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糸の声が聞こえる! 若き日本人テーラー、鈴木健次郎 Posted on 2017/05/10 辻 仁成 作家 パリ

パリに自身の路面店を開店、欧州、中東、日本など、世界中の顧客を持つ、日本人テーラー(タイユール)の鈴木健次郎氏。この成功の裏側には、血と汗の努力、そして嫉妬との格闘があった。
上下関係厳しいタイユールの世界で、上り詰めれば詰めるほどにいじめられ、鬱になり、嫌がらせと戦いながら、しかし最後は実力でそのどん底から這い上がった真実のテーラーに、今日までの苦闘の日々を語ってもらいました。

ザ・インタビュー、「糸の声が聞こえる! 若き日本人テーラー、鈴木健次郎」をお届けします。
 

糸の声が聞こえる! 若き日本人テーラー、鈴木健次郎

 鈴木さんは昔エコーズを聞いてくれていたそうで(笑)。

鈴木 健次郎さん(以下、敬称略) 一番生意気だった頃、19歳の時よくエコーズ聞いてました。当時60年代のTHE WHOなどを聞いていたのですが付き合っていた彼女の影響でパンクを聞き始めました。その後「実は日本のパンクもかっこいいのよ。エコーズはいい歌詞だよ」と勧められてエコーズに出会いました。

 大変恐縮ですが(笑)。 それとタイユールの仕事は関係ないですよね(笑)。

鈴木 関係ないですね(笑)。

 でも、どうしてパリに来て、モデリスト養成学校 A.I.C.Pに入ったの?

鈴木 日本で専門学校を卒業したあとにアパレルの会社にメンズパタンナーとして入社したんですけど、日本のアパレル会社に失望がありました。私の中では洋服の型紙は手で作るものと思っていましたが、その会社ではコンピューター上で作っていて、できるだけ無駄をなくしていく作り方でした。とてもマニュアル化された工場生産で、効率的に作っていく作り方に疑問がありました。美しいラインを追求するというよりは、効率だとか縫いやすさだとかそういう方向での服作りというのを入社してすぐに感じて、漠然とですが何か違うと感じていました。その時に、海外経験の豊富な先輩女性から「鈴木君はパリに行った方がいいよ、日本の物作りとは合わないかもね」と言われて、そのまま真に受けて、結局3ヶ月で会社を辞めてしまいました(笑)。 その後まずは、自分でコレクションをやろうと思って自宅でデザイン画を描き始めていました。

 先輩にそう言われてさっさと決断しちゃったんですか?

鈴木 若くて単純でしたから(笑)。

 人から言われてふっと行ってしまうというのは若さなんですかね。

鈴木 そうですね。会社は辞めたんですけど、フランス行くにはお金を貯めないといけないので、いろんなことをしてお金稼いで、その間に作品を作ったりしていましたがなかなか上手くいかない。そんな時にその先輩と久し振りに会うことができ、自分のブックを見てもらったんですね。私の作品を見てもらったあと彼女自身の作品を見せてもらったんですけど、そこで見たデザインの力っていうのが物凄かった。あぁ、自分が知っているデザインって、デザインじゃないんだ、みたいな。美しさの結晶というか、ピュアさ、純粋性の高さにびっくりしました。自分が今まで見てきた日本のデザインとは全く異なり、始めて鳥肌が立つ感じというのを味わった。すごく衝撃を受けたのを覚えています。その彼女から東京コレクションで作品を発表するから一緒にやらないかと誘われました。自分の作品とのレベルの差をはっきりと感じましたし、ぜひ一から勉強したいと思い参加させて頂くことになりました。結局5年間くらい東京コレクションに出すお手伝いをしましたが、その間にも海外、特にパリでの経験のある方々と出会う機会がたくさんあり、彼らの影響を受けてどんどんパリに行きたいなという思いが募りました。

