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退屈日記「最近、パリで相次ぐ、コロナ・ドタキャン」 Posted on 2021/04/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、最初の水漏れが起きてから、すでに2年が経つけど、壁がいつまでも乾かないので、工事が出来ないままだ。
その間に他4か所で水漏れが起き、漏電騒ぎまであって、さすがに、壁が崩壊した中で2年も暮らし家賃は普通に払い続けているのだから、まったく納得いかない。
「壁を乾かすことを考えてよ」と大家に苦言ぶつけたら、「おっしゃる通りです」と2か月ほど前に、壁を乾かすプロみたいな人の派遣が決まった。(遅い!)。
その人物がうちに調査に来ることになっていたのだけど、最初のランデブー(予約)の日に、「都合が悪い」とキャンセルされた。
その翌々週はドタキャン、先月も二回、呆れるくらいの理由でキャンセル。そして先週、いよいよ最終的な凄い電話がかかってきた。
「あの、すいません、コロナに罹ってしまい、うかがうことができません」

退屈日記「最近、パリで相次ぐ、コロナ・ドタキャン」



コロナという言葉に驚いたぼくは、「いいですよ。休んでください」と当然返したのだけど、昨日電話がかかって来て「もう治りましたから、月曜日には行けますが、御都合は?」ときた。
これは嘘だったのかな、と思ったのだけど、本当ならば、めっちゃ怖い。完全に治るまで来てほしくない。
だから、「ぼくは仕事で忙しいので、来月とか、少し先にしてもらおうかな」と返した。コロナが、以前の風邪と同じような扱いになりつつあるのが、気になる。

※そこまで疑うつもりはないけど、もしもどうしてもキャンセルしたい人が「コロナかもしれないんです」と言うと、ぼくみたいな神経質な人間は「来ないでいいですよ、休んでください」と怖いから言うわけで・・・。
後日、どうだったの? となったら、「陰性でした」と言えば、それでおしまいになる。・・・



で、ここ最近、やたら「コロナ言い訳」が増えているのも事実だ。
何かあると、みんな、「コロナです」と言い出した。コロナ濃厚接触者になった、と言えば仕事が休める。コロナと言えば約束破っても誰も文句を言わない。
「すいません、風邪が酷くて」「すいません、インフルエンザに罹ってしまい」と同じレベルになってきたな感が強い。
感染者が一日、5万人、6万人も出るフランスだからこその事態なのだろうけど、怖いから、疑わしい人には来てもらいたくないので、いろいろなことが停滞していく。

退屈日記「最近、パリで相次ぐ、コロナ・ドタキャン」



ラジオの電話相談番組でもこの問題が取り上げられていたけど、襲われそうになった女性が、「コロナですけど」と声を張り上げたところ、男性が逃げ出し、難を逃れたのだとか、・・・あり得るな、と思った。
2年前には考えられなかった出来事だけど、「コロナ」が日常に思いもよらぬ形で関係してきたことがわかる。
きっと、「コロナ・ドタキャン」は今後も増えていくのだろう。

ちなみに、田舎の家の最終工事が遅々として進まないから、工事人のジェロジェロに「どうなってるの? コロナにでも罹ったんじゃないか、と心配してるんだけど」とSMS送ったら、
「いやぁ、ごめんなさい。家族でスペインに旅行してました」
と呆れる奴。ロックダウンはどうなった!?
こっちはオーチャードホールのライブの中止決定で、心も魂も折れまくって対応に追われているというのに、・・・



「仁成は大丈夫か? ライブ残念だったね、苦渋の決断だったけど、でも、それしかないと思う。辻も、コロナに罹らないように気を付けてね」
ECHOES関係の仲間からのメッセージでちょっと心が落ち着いた。
ぼくが今、もっとも心を配って気にしていることは、まずは、コンサート中止の事実や、何より、チケットの払い戻し方法を、購入者全員に知ってもらうことだ。
そして、代替えのライブをパリからやるために、何が出来るか考えることである。
ぼくは絶対、コロナには罹らない。罹るわけにはいかないのだ。ライブをやり遂げ、6月に晴れてワクチンを打ち、いつか日本に戻れる日を心待ちにしている。
まだまだ、この世界がどうなるのか、不安が尽きない毎日なのである。

退屈日記「最近、パリで相次ぐ、コロナ・ドタキャン」



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