JINSEI STORIES

滞仏日記「ぼくが日々恐れているのは、同居人の息子が無症状感染者だった場合」 Posted on 2021/04/18 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ワクチン接種のアプリ予約がなかなかとれない。
どの会場もいっぱいで、一日も早く接種したいのだけど、この様子だと少し先になるかもしれない。
ぼくはファイザーを打つつもりだけど、今日、八百屋のマーシャルが「ファイザーは3回打たないとならなくなるってよ」と言っていた。
3回か、ジョンソンエンドジョンソンなら1回で済む。うーむ。どれがいいのだろう。
もう少し、様子をみることにしようか、と考えながら薬局に顔を出したら、顔なじみの店主、マーガレットが、ムッシュ~、とぼくに笑顔で手を振った。
「はいりました。ついに!」
「え?何が?」
「オトテストです! ムッシュがずっと切望していた!」
「ああ!!!」
自宅で出来るPCR検査キットだ。
「買います」
ということで値段も確認しないで10回分買ったら、60ユーロだった。高っ。
無料という噂が飛び交っていたので、安いと勝手にイメージしていたが、思った以上に高かった。



でも、この検査キットのことはずっとニュースでやっていた。かなり精度がいいらしい。
遊び歩いている息子がどこかで感染し、自宅にウイルスを持ち帰ったら、とそのことが一番の気がかりでもあった。
なので、自宅で検査が早くできるようにならないか、ぼくは心待ちにしていたのである。

家に戻ると、早速、袋を破って、中身を取り出してみた。
トリセツも付いていたけれど、ネットで調べたら動画があがっていたので、それでやり方をチェックした。
まず、長い綿棒を自分で鼻の中に深く入れる。ぼくは日本に戻る度、喉のお医者さんでいつも声帯の検査をしている。一応、歌手なのだ・・・
その時、必ず、胃カメラみたいなものを喉から挿入される。それが、結構、深く入るのを知っている。頭の中にその知識があるので、怖くもないし、痛くもなかった。
一応、両方の鼻の穴をやった。癖になりそうだ。結構、好きかもしれない。

滞仏日記「ぼくが日々恐れているのは、同居人の息子が無症状感染者だった場合」

地球カレッジ



採取が出来たら、次に、検査水の入っている容器のふたをあけ、そこに綿棒を10秒以上浸す。浸すというか、ぐるぐると回し、液体の中にウイルスがちゃんと混ざるようにしなければならない。
そしたら、そこに専用のジョウロのような器具を付ける。

滞仏日記「ぼくが日々恐れているのは、同居人の息子が無症状感染者だった場合」



さて、抗体検査や抗原検査などでよく使う白いプラスティック製の検査器を取り出し、その穴の中に、採取液体を2,3滴入れる。
そして、10分待つのだ。で、線が一本だったら、陰性。二本だったら、陽性ということになる。
もちろん、ぼくは陰性であった。よっしゃ。
パリの街角のテントでやっている検査方法と何ら変わらなかった。
ぼくが空港で受けた検査より、ちゃんとしている、気がした。
ぜんぜん本格的なキットじゃないか。多分、正式の検査キットなんじゃないかな、と思った。

滞仏日記「ぼくが日々恐れているのは、同居人の息子が無症状感染者だった場合」



ぼくは検査キットをテーブルの上に広げて、息子が帰ってくるのを待った。
愚息は朝7時に遊びに出かけたのだ。
家でじっとしていろ、というのが難しい年齢である。
だからこそ、自宅で出来るこの検査キットは素晴らしい。
咳をしたり、熱が出たら、速攻で試せばいいのだから、・・・。
噂だけど、5月から、どこの学校でも週に1,2度PCR検査が義務付けられるようだ。
早めに感染者を見つけだし、どんどん隔離することで、学校内での感染を防ごうというのである。



さて、息子君、そういう検査が待っているとも知らず、るんるんな感じでデートから、帰ってきた。
「おつかれさま。じゃあ、手を洗って、うがいをしたら、ここに座って」
「なに?」
「PCR検査だ」
「マジか」
るんるんだった息子の顔から血の気が引いていくのが分かった。
ぼくは執刀医のような感じでグローブを手にはめ、椅子に座った息子の目の前で長い綿棒を袋から取り出して見せた。
じゃああああーーーん。
次の瞬間、息子が、いやいやいや、と言い出し、席を立った。
「やだよ」
「ダメ。これは義務だから」
「なんの義務?」
「家庭内法律で決まったのだ。ゼロコロナ家族を目指す。枕を高くして眠るパパのための検査と呼んでもいい」
息子君を説得し、椅子に座らせ、パパを信じて、目を閉じて天井を見てろ、と言った。
綿棒は無理やり挿入するのはよくない、優しくすっと押し込んでいく。結構、深く入る。
「ううううう」
「大丈夫だ。そのうち慣れる」
「ヴヴヴヴv」
綿棒が2,3センチ中に入ったら、綿棒を動かし、鼻腔の周辺の粘膜からウイルスらしきものを採取する。
「うげげげ、ぐああああああ」
「大丈夫。あとちょっとで終わる」
ぼくが綿棒を引き抜くと、息子は両手で鼻を塞いだ。

滞仏日記「ぼくが日々恐れているのは、同居人の息子が無症状感染者だった場合」



検査装置に2滴ほど落とし、様子を見た。
「どう?」
「うわあああ、やばい!」
息子が、どうしたの、と言った。
ぼくは検査装置を見せた。
「線が一本だ!」
「わ、ほんとうだ。陽性????」
「一本だと陰性なんだよ。二本だと陽性」
「え? じゃあ、陰性で、いいんじゃない」
「おめでとう」
息子が笑顔になった。なんだよ、パパ。
「でも、思ったより、なんてことなかった。痛くもないし。簡単だね。これは便利だ」
「あはは、ぎゃあぎゃあ騒いでたくせに。じゃあ、ご飯にしよう。今日はポークロティだ!」
ということで皆様、辻家は全員、陰性でした。
よかった、よかった。

滞仏日記「ぼくが日々恐れているのは、同居人の息子が無症状感染者だった場合」



自分流×帝京大学