 なぜロンドンじゃなかったんだろう? テーラーといえばロンドン、サヴィルロウというイメージがあるけど。

鈴木 その5年間の中、海外経験のある多くの方と出会えたことが一番大きかったと思います。周りから、物作りをするなら絶対パリだよとも言われていて、その影響があってパリに行くと決めたんだと思います。
型紙を作るモデリストという仕事をやってと頼まれたけど、求められるレベルがすごく高かったので、「綺麗じゃないから作り直して欲しい」と何度も言われました。当時私しか型紙を作る人間はいませんでしたので、誰も教えてくれず、とにかく悩みながらやるしかなかった。結果、いくら作っても完成できないという状態が5年続いて自身のコンプレックスがすごく高くなりました。できない、作れない、作れても満足できないということに悩み、結果パリで本当の服作りを学びたい、と強く願うようになりました。
だから、初めはテーラーになりたいという思いはなくて、むしろ一人前に型紙を作れるモデリストになりたかった。そんな思いの中、妻と一緒にフランスに渡ったんです。フランスに来てみて初めてテーラーの魅力を見つけて、そちらに方向転換したという感じです。
 

糸の声が聞こえる! 若き日本人テーラー、鈴木健次郎

 パリのモデリスト養成学校のA.I.C.Pに入学して、まずボタンホールを作って校長先生に見せに行ったんですよね?

鈴木 はい、そうです。入学したその日に、放課後先生のところへ行って、「どうしてもパリで働きたい、そのためにはどうしたらいいですか!?」と。私と妻は一人350万円くらい貯め、自己資金で来ていましたから時間が限られていた。学校を卒業してずっとパリにいられるほどのお金は無かったので、とにかく切羽詰まっていました。でも、そういう生徒ばかりなので、まずは勉強しろと言われましたね。相手にしてくれなかったのですが、最後に自分が手で作ったボタンホールを見せたのですね。120個くらいあったのかな? アドバイスはもらえなくても、これを見て欲しいって。校長は一つ一つ手にとってじっくり見てくれて、とても感心してくれました。その後は、街中の電話ボックスに入ってイエローページの”タイユール(テーラー)”の部分を全て書き留め、妻と一緒に片っぱしからボタンホールをもって、プレゼンして歩きました。フランス語もできなかったので、必要な単語だけ覚えておいて。ボタンホールを見せると、「大したもんだ!」と褒められるのですが、労働ビザが無いと言うと雇ってはもらえませんでしたね。でも、行くことで何かしらのアクションがあり、前進することができました。それを随時先生に報告しながらパリのテーラー20数件全部回った。その頃には校長先生も、この子本気なんだって思ってくれるようになり、いっぱいアドバイスをくれるようになりました。今思うと、自分の行動力が先生を動かしたのかなとも思いますね。

 そこを卒業した後はどうなるんですか?

鈴木 校長先生は、Francesco Smalto フランチェスコ・スマルトが世界一のテーラーで、そこ以外はテーラーではないと言っているほどなんです。ランバンとスマルト以外は行く必要ない、と。学校を半年終えると2ヶ月研修できるという資格がついてたんですが、先生の紹介でスマルトへ行くことになりました。でも、そこでは労働許可証はもらえなくて。いろんな会社を探していたら、いきなり校長先生から電話がかかってきて、「明日、朝9時にランバンに行け。裏口のエレベーターから6階に行くとフェリッチェって人が待っていて、君は言われるがまま研修しなさい」とか、「タリス(新幹線)を予約しておいたから、明日ベルギーに行って、ブリュッセルの駅に降りたら、そこで君を待っている人がいるから彼の指示に従って」ということが何度もありました。

 素晴らしい人だね。そういうフランス人がたまにいるよね。たしか、学校は首席で卒業したんですよね?

鈴木 はい。その最後の試験でモデリストの国家資格が取れるんですけど、その1週間前にエグザマン・ブランという抜き打ちテストがあるんです。それが試験当日の課題と酷似しているらしいんですけど、私も含め生徒たちは知らされていない。その抜き打ちテストの少し前に違う練習をしていて、あまりにも急いで縫っていたので指まで縫っちゃったんですよ。ミシンの針が爪と指を貫通して。その時も校長先生に助けてもらって治療はしてもらえましたが、手が全く服を縫えない状態になってしまったんです。先生からは、いくら君でもこれでは受からない。試験を延期したらどうだ、と言われました。全然腫れが引かなくて縫えない状態でしたので、先生としたら言わなかったけれど、最後のエグザマン・ブランをしてないと本試験に受かるのは不可能だという意識があったんですよね。でもそのまま試験を受けて、その結果いい成績が出せたんです。合格証書を一人ずつ校長先生からいただくのですが、その時嬉しくて「受かりました!」と伝えたら、ただ一言「C’est normal Monsieur Suzuki.(鈴木君、君が受かるのは)当然だよ」と言われた。それがすごく嬉しかったですね。ありがたくて。本当に嬉しかった。

