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花の都で花を売る男、谷口敦史の挑戦。その1 Posted on 2018/04/04 辻 仁成 作家 パリ

花の都パリで、しかもフローリストとして成功をおさめるために必要なこととはいったい何か?
その答えがこの人の発想の中にあると思った。会った時の第一印象の平凡さとは裏腹に、話を聞いていくうちに、まず、その発想が面白い、と思った。もちろん、まだチャレンジしはじめたばかりのフローリスト。しかし、そこには古い発想の新しい転換があった。

神戸・芦屋ではじめた花屋が、東京に進出し、そして三店舗目はパリに。この男が成功するのかどうかはわからないが、果敢な挑戦の中に、この時代を生き抜く方法が横たわっている気がしてならない。
ザ・インタビュー。フローリスト谷口敦史の花の都で花を売る! まずは前編!
 

花の都で花を売る男、谷口敦史の挑戦。その1

 
 花屋をされる前は何をされていたんですか?

谷口 敦史さん(以下、敬称略) 僕は映画が好きだったのでお芝居がしたくて、関西から上京して役者を目指していました。その時にたまたま観た『マンハッタン花物語』という映画の主人公が花屋だったので、いいな、モテそうだなと思って、生活していくために花屋でアルバイトをはじめました。その頃、夜間の映像演劇養成所のようなところに通っていたので昼間は働けたのです。

 お花の勉強はしたことがなかったのに、どうして花屋を生業にしようと思ったのですか?

谷口 その時アルバイトをした花屋さんでいろいろ教えてもらいました。芝居の方が忙しくなって一度花屋のバイトをやめたのですが、その後、芝居をやめることになって、東京にいる意味もなくなって、故郷である関西に戻って仕事をしよう、と思った時に、自分には花屋の仕事が一番向いてるかもしれないと思いました。実家のある和歌山の花屋を探し始めたんですけど、あまり良いところが見つからなくて。じゃあ、自分でやろうと思いたちました。憧れのフローリスト(花屋、フラワーデザイナー)もいたので、彼らの花を見て勉強しながら、自分が「これだ」というテイストを確立させたくて、神戸を拠点にネットショップを立ち上げ、ブーケを作り始めました。

 それはいつ頃の話なのですか? 特に修行などはせず、いきなり立ちあげちゃったんですね!

谷口 そうですね、18年くらい前のことです。その頃、辻さんの『嫉妬の香り』を読んでコンセプトに影響を受けています。僕の花屋の名前は『Iilony(アイロニー:皮肉。表面的に演じて本心を隠す、などという意味)』というのですが、この言葉はお芝居をやっている頃から好きな言葉で、いつか何かで使いたかったんです。花屋の屋号にするには個人的すぎるかなとちょっと躊躇したのですけど。

 谷口さんに会った時の印象ですけど、やはり花屋の人って感じがしますよね。そして話していると、お芝居が好きだったけど挫折したっていう感じも持ってる。なんか、全身から溢れてる(笑)。

谷口 挫折というか、主役で舞台をやらせてもらった時に、あっ、これは俺のしたいことじゃないやん。って気づいたんです。人の人生を生きるの興味がないというか、自分が大好きなので。
 

花の都で花を売る男、谷口敦史の挑戦。その1

 
 そうは言いつつ、この20年弱で花屋を3店舗も展開できてるってすごいですよね。ガッツがあるんですね。

谷口 おかげさまで、なんとか。失敗することは構わないと思っているので、とにかく何事も挑戦してみたいと思ってやっています。

 まずは、芦屋のお店をオープンさせた時のお話を聞かせてください。資金はどうしたんですか?

谷口 公庫や親にすこしずつ借金をしました。小さい物件だったので花屋の上で生活しながら、そんなに資金をかけずに始めました。その頃は、ただお花の仕事で生活していければ良いかなと思っていたので、2年目ぐらいまでは1日に3万円の売り上げが出ればもうそれで十分暮らしていけてたんです。独身でしたし贅沢もせず、毎日同じ生活をしていました。花を仕入れて、売って、夕方になったら店を閉めて、家に帰ってご飯を食べて、DVDを借りて映画を観ながらお酒飲んで寝るという生活。だけど、やはり競争心のようなものもあって、あの花屋は良い花屋だなとか、もっと良い花、自分が好きな花を使いたいと思うようになるんですけど、関西だと良い素材はまず大きいお店に回ってしまって、小さい花屋の元には買えなかったりするんですよね。問屋さんともよく喧嘩しました。でも、やはり素材の仕入れも含め、良いものを作るには自分の店を大きくするしかないと思い、ちょっとずつ頑張っていきました。そんな時、高級ジュエリーブランドの「カルティエ」から装花のお仕事が入りました。カルティエというのは関西では一番お花に予算をかけているブランドなんです。ブティックにはいつも一番新しいテイストのお花が置かれていて、ずっと憧れの仕事でもありました。

