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リサイクル日記「パリ左岸裏路地散歩、サンジェルマン・デ・プレ界隈」 Posted on 2023/02/28 辻 仁成 作家 パリ

※ この日記は2021年1月に書かれた日記です。

某月某日、ぼくが暮らすパリ・左岸のこのあたりはかつて大勢の作家や画家やミュージシャンたちが毎晩カフェで芸術談議に明け暮れた地区の一つで、今もその面影が残っている。
今日は仕事が煮詰まったので、筆を置き、サンジェルマン・デ・プレ、オデオン、モンパルナス、の路地裏を歩きながら、写真を撮影した。
写真集を作るわけじゃないのだけど、イメージを心の中にストックするための撮影、…。
午前中は快晴だったのに、午後、ちょっと翳って、いつものどんよりとしたパリに戻ってしまった。でも、暗いパリも好きだ。ひねくれもののフランス人みたいで、…。

リサイクル日記「パリ左岸裏路地散歩、サンジェルマン・デ・プレ界隈」



昔、サンジェルマン・デ・プレで活躍したのが、作家のボリス・ヴィアンで、もう今はないけどタブー「Tabou」というジャズクラブでトランペットを演奏していた。
そう、彼は詩人で作家でミュージシャンだった。誰かに似てる? えへへ。
「日々の泡」という小説がたぶん、ぼくがフランス人作家の本で一番最初にページをめくった本だったと思う。
ぼくが生まれる3か月前に急死している。自分が原作の映画の不出来を怒鳴り散らした直後に、心臓発作で。

リサイクル日記「パリ左岸裏路地散歩、サンジェルマン・デ・プレ界隈」



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ロックダウンになる前、ぼくがたまに通っていたバーがサンジェルマン・デ・プレ交差点のすぐ近くの入り組んだ路地の突き当りにあった。
誰でも入れるバーじゃなくて、誰かの紹介でしか入れない。
オードレイという女流詩人が経営していたバーだった。
ぼくのフランス語がちょっと上達したのは、そこで作家や詩人らとくだらない話しをしたからじゃないかな、…。
パリは看板を出していない、変な店がいっぱいある。
誰かに呼ばれたら、ちょっと顔を出し、たまにギターを弾いてやったりした。
写真家のピエールがぼくの「ボレロ」が好きで、「ギターを持ってこい」とよく電話がかかって来た。
弾き終わるとなんとなく激論になる。フランス人は議論好き。
最初は音楽の話しから始まるのだけど、理屈っぽい連中ばかりだから、意味もない会話が、あっちへ行ったりこっちへ飛んだり、…。やれやれ。
「マイルス・デイビスを一番最初に評価したのはフランス人だ」と、彼らは自慢する。
マイルスもサンジェルマン・デ・プレ界隈で演奏したことがあるらしいし、ルイ・マルの「死刑台のエレベーター」の音楽を担当している。
なんと、映画のラッシュ・フィルムを見ながら、即興で録音したというのだから、カッコいい。ボリスもトランペットを吹いていたから、もしかしたら、二人はデ・プレ界隈のどこかですれ違っていたかも…。
ぼくの携帯にはマイルスのアルバム「Round About Midnight」が入っている。それを聞きながら、今日はひたすら歩いた。

リサイクル日記「パリ左岸裏路地散歩、サンジェルマン・デ・プレ界隈」



サンジェルマン・デ・プレ教会の前を抜け、そこからオデオンに抜ける裏通りがとっても絵になる。
古いモノクロの映画のようだし、ポストカードのようだ。
画廊とか、小さなビストロとか、画材屋とか、ぽつん、ぽつんとあって、オデオンのギャラリー街まで続いている。
パリで一番古い友人の写真家、サイクサ・サトシがやってるDa・Endというギャラリーの周辺がまた面白い。
こんなもの誰がコレクションするのかと思うようなガラクタ芸術を扱ういかがわしい画廊もあれば、由緒ある画廊まで、軒を連ね鬩ぎあっている。
いまも活気があるし、不穏だし、この辺を散歩するだけでも気分がワクワクする。
ちょっと、サトシの顔を見てから、オデオンの方へ抜けてみるか。
※この9か月後、サトシは急逝した。悲しかった。ぼくにとってサトシは左岸の顔だった・・・。