 いい言葉ですね。とてもフランス人らしい。本当は心配していたんだけど、君の実力なんだから通って当たり前だよ、心配なんかしてなかったってね。教え子に対する愛情の深さがすごいね。
 

糸の声が聞こえる! 若き日本人テーラー、鈴木健次郎

鈴木 この間、その校長先生が勲章を受賞されて、その授与式に呼んで頂いたんです。その時はパリのオートクチュール協会の会長やプレタポルテ協会の会長が来られていて、その方々に私を紹介してくれたり。でも一番びっくりしたのは、受賞の挨拶をされた時「今日集まってきてくれた皆さんに感謝します。一人、紹介したい人がいます。たった一人の力でフランスにお店を開いて頑張っている日本人テーラーがいる。彼に同様の拍手を送ってほしい」と言ってくださって。もう、びっくりしました。

 すごいことですね。もちろん、ここまで来たのは鈴木さんの努力の成果だけど、そうやって支えてくれる人がいるっていうのは素晴らしいことです。特にフランスは差別もありますからね。

鈴木 ありますね。スマルトで研修を受けた後に老舗テーラーに入社しました。校長先生の紹介で、”カッター”、要は責任者として採用してくれるというテーラーもあったんですが、ただ、私はこちらで”縫い”を学んでるうちに、フランスの縫いの深さを知って。1回カッターになると、もう縫い子には絶対に戻れないので、今、ここで縫いを学ばないといけないと思ったんです。だからその老舗テーラーに入りました。ただ、入る時に将来はカッターに昇格するという了解の上で入ったんです。なのに1年半経っても、2年経ってもパターンさえ触らせてくれない。そろそろカッターをやらせて下さい、と言っても、ずっとたぶらかされて。でも、しつこく7回くらい主張したんですよ。そしたら、「言いたくないけどはっきり言う、パリではまだまだアジア人に対して人種差別があるから、君がカッターになったらうちの客がいなくなる。でも、うちだけじゃないぞ。ランバンだろうと、シャネルだろうと、所謂グランドメゾンという場所で君がカッターになったら客がいなくなる。だから、理解してうちで縫い子を続けろ」と言われました。
私はその時、ちょうど父の他界も重なって落ち込んで……そんなの嘘だって思って。また昔みたいに型紙とか服をもっていろんなテーラーを回り始めました。でも、結局カッターではどこにも雇ってもらえなかった。
そしたら、ある夏の日にまた校長先生から電話がかかってきて、「鈴木君、暑いだろ。縫い子のアトリエはクーラーないだろ。カッターになったらクーラーのある場所で仕事できるんだからいい加減に縫い子はやめなさい。階級が違うんだから」と話されたんです。

 階級が違うか……。日本人からするとちょっと想像しにくいけれど、フランスもイギリスもいまだ階級社会の名残りがあるものね。階級が違うんですね?

鈴木 違いますね。ロンドンのサヴィルロウなんかだと、カッターと縫い子では話す英語も違いますし、住むところもニュースペーパーも、何もかも違う。それで校長先生に、そうなんだけど、日本人だからダメだと言われてるんだ、と話したら、また激怒して。
なぜかというと、校長先生のお父さんは全世界テーラー協会の会長だった人なんですよ。ド・ゴール元大統領のお抱えテーラーでもありました。そのお父さんが世界から集まる優秀な職人を育てていたそうなんです。先生もその人たちと一緒に育ってきて、当時腕のいい日本人テーラーもいっぱいいたのをよく知っていたんですね。だから、君が日本人という理由だけでカッターになれないとしたら、自分や父親がやってきたことを全部否定することになる、と。もう、俺がカッターの場所を探すからと言ってくれました。でも、いくら校長が電話をかけても、だいたい一軒のメゾン35〜40人の職人に対して、カッターはたった1人しかいないんですよ。カッターになればみんな引退までカッターを務めるし、ただでさえ空きがない場所で、外国人ということもある。でも、校長は7ヶ月もの間、スマルトにモンプチジャポネ(私のかわいい日本人)をカッターにして欲しいとお願いし続けてくれて。そしたら、ある時スマルトのカッターが病気で入院してしまって、そこであの日本人雇ってみるかということになり、8ヶ月目にしてやっとチャンスをもらえることになりました。