 そんなラッキーがいきなり降ってきたんですね。

谷口 きっかけは、当時、日本のカルティエブティックのVMDの偉い人がたまたま芦屋に住んでいらして、たまたま、僕が装花を頼まれていた紅茶屋さんのお花を見てくれたことです。そこから、カルティエのブティックの装花をやってみない? という話に発展しました。ちょうどお花のテイストを変えたいという時期だったようで。お花の世界って女性的な ”かわいらしい世界” が一般的だったんですけど、僕はちょっとモードなスタイルというか、当時は他の店がしていないこと、前衛的と言える花を生けさせてもらっていたので、新しいことをしてくれるのではないか、と思ってくれたみたいです。

 そんなご縁があって、カルティエの仕事をすることになるのですね。

谷口 はい。デパート内の店舗は全国で統一したテイストの花を飾らなければいけないけど、路面店だけは違うことをやってもフランスからも何も言われないだろうということで、そこをまずやってみることになりました。今思うとすごく思い切った花を入れたなと思うんですけど、「好きなことをしていい」と言ってもらったので週に2回生けさせてもらっていました。そしたら、他のデパートの店長さんたちも気に入ってくれて、関西のデパートにあるカルティエ6店舗全てを担当させてもらうようになりました。そうすると、カルティエのブティックのお花は他のブランドも注目しているので、「カルティエの花がアイロニーに変わったらしいよ」という噂も流れ、他のブランドからもお話が来るようになりました。
 

花の都で花を売る男、谷口敦史の挑戦。その1

花の都で花を売る男、谷口敦史の挑戦。その1

 
 どうして東京にお店を出したのですか?

谷口 大阪で仕事をしていて、ときどき大きなイベントがあったりすると、東京から企画が下りてくるんですね。それで、「東京ではこういう花を飾っているから、このデザインを再現してください」と言われるんです。だけど、今の季節だったらこっちの花の方がいいのにと思ったり、僕もまだ若かったので、東京の花屋より僕の方が良いのにと生意気なこと思って、それなら自分で東京にお店を出せばいいと思うようになりました。それと、カルティエ、ティファニー、ハリーウィストンなどの高級ジュエラーというのはお抱えの花屋を持っていて、年間でいうとかなり大きな額がお花に費やされているんですね。たとえば、顧客のお誕生日にはお花を贈る。大顧客になるとお誕生日に数ブランドからお花が届くということもあります。そのお花の担当をアイロニーが関西に支店のあるジュエリーブランド数社から頼まれるようになって。軌道にも乗ってきたし、東京に小さいけど場所はいいという物件を見つけたので、お店を出す決意をしました。

 東京にお店を出したはいいが、なかなか思ったようにうまくはいかなかったそうですが。

谷口 そうなんです。その時ちょうどリーマンショックがあって、ジュエリーブランドの仕事が半分ぐらいに減ってしまって……。厳しかったですね。それをカバーするためにスクール事業に力をいれました。でも、東京に店を構え、東京の仕事をするようなったら、今度はフランス・パリの仕事を見せられて、「ベルサイユ宮殿のソワレがあったのだけど、この感じを東京で再現して欲しい」などと言われるようになるんです。日本のお花の世界って、頭にパリがあって、東京があって、大阪__。という順番になっていて、そのやり方にはずっと疑問を持っていました。

 それなら、自分がパリに行けばいいと?(笑)

谷口 はい(笑)。パリって僕らの規模のような小さな花屋も高級ブランドと対等にクリエーションすることが認められてるんです。大きいメゾンであっても、大小、有名無名に関わらず個人のクリエーションの評価で仕事が決まるという感じがあった。日本での仕事はというと、「フランスが一番」なので、その真似をさせられる。アーティストとしての仕事ではなかっので、こういうのを続けていくのは花屋の仕事にとってベストではないと思ったんですよね。季節も違うし、花自体ももっと良い花があるのに、と。でも、僕らがいくらそれを指摘しても、たかが日本の小さなお花屋さんと言われてしまうだけなので……。自分たちが美しいなと思うものを気持ち良く喜んでもらうために、まずは自分たちのブランドのテイストを確立して、対等にならなければならない。そのために、パリにお店を出すのが一番の近道かなと思いました。日本でももちろん世界的に認められているフローリストはいるんですけれど、僕はどちらかというとアーティストとしてというより、「アイロニー」として認められればいいなと思っていたので、店を出すことを優先しました。
 

花の都で花を売る男、谷口敦史の挑戦。その1

後編へつづく

 

posted by 辻 仁成