JINSEI STORIES

滞仏日記「人間はたかだか百年しかこの地球にいないんだよ」 Posted on 2019/09/07 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、僕らは人生というものの中で生を与えられ生きている。この「人生」、読んで字のごとく、まさに、人+生という字で成り立っている。一生幸せに生きる人もごくまれにはいるようだけど、少なくともぼくの周りにいる人たちは、このぼくも含め、凄く悩んで苦しむ人生の局面をいつも通過しながら必死で生きている。若い頃、人生はものすごく長いもので、圧倒されるもので、全貌の全く見えない巨大なブラックホールのように思えてならなかった。その人生を前に多くの人が頭を抱えていた。ぼくもだ。今も、ことあるごとに、抱えている。

しかし、冷静になって、雲の上から、あるいはもっと離れた場所、たとえば銀河系、いや、この宇宙の果てから人間を見つめると、ぼくの人生なんて、この宇宙全体の尺度からすると、たかだか百年程度の期間しか与えられていない小ささであることがよくわかる。蝉の一週間と人間の百年を比較はできないけれど、宇宙規模(宇宙すら尺度の一つに過ぎない)から考えれば、どちらも短いことに変わらない。そういう時間という尺度で測るものじゃないのかもしれない。そもそも人生というものは。

つまり、人間はたかだか百年しかこの地球にいないということなのに、そのたかだか百年の間中、頭を抱えて生きていくのは実にもったいない、という結論に今日ぼくは辿り着いた。銀河の果てからこの人生を見ていると、小さなことでウジウジしているのが本当に馬鹿らしくなる。遅かれ早かれ、この地球から出なきゃならないのに、一生頭を抱えて悩んで苦しんで生きる暇はない。もちろん、だったら犯罪でもなんでもすればいいんだ、というやけっぱちの話ではない。与えられた一生を押し込めるのではなく、解放させたらいいのじゃないか、と思った。そっか、たかだか百年しかこの地球にはいられないんだな、だったら世界中を旅してみよう、と結論づける人がいてもいい。そっか、たかだか百年しかこの地球にいられないんだったら、何もこんな小さな状況にしがみついているのは馬鹿らしいじゃん、という考え方の人が出現してもいいのである。そっか、たかだか百年か、じゃあ、じたばたするのをやめちゃえ。

百年後、ぼくはもうこの世界には存在していないので、今、こうやって考察をしているぼくにどんな意味があるのだろうと考えがちだけれど、逆を問えば、そこには常に「今」があるのだ。つまり、こういうパラドクスの根っこには常にこの永遠なる現在が横たわっている。過去とか未来は頭の中にある。この瞬間を生きる人間の頭の中で生み出されているものが過去や未来なのだ。それも瞬間瞬間で変化していく。動き回る今の中で人間は生きている。今をどう捉えるかでこの世界を実は捕まえることも可能なのだ、ということであろう。考えてみよう。だから、考えるべきだとぼくは言いたい。そして、証明されない矛盾命題に悩んだら、「そっか、人間はたかだか百年しかこの地球にいないんだよ」と口にしてみるといい。限られたこの世界で限りなく生きるために、今、この瞬間をぼくはより切に生きていきたいのだ。 

滞仏日記「人間はたかだか百年しかこの地球にいないんだよ」