 スマルトに。カッターで入れたんですね!

鈴木 そうなんです。そうなんですけど、学校を卒業した時にもともと縫い子の研修生でスマルトに2ヶ月いましたから、戻ってきた私を見て、昔の仲間たちが再会を喜んでくれたわけなんですが、今回、自分はカッターで入ったと言った途端、徐々に態度が変わりました。「オーラーラー、ケンはカッターだってよ、すげえなあ」みたいな態度でふざけんなって感じになって。ものすごい嫉妬でした。俺たち40年カッターになりたくてもなれないでいるのに、しかも俺らが教えた奴がカッターになるなんて絶対認めない、って。挨拶しても返事もないし、チョークの粉を投げられたり、何回も中指立てられて出て行け! って言われたり、あからさまな嫌がらせをされましたね。でも、そこで5年勤めました。地獄の5年です(笑)。

辻 え! まじで? 5年も我慢したの!? すごい、、きついことだらけだね、君の人生!

鈴木 その時は本当にきつかったですね。父が他界したことと、差別されたことなんかが重なって、鬱になったんですよ。でも、精神科へ通うにも治療費が高過ぎて、その時は私1人の安い給料で妻と2人暮らしていたので、とてもじゃないけど通えないから自分で鬱を治すことにしました。7年くらいかかって(笑)。

 いやぁ、ボロボロだねぇ。

鈴木 もう悲しみのどん底みたいに。私の父親っていうのは、もうめちゃくちゃな人だったんですけど、裸一貫で生きてきたような人だったんですよね。だから、辛い時いつも父親だったらこの状況をどうするんだろうって、自分をいつも父親に置き換えていたんです。絶対できないわけないって。そうやっていろんなことを乗り越えていた時に父の訃報が届いて。3年くらい会ってなかったんですけど、兄から連絡があって、その日の夜の便で帰国したら父が葬儀場で冷たくなっていて。触っても冷たい、周りを見たら嘘泣きをしてる人たちがいたり。最悪の状況でしたね。フランスに戻っても差別にあうし本当にしんどかった。

 でも、ひょっとしたらここフランスで、鈴木さんが日本人で初めてカッターになった? 

鈴木 そうだと思いますね。

 それはとても名誉なことだよね。でも、そんな激しい嫉妬の中でよく5年も続けたなあ。

鈴木 ひどかったですね。私も辞めたかったんですけど、意地悪なチーフが、ここをやめたら労働ビザの更新はできないし、スマルトのカッター以上のポストはないってわかってて嫌がらせをしている感じでした。

 今はその人どうしてんの?

鈴木 クビになって消息不明みたいです(笑)。
 

糸の声が聞こえる! 若き日本人テーラー、鈴木健次郎

 では、その後の話を聞かせてください。

鈴木 早くその会社を辞めたくて、独立しようといろいろ努力していたんですけど、働きながらだとなかなか時間がなくて広がらなかったんです。独立するにはかなりな数の注文数が必要ですのでこのままじゃダメだと思いました。
それで、毎年夏休みに日本へ帰るたびに、なんとか日本でマーケットを広げたいと思って、いろいろな方に作品を見てもらっていました。ある年の夏、今年こそ勝負しようと思い、東京のセレクトショップのバイヤーさん達に連絡を取り、パリから作品の写真を郵送したんです。
それから直接自身の作品を見てもらいました、すごいたくさんのお店を妻と回りましたね。

