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滞仏日記「田舎で暮らしだしたぼくが、荒れた海を歩きながら考えた世界のこと」 Posted on 2021/05/05 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日は、田舎でこの日記を書いている。
パリで仕事がない時はずっと田舎にいる予定だから、ぼくの田舎移住計画は当初の予定よりも早く進行していることになる。
田舎の空気がぼくにはあっている。
たしかに、夜は寂しいのだけど、(屋根の上にはカモメたちが寝ていると思うと寂しさは紛れる)、でも、たぶん、慣れるだろう、まもなく・・・。
新型コロナはワクチンの接種が進めば、ある程度、落ち着くかもしれない。
しかし、残念なことに完全になくなることはないし、WHOが発表したように、今後、ほかの感染症が出てくる可能性も否定できないので、まだまだ、パンデミックの脅威はなくならないのじゃないか、と想像している。
世の中がテレワーク中心になったので、ぼくはパリにこだわる必要もなくなった。
息子が就職したら、もう、完全に田舎で暮らすことも視野に入りはじめた。
今はアパルトマンだけど、庭のある家を買って、終の棲家にしてもいいかもな、と気が早いけど思い始めている。
そのくらい、この土地の水があっている。すでに、ジェロームやジャン・フランソワをはじめ、数人の友だちが出来た。
ジェロームには今朝、彼の村の夏祭りで歌ってくれないか、と依頼された。えへへ。
漁師のアレックス、シェフのジェレミア、そうだな、名前はまだ知らないけど、ぼくが顔を出すと、やあ、と笑顔で迎えてくれる人たちがいる。
ぼくは、どこでもすぐに親しくなる社交性があるようだ。でも、親友はいない。
みんな年下だし、パリの仲間たちもそうだけど、自分が寂しくならない程度の知り合い、という関係なのである。カモメたちも、・・・。

滞仏日記「田舎で暮らしだしたぼくが、荒れた海を歩きながら考えた世界のこと」



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自分の社交性というか、言葉もたいして喋ることが出来ないくせに、物おじしない図々しさとか、どこの社会でも生きていけるこの性格は稀有かもしれない。笑。
ここも田舎なので、どこか保守的なのだけど、パリのような開かれた世界ではないのだけど、なんでか、すぐに仲良くなった。
「パリではアジア人差別がすごい」というニュースを見るたびに、本当だろうか、と思う。
アメリカとかは確かに深刻だとは思うけど、本当に酷ければみんな日本に戻ってるだろうし、ここフランスではぼくが知る限り、そこまで陰湿な差別が頻繁に起きているということはない。
でも、差別って、誤解もあるし、受け手側の思い込みもあるんだよね。
「フランスなんか最低、大嫌い、差別ばっかり」と怒って帰る人がたまにいるけど、どんなことをその人はフランスでしでかしたんだろう、と逆に心配になる。
他所の国に入って、自分のやり方でその土地の文化やルールを乱せば、怒られるのは日本も一緒じゃないか。
言葉が通じないから、フランス人が生意気に感じるかもしれないけど、(もっともいい意味で生意気だけど)たとえば日本に来る外国人観光客が英語さえもしゃべれなくて、意思の疎通ができないと、なんだこいつって、思う人もいるだろう。
無礼に感じることもあるだろうから、それと同じなんじゃないか。

滞仏日記「田舎で暮らしだしたぼくが、荒れた海を歩きながら考えた世界のこと」



海外にいる特派員が数年パリやロンドンやニューヨークに住んだだけで、白人は差別主義者が多い、こんな差別をされたという記事を日本の新聞とかネットニュースで配信したりしているんだけど、そういうのを読むたび、この人たち、貧しい暮らし方してんな、と思う。
悪口だけ言いたいなら、来なくていいのじゃないか。
別に、差別がないとは言わないけど、たとえば、日本で暮らす外国人がたまに日本最低と悪口言ってるけど、日本が好きで、地道に日本人と仲良くやっている人に悪い影響が及ぶから、嫌なら別の国に行けばいいじゃん、というのがぼくの基本的なスタンス、間違えているだろうか?



もちろん、こういう枠で簡単に括れない方々がいるのも知っているから、全部を一つで見つめることもしないし、実は、ぼくの友人のアフリカ人やモロッコ人たちは、ぼくのような発想すらない。めっちゃ権利を主張して、フランス人以上にこの国でどんどん自分を主張して逞しく生きている。彼らは人間の権利を根本に置いているので、国単位、民族単位で世界をそもそも見てないのだ。それはそれでダイナミックで面白いが、この話しはもっと深い話しなので次回に譲りたい。



滞仏日記「田舎で暮らしだしたぼくが、荒れた海を歩きながら考えた世界のこと」

一方、ぼくは在仏日本人だけど、フランス人に遜ったり、おもねったりしないから、逆に受け入れてもらえるし、卑屈にならないし、言いたいことはちゃんと言うし、公平につきあえるのかもしれない。
在仏の日本人記者さんが、デモで燃える車とか、暴動の風景を事細かに記事にして大批判展開するの、違うだろ、と思っている。
デモという文化があって、確かに車は普通に燃えるけど、ラテン民族なんだからね。その10分後にはそこをみんな普通に往来している。そこまでちゃんと報道してほしい。
そういう煽る記事が日本では読まれるから誇張されて、怖い国、とかヤフコメ欄に踊るのだ。これが誤解を拡散していく。デモの背景をきちんと報道してよ。
怖く書いた方が読まれるのはわかるけど、違う角度で自分が住んでいる外国を書いてほしいな、と毎回思う。

別にフランスが嫌いな人がフランスに住んじゃいけないということはないけど、英国嫌いの人が英国に住んじゃいけないということもないように、しかし、日本に住んでいる外国人記者が日本の悪口ばかり世界に伝えているのを見つけると嫌な気持ちになるよね。
誤解ないように、悪口書いてもいいんだよ。でも、その背景を、その歴史を、そこに住む人間たちの文化をきちんと書いて、悪口じゃなく、公平な批評を書いてほしい。
燃える車なんか、どうでもいい。
リスペクトがなければ、世界の平和なんか訪れないし、差別も逆になくならないのだ。
ぼくはそんなことを考えながら、今日も、荒れた海を眺めながら、浜辺を歩いた。
荒れた海の上をすいすいと走っていくカイトサーファーが羨ましすぎた。

滞仏日記「田舎で暮らしだしたぼくが、荒れた海を歩きながら考えた世界のこと」



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