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滞仏日記「あのロックダウンからまもなく一年を迎えようとしている、今日」 Posted on 2021/03/04 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ふと気がついた。
最後に風邪をひいたのはいつのことだろう。
前は、3か月に1度は風邪をひいていたような気がする。
でも、コロナ禍になってから、少なくとも、2020年は1度も風邪をひかなかった。
今年もひいてない。多分、最後は2019年の秋とか夏とか? 
手洗い、マスク、いわゆる感染症対策をしっかりやってきた結果であろう。
銀行に税務署から送られてきた小切手を入金しに出かけたら、交差点にテントがあり、PCR検査をやっていた。
保険証(カルト・ヴィタル)を見せたらだれでも受けられる。
うちの近くの薬局に買い物に出かけたら、「はい、コロナ検査の方はこちらでーす!」と薬局の人が大声をはりあげた。3人のマダムがすすすっと奥の部屋へと消えて行った。
そこかしこで検査をやっているので、当然、感染者数も増える。でも、まぁ、今のところ、追跡も出来ているようだし、とりあえず、感染者数は、大きく増えず大きく減らず、でなんとなく今は一定している。

滞仏日記「あのロックダウンからまもなく一年を迎えようとしている、今日」



知り合いのレストラン関係者たちが、
「4月中旬くらいから、もしかするとランチだけでも営業出来るようにかもしれない、という噂があるんです」
と言い出した。
政府の広報担当官、若き32歳のアタル君もテレビで、
「4月中旬には以前の生活に多少戻れるかもしれないから、今は、厳しくても頑張りましょう」
と力説していた。
でも、ここのところ晴天が続いているので、どこもかしこも物凄い人出。
とくにセーヌ川の川岸は、身動きがとれないくらいの若者たち、イメージとしては正月の初もうで状態である。
大学生とか若者たちは逃げ場がないのでそういうところに集まっては仲間たちとわいわい楽しんでしまう。
ま、人間を、特に若者を、いつまでも狭い部屋に閉じ込め続けることは難しいだろう。

滞仏日記「あのロックダウンからまもなく一年を迎えようとしている、今日」



そういえば、今日は何組か、堂々とマスクをしないで歩いている人たちとすれ違った。
一組は親子連れだったし、一組は中年のカップルだった。
何か、意思のある抵抗という印象を受けた。警官たちがいる前を普通に歩いていたのだ。
去年の3月17日、いきなりフランスは全土でロックダウンとなった。
あれからもうすぐ一年になろうとしている。
あの頃、ぼくの周囲の者たちは「来年の今ごろは世界は元通りになっているはずだ。だから頑張ろう」と励ましあっていた。
確かに感染はある程度鈍化してはいるものの、しかし、収束からは程遠い状態である。
有効と言われているワクチンも、変異株にどこまで対応できるのか分からないし、悲観的な意見を述べる専門機関も多い。
来年以降もまだこの世界はコロナを封じ込めることが出来ない可能性がある。来年の今ごろ、ぼくがマスクを付けてない可能性はどのくらいだろう。

滞仏日記「あのロックダウンからまもなく一年を迎えようとしている、今日」



ぼくは、ロックダウンから一年目の今、一つだけ自分の中で決めたことがある。
それは世の中が収束宣言をしても、マスクと手洗い、そして感染症対策を今まで以上にとり続けるということだ。
笑われても、ぼくは罹らないように最大限の努力をし続ける。
たぶん、この世界の半分くらいの人はぼくと同じように警戒を続ける人たちじゃないか、と思う。
そして、残り半分は若い人たちを中心にコロナを風邪のようにとらえて、元の世界に戻ろうとするはずだ。
それは仕方ない。みんな考え方、生き方、年令、人生が異なるからである。
ただ、ぼくはマスクと共に生きる道をこれまで以上に徹底していく、ということである。
ぼくは歌い、料理をし、小説を書かないとならない。肺の機能低下、味覚の消失、脳の病など、コロナの後遺症へも警戒しておく必要がある。
コロナウイルスは変異をし、ワクチンをすり抜ける術を持って、人類と鼬ごっこを繰り返すはずである。まるで、意思を持っているかのように。

滞仏日記「あのロックダウンからまもなく一年を迎えようとしている、今日」



今日、大学生たちと対話をする機会があった。
学生たちは対面授業がなかなかできなくて、厳しい状況下に置かれている。
オンラインではあったが、ぼくは10人ほどの学生たちに、このような世界でどうやって生きていくべきか、について話した。
未来に対し悲観的な子はいなかった。
彼らは若いので、ぼく以上に、あらゆる環境に順応する力を持っている。
ぼくの役目は彼らの声に耳を傾け、こういう状況下でどうやって生き抜くかべきか、いくつかの道を示すことでもあった。
1時間ほどのミーティングだったけれど、ぼくはいつになく、熱く語った。
終わる頃には、学生たちの眼光が画面ごしにきらきらと輝いて見えた。
人間は新しい環境を作る天才でもある。
その可能性を、チャンスを引き出すのがぼくの仕事かもしれない、と今日、思った。
まずはぼくがこの時代に対応し、この時代を生き抜く新しい創造性と勇気を持たなければならない、と思った。

「死にたいと思ってもいい。でも、死んだらダメだ」
とぼくは伝えた。



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