 大変だね……(笑)。

鈴木 ただ、まず誰もスマルトを知らなくて。テーラーって言ったらイタリアかイギリスでしょ、なんでフランス? みたいな。スマルトはイタリア人ですけど、会社はフランスなんですね。世界一高いスーツはフレンチェスコ・スマルト。王族や国家主席御用達で、私がスマルトにいた頃は某国王が年間500着頼んでいたり。でもそうした事実は日本では全く知られていなかった。だからお店の方に「スマルトで働いていて…」と言っても「はあ?」みたいな応対で。結局どこのお店からもいい返事はもらえずでしたね。お店を散々回った後、妻が『もう惨めだからやめようよ、私たち必要とされていないんだから』って。私ももう諦めようかなとは感じていましたが、どうしても独立したかった。スマルトを辞めたいというのもありましたが、とにかくパリで独立したかった。それで、いろいろ悩んでいた時に、Kさんという方と出会って、相談しているうちに洋服関係者の方がよく見るサイト内にブログを書くチャンスを頂きました。そこで1年間、何故スマルトが世界一と呼ばれているかなど、パリのテーラーリングについてわかりやすく書いていきました。
バイヤーの方たちもイタリア、イギリスブームに飽きていたときなのかも知れません。ブログを多くの方に読んで頂き興味を持っていただけるようになって。それで、その1年後の夏、洋服関係の方100人以上集まって頂きパリのテーラーリングについてトークショーをすることが決まりました。それがすごく喜ばれて、某有名百貨店の方から直に話を聞きたいと言ってもらい……。その時の私はもうプレゼンの仕方を研究していたので(笑) 1時間もらえればフレンチテーラーリングについては全て語れた。Kさんと一緒に東京、大阪、京都、神戸をプレゼンテーションして回り、その甲斐あって最終的に某百貨店から受注会の約束を頂けました。ここが独立のタイミングだなと確信しましたね。パリに戻って、すぐにスマルトに辞表を出しました。
 

糸の声が聞こえる! 若き日本人テーラー、鈴木健次郎

 それは何歳くらいの時に?

鈴木 今から6年くらい前だから、34、5歳ですね。それから2年間自宅でやっていて、その後お店を開いてからは4年になります。

 独立してからはどうですか?

鈴木 最初はすごく大変でした。結局、技術不足で(笑)。

 え、技術不足??

鈴木 私、スマルトのカッターとして年間700着、すべての型紙を担当していたんですね。5年間で約3500着の型紙をやっていたから自信はありました。だけど、問題は、会社がカッターをお客様に直接会わせないシステムでやっていたんですよ。カッターにお店で仮縫いやフィッティングをさせないんです。なぜかというと、普通、カッターの仕事というのはお客様の採寸をし、型紙を作り、フィッティング(仮縫い)をすることなのですが、それをやるとお客様と直接コンタクトを取るわけですよね。顧客名簿を盗んで独立されるケースが多いんです。だからスマルトではそれを避けるために、型紙をする人間とフィッティングする人間を分けていた。
私は型紙を作る技術は高かったと思うのですが、フィッティングの経験がなかったから最初は悩むことが多かったです。スーツを作ることはできるんだけど、納得がいかない。採寸して型紙作って、それで3ヶ月後にそれを日本に持ってきてフィッティングするわけですが、嫌なシワができてて……。当時の私のスーツの販売価格は110万からという価格でしたし、販売員さんからは鈴木先生なんて言われてしまう……。内心は、フィッティング中、どう体型に合わせて行くか冷や汗かいてました。わからないことだらけで最初は怖かったですね。

 鈴木さんは今40歳。ここまでの人生、鬱にならざるを得ないですね。笑
それでも、まだ40歳という若さでここまで来たのはすごい。パリにいるデザイナーとかって偽物だらけ。「パリ」を利用する人が多い中で、ここまで努力したっていう事実がある。やきもち焼かれるかもしれないけど、それ以上の努力をしているから。あなたは本物だと思います。

鈴木 ありがとうございます。

 すごいなぁ。僕もお金持ちだったら王様みたいに500着買いたいよね(笑)。 今お店ができて4年目で、顧客も多くなってきて、日本のお客さんもいらっしゃるだろうし、フランスのお客様もいる。割合的にはどれくらいなんですか?