リサイクル日記「パリ左岸裏路地散歩、サンジェルマン・デ・プレ界隈」



オデオン周辺はもう、地元みたいなカルチエ(地区)で、パリに一番最初に移り住んだ時の、最初のアパルトマンがここにあった。
この辺りの裏路地、まじ哀愁がある。
この辺は出版社が多い。ぼくの作品を最初に手掛けてくれたメルキュール・ド・フランス社もこの路地の先にある。
とにかく、狭い路地を歩くと、そこにパリのアートの息遣いが横たわっている。古書店とか、古道具屋とか、客が来るのか心配したくなるような、そういう店ばかりだけど、…。
一歩、踏み込むと、えええ、ここはどこ? と思うような凄い世界が広がっているよ。

リサイクル日記「パリ左岸裏路地散歩、サンジェルマン・デ・プレ界隈」



そしたら、ばったり、知り合いの、名前は思い出せないけど、古書店の店主と交差点でかち合ってしまった。
やあ、どうしているの、と言われ、名前が思い出せないから、なんとか生きてるよ、と返しといた。向こうもぼくの名前を思い出せない。顔に出ている。笑。
10年くらい前に何度かカフェで談議したことのある程度の知り合いだ。
思い出せない者同士だから、笑いながら、別れたけど、別れる寸前、大変な時代になったよね、と言ったら、それも人生だよね、とその男が肩を竦めながら言ったのが印象に残った。
そうだ、昔、彼の古書店でよく古い新聞を買ったっけ。
今もいっぱい持っている。これこれ、なかなか素敵でしょ。こういう古い何でもないものを集めるのが大好きなんだよね。

リサイクル日記「パリ左岸裏路地散歩、サンジェルマン・デ・プレ界隈」



気がつくと、モンパルナスのヴァヴァンまで歩いてしまった。
この辺りもサンジェルマン・デ・プレに負けないくらい名だたる芸術家たちがかつていた。
有名なカフェが軒を連ねている。
ラ・ロトンド、ル・セレクト、ラ・クポール、ル・ドーム、…。
ぼくはよく、ル・ドームに行って、スズキのグリルを注文した。皮パリでめっちゃ美味しい。
ここのやり方を真似て魚を焼くようになった。19年前に。笑。
1920年代、狂乱の時代、エコール・ド・パリの芸術家たちが群れていた場所だ。
モディリアーニとかピカソとか、そうそうたる顔ぶれの芸術家たちが屯していた場所だけど、今は、普通。
もう、そういう芸術家もいないし、モンパルナスタワーが聳えていて、あまりに庶民的な場所になった。
ぼくはだいたい素通りしてしまう。

リサイクル日記「パリ左岸裏路地散歩、サンジェルマン・デ・プレ界隈」



でも、帰り道、シェルシェ・ミディ通りのイタリア人が経営する食品店で、オリーブオイル、ケッパー、ペティヨン(泡系)の白ワイン、を買った。
サンジェルマン・デ・プレのスーパー、モノプリの肉屋で分厚いステーキに肉を買った。
ここはボンマルシェの高級食品館よりちょっと安くて、美味しい食材が揃っている。
お惣菜のコーナーが結構、充実しているのだ。何を買おう!!!

リサイクル日記「パリ左岸裏路地散歩、サンジェルマン・デ・プレ界隈」



コロナ以前は観光客でごった返していたけど、今はガラガラ。
ぼくにとっては楽園だけど、経営は厳しいのだろうね。
さて、そこで買ったお肉をこれから調理することにする。
いかがでしたか? パリ・左岸散歩。
いつか、サンジェルマン・デ・プレで会いましょう。

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