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リサイクル日記「パリには面白い人間がいるが、飛びぬけておもろいおやじ」 Posted on 2022/06/23 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ひじょうに面白い男がいる。
国虎屋というパリのオペラ地区にある四国うどんの社長で、パリでは名物人間で、その道の重鎮らしく、料理人とか、飲食業の連中になぜか慕われている。
ただ、言葉が通じない。全く通じない。仏語も通じないけど、日本語はもっと通じない。
「あ、あの、あれやな、その、だからさ、ま、ま、まぁ、ひとなり、そういうこと」
みたいな会話が続くのだけど、一時間しても、そこから先へ会話が進まない。
でも、笑顔が柔らかいので憎めない。ぼくは腐れ縁で、20年来の顔見知りである。べったり仲良くしたことはないが、気が付くと、遠くでくすくす、笑っている。
コロナが流行る直前に、国虎屋でライブをやらせてもらったり、国虎の20周年の時に歌わされたり、縁は切れず、つかず離れずの関係だ。
先日も、テレビに出たとか言って、フランスの番組を送りつけてきたのだけど、普段は目の下にクマを作って、酒臭いおやじのくせに、なんかびしっとした料理長みたいな恰好で女性キャスターさんの横に立ち、かつおのたたきの作り方を指南していた。
女性司会者さんは仏語で質問しているのだけど、野本は日本語で、
「えー、そうですねー、かつおは、ボニートっていいますーー」
と鼻から抜ける気色悪い声で芝居をしていたので、なんや、お前、いつから演技派になったんか、とからかったら、あ、あ、ちょっと俳優しすぎたかなぁ、あはは、と笑っていた。

リサイクル日記「パリには面白い人間がいるが、飛びぬけておもろいおやじ」



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しかし、うどんは美味い。
先週だったか、いきなり、電話がかかってきて、
「どうしたん? 電話なんか、珍しいやないのー」
と言ったら、
「で、出たんよ」
とお化けが出たみたいな驚いた声で言うのである。
「落ち着け、何が出た?」
「出たじゃない、来ただった」
えらい違いやないか。この男に日本語の文法などは関係ない。
「来たのか、何が」
「ばいでん」
「ばいでん?」
ぼくは一瞬、アメリカ大統領のバイデンさんを思い浮かべたが、まさか、そういうことはありえまい。
だいたい、何言ってるのか普段からよくわからない男なので、まともに話しを訊いても疲れるだけなのである。
「ばいでんが来たのか?」
「そう。来た」
「どのばいでん」
「あれや、ほら、あの、ひとなり、あの、アメリカの」
ぼくはびっくりした。
「アメリカのバイデン大統領がか?」
「いや、その娘が来た」
「娘? それでも凄いじゃないか? いきなり来たんか?」
「ああ、SPがな、ぞろぞろやってきて、七人くらい、連絡が、ほら、なんか、すごいな、ひとなり、あれ、SPが、眼鏡、黒いの、ずらっとな、うどん、すすってた」
「で、バイデンの娘はなんでお前んとこ知ってたんや?」
「ほら、いま、わかいの、インスタとか、良く、見るでしょ? それやから、それ見て来たんかもしれんね。あ、でも、ゴーストバスターみたいのに囲まれて、うどん、あれな、よく、食べてたで」



そのオペラ地区のうどん屋「国虎」が30周年だそうで、記念本を出すから何か前文を書いてくれと野本氏に依頼され、巻頭に原稿用紙10枚くらいのエッセイを書いた。
編集やってる人から数か月前に「締め切りです」と催促されて他の仕事をわきにどけて必死で書いたのだけど、その後、うんともすんとも連絡がない、・・・、出たという話しもない。なかなか出ない。ま、いいけど、それはおいといて、

リサイクル日記「パリには面白い人間がいるが、飛びぬけておもろいおやじ」



で、30周年だからなんかやりたいというのでライブイベントをやろうということになり、
「じゃあ、あの、ほら、そっちで仕切ってよ。金、出すから。宣伝費」
と四国の男らしく、言うから、
「じゃあ、打ち合わせしようぜ」
ということになり、ライブクルーを3人ほどひきつれて出かけた。
前日の電話で、
「店がすく、2時45分くらいに4人で行くから、うどんも食べるので席おさえといてや。必ず行くから席、大丈夫ね? ちょっと遅れるかもしれんけど、念を押しとくよ」
と伝えておいたのに、4人でお腹すかせて行ったら、お店の人に
「終わりましたー」
と言われ、野本が奥の厨房から、こっちみて、やばって顔をして、うろうろ、うろたえだした。心配なので朝からSMSは数本いれておいたのだ。
柱の陰に隠れて、そこから顔を半分だして、こっちを見ている・・・。あほか。
こっちは玄関で、腹空かせて立っていたけど、野本がいっこう奥から出てこないから、こりゃ、あかんな、と思って、ライブクルーに、すまん、話が通じないやつだから、と謝った。
仕方ないので、近くの和食屋、浪波屋さんに行き、
「こっちで打ち合わせやるから、来ないか?」
と一応、腹は立っていたけど、スポンサーだから、顔を立てて、野本に電話をした。
「あ、ほー。浪花屋さんかいな・・・」
と言ったので、ほっといたら、・・・来なかった。
おなかを空かせた4人は浪花屋さんでカツカレーを食べた。

リサイクル日記「パリには面白い人間がいるが、飛びぬけておもろいおやじ」



家に帰ったら、夜に、野本からSMSが入った。
「ごめん今日」
と来たから、
「みんな集めて、打ち合わせに行ったのに、あかんなぁ」
と怒ってメールしたら、
「ごめん魚の日」
という意味不明のメッセージが届いた。
日本語の喋りもダメだけど、文章もダメなのである。魚の日って、意味がわからず、10分くらい悩んだぼく。魚屋に魚を買いに行く日だったんや、ということかもしれない。
で、この企画は最初から暗礁に乗り上げて、消え去ろうとしている。
人間だれでも、出鼻をくじかれることはあるので、皆さんも、うまくいかない日があっても、あまり気にしないで乗り越えてほしい。

しかし、30周年はすごいことだ。よく頑張ったじゃないか。おめでとう、のもっちゃん。

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