鈴木 今は半々くらいですかね。フランス人が口コミで増えてきて、でももっと増やしていきたいですね。

 コピーの上手な日本人デザイナーがパリを売りにして日本人向けに商売している中で、鈴木さん頑張ったね。噂を聞きつけたスマルト社から、ぜひ戻って来てくれないか、とか言われません?

鈴木 いや、ないですね。辞めてから1回もスマルトに戻ってないです。ゼロ(笑)。

 校長先生とは会ってるんですよね?

鈴木 はい。ヴォークレー校長先生には日本からのテレビ出演依頼とかがありましたら必ず出演をお願いしていまして、それをすごく喜んでくれています。数多くの卒業生を送り出してきたけど、君みたいに、この人のおかげですって何度も言ってくれる人はいない。嬉しいって。
 

糸の声が聞こえる! 若き日本人テーラー、鈴木健次郎

 僕は鈴木さんに出会ったこの何ヶ月間で、”真面目さ”というのを感じてますけど、ここからだね。フランスに根ざして、大樹にするには10年後とか? 50歳、60歳の鈴木さんを見てみたいな。特にテーラーとしては70歳くらいの鈴木さんをみんな楽しみにしてるんじゃないでしょうか。

鈴木 ある程度できるようになってくると、お金、ビジネスの方に走るテーラーさんを多く見ますが私は全然そこに興味がないんです。もちろん会社経営をしているので、フランスの税金は高いし、社会保障もとんでもなく高い。だから、会社規模を大きくするためには常に注文をもらい続けなくてはいけない。そういう緊張感は常に持ち続けていながらも、もっと利益を上げていきたいというのはあまりなくて。それよりも、最近、なんか生地の、糸の声みたいなのが聞こえるようになってきたんです。ただひたすらに綺麗なものを作りたいというか。

 糸の声?

鈴木 そうなんですよ。服って横の糸と縦の糸がありますよね、それをミリ単位で注意深く合わせていくと、どんな体型の人も美しくなるポイントがあると思っています。それを見つけるのはとても難しい。

 それはフィッティングの力ですか?

鈴木 カッティングとフィッティング、2つの力です。縫いの力もあります。そのパーフェクトな状態に持って行った時、ある瞬間、服が不思議と光るんですよね。ふわっと浮き上がる感覚っていうか。本当に。美しさの結晶のようになるというのでしょうか……。そんなのが何度か続くと、もう、やめられなくなる、中毒みたいな。クリエーションの喜びみたいなものを見つけてしまって、今はどのお客様のスーツもその状態に持っていけるようただただ作り続けたいと思っています。

 鬱からハイへ! みたいな(笑)。

鈴木 そう。それが数年前から見えるようになってきて、それを極めたいって思うようになりました。そこで勝負したい、というのはありますね。

 今後の夢はなんですか?

鈴木 一番身近なのは、まずロンドンで受注会をやってみたい。ロンドンはやはりテーラーの本場で、そこで勝負したい。今もイギリス人のお客様がロンドンから来てくれているのですが、私が向こうに出向いて、サヴィルロウのど真ん中で勝負したいですね。

 すごいね、それはすごい。イギリス人のお客様も増えてるんですね?

鈴木 そうですね。あとは、世界中の王族の方に作りたいです。信じてもらえるかわかりませんが、自分の努力次第で世界一のテーラーになれると信じているんですね、未だに(笑)。

 ここまで来たらいくでしょう!

鈴木 そういう風に言ってるとなんかアホじゃないって思われるかもしれませんが、自分ではできると信じていて(笑) そのためには日々努力と向上心、高い情熱を持ち続けないといけないのはわかっています。

 まあ、いくつかの壁はまた出てくるだろうけどね。でも、大変な5年間を乗り越えたっていう事実があるからね。今日のお話を聞いて、鈴木さんなら世界一になれる気がします。頑張ってください。ありがとうございました。
 

糸の声が聞こえる! 若き日本人テーラー、鈴木健次郎

Photography by Takeshi Miyamoto

posted by 辻 仁成