア、ペルージア外国人大学留学。彫刻家および弦楽器創作アーティストのイタリア人との再婚により、娘を連れて2003年よりヴェネツィア在住。夫の工房助手の他、通訳、コーディネーター、ガイドなど。