PANORAMA STORIES

To マンハッタン、from 笹塚 Posted on 2017/09/14 渡辺 葉 作家・米国弁護士 ニューヨーク

マンハッタン、朝

わたしの職場は、マンハッタンの法律事務所である。地下鉄駅から一ブロック、ブロードウェイを横切り、ロックフェラー・センターの手前のビルの回転扉をくるくると通り抜ける。
朝、こうして天井の高いホールを横切っていく一瞬に、「今日もがんばろう」と気持ちが引き締まる、その一瞬がわりと好きだったりする。
この秋は特に…足下を、世界に一つの、素敵な靴が守ってくれるから。
 

To マンハッタン、from 笹塚

笹塚の靴職人

履き心地がよく、スタイリッシュで、疲れない。そんな靴に巡り会うことは滅多に無い。十年以上前に何気なく買った靴がそんな一足だった。
その靴を買ったブランドではもうこのデザインは作っていない。気をつけて履いていたけれど、やはり傷みは免れない。こんな靴を作ってくれる靴職人さんいないかな…。
そう思っていたら、なんと! 帰省中の東京で、そんな職人さんに巡り会うことができた。
 

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笹塚駅から昔ながらの商店街を抜け、閑静な住宅の中に「The Shoe Workshop」がある。靴職人、末光宏さんの工房だ。

予約して訪ねると、おおらかな笑顔で迎えてくれた。足の長さと幅を計るだけかと思ったら、甲の高さ、足指一本一本の方向、左右それぞれの足にどんな風に体重がかかっているのかまで、細かく採寸し、観察し、記録してくれる。
 

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壁に並ぶ道具たちは、靴作りに使うものだ。「今ではこうした道具を手に入れるのはなかなか大変なんです」と末光さん。彼が修業をした欧州でも、靴を手作りで作る職人は希少価値になっている。
道具は親方から弟子に引き継がれるため、独立系の職人がこうした道具を手に入れようとすると、骨董市で巡り会う幸運を待つしかないという。

末光さんは長身で足のサイズも大きい。青年時代、なかなか履きたい靴に出会えなかった。23歳のある時、たまたま靴工場の裏で靴の材料の革の切れ端があったのを見て「そうか、靴って作れるんだ」と思った。
それまでは、一つの仕事に打ち込むより、お金を貯めバックパッカーとして世界を旅する生き方を選んでいた。その行動力は、「靴を作ってみたい」と思った時、彼自身も予期しなかったパワーを発した。
インターネットがなかった時代。産業組合の掲示板から靴メーカーを探し、コネも経験もなかったが、情熱が認められ入社を果たした。最初に配属されたのは、職人さんやパタンナー、企画との連携の仕事。靴作りの技術を身に付けたい。夜8時までは会社の仕事をし、8時から11時までは工場で独学させて欲しい。そう社長に頼み込んで、夜遅くまでたった一人、試行錯誤で学んだ。

靴作りの世界に入ってから一年余、もっと基本から体系的に学ぶため、英国ノーザンプトン州にある、トレシャム・インスティテュートに留学した。靴産業の盛んな地域だ。この学校にはフットウェア専門コースがあり、靴作りの技術から経営までを学んだ。
英国修業で基礎力をしっかりつけたものの、現在の末光さんの丁寧な採寸やビスポーク(顧客の足の形や好みに合わせてカスタムメイドで作る手法)はさらに、日本や欧州での仕事で磨き上げられていく。
 

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男性の靴と女性の靴では、「女性の靴の方が難しい」と末光さんは言う。

「足を覆う面積が少ないパンプスやヒールのあるサンダルは、それだけしっかりフィットしないと満足いただけないんです」

「靴は木型がすべて。木型が悪かったら、どんな良い材料を使っても良い靴は作れない」

初めは、サンプルを何度も作り直すこともあった。六年ほど前、ローマの靴工房で数ヶ月仕事をした。その時、休暇中にドイツ、ミュンヘンの整形靴(各個人の足の形や症状に合わせて作る靴のこと)の職人の元で研修しながら働いた。
こうした経験の中から、お客さん一人ひとりの足を、骨の向きまで綿密に記録し、左右それぞれの足への体重のかかり方、立ち方・歩き方のくせなどを細やかに観察し記録して木型を調整していく、末光さんの現在のスタイルが出来上がっていった。

末光さんの工房、The Shoe Workshopを訪ねてから数週間。「サンプルができました」と、連絡をいただいた。
バックストラップのパンプスは、「本番」が黒の革なので、末光さんはサンプルにネイビーの革を使ってくれた。
履いてみると、左右ともにすんなり足に馴染む。足の形に合わせて作ってもらうと、初めて履いても痛くないのだ! と大きな驚きだった。
 

To マンハッタン、from 笹塚

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もう一つ、ミュールをお願いしてある。元のミュールは既製品で、もう何年も履いているのでパカパカしてしまうのだが、末光さんは足の側面のカーブを微妙に工夫してフィット感を出し、さらに土踏まずのアーチを入れてくれたので安定感がある。それぞれのサンプルをいただき、一週間から二週間ほど履いてみた。履き心地によって微調整をし、本番の靴を作っていただく運びとなる。

サンプルの履き心地を報告し、本番作りに入って三週間ほどで、ついに完成のお知らせが! The Shoe Workshopを訪ねると、末光さんが笑顔で迎えてくれた。
 

To マンハッタン、from 笹塚

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どちらも「履いている」感覚がないくらい足にフィットして、履きやすく、歩きやすい。自分の足の形の木型を作ってもらうところから始まるビスポークの靴は、既製靴よりも当然、値段はかかる。けれど、履いたその日から足にフィットし、疲れにくい靴、かつアフターケアもしっかりしているなら、決して「高い」買い物ではない。

職人さんとやりとりしながら手に入れた、世界でたった一つの靴。末光さんの靴にそっと足を入れると、The Shoe Workshopの、静謐な職人らしさの漂う工房の雰囲気が浮かんでくる。
そして、秋の風が吹きはじめたマンハッタンの摩天楼の谷間を歩きながら、心の隅がほんのり、温かくなるのだ。
 

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Posted by 渡辺 葉

渡辺 葉

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Yo Watanabe
作家・米国弁護士。東京生まれニューヨーク在住。著書に「ニューヨークの天使たち。」「ふだん着のニューヨーク」、翻訳書は父椎名誠と共訳「十五少年漂流記」など多数。2016年から米国弁護士(ニューヨーク州&ニュージャージー州)。