JINSEI STORIES

滞仏日記「鬱っぽい父ちゃんが、今日、大笑いをしたとある出来事」 Posted on 2021/07/23 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ベッドでゴロゴロしていたら、携帯に、タイタン(テレビに関してのマネージメントを依頼している芸能プロダクションさん)のOさんから電話がかかってきた。
滅多に電話とかない人なので、どうしたのかな、急ぎのテレビの仕事かな、と思ったら、
「大丈夫ですか? なんか、ちょっとですね、心配で電話してみました」
というのである。
「え? なんか、ありましたでしょうか?」
「いや、なんでもないならいいんですが、最近の日記で鬱っぽいと書かれているので、ちょっとだけ、心配になりまして。でも、遠いから何もしてあげられませんが・・・」
「ああ、なるほど」
とトンマな返事をしてしまった。
最近、知り合いからも、大丈夫ですか、と連絡が来るので、いや、すいません・・・。
ぜんぜん、大丈夫です。鬱っぽいのは鬱っぽいですが、鬱っぽいと言ってるうちは平気だと思います、とよくわからない返事をしてしまった。
鬱っぽいのは事実で、今日も、ずっと空を見上げたり、サボテンを眺めながら、「なんで生きてるのかなぁ」とか考えていたのは事実・・・。
でも、それも作家の仕事なのである。

滞仏日記「鬱っぽい父ちゃんが、今日、大笑いをしたとある出来事」

滞仏日記「鬱っぽい父ちゃんが、今日、大笑いをしたとある出来事」



人間だもの、と相田みつをさんのようなことを思った。
「あの、もしも、日記が三日くらい更新されなかったり、ツイートが消えたら、心配してください。ぜったい、なんか書いてるうちは、大丈夫なんです」
「それならよかったです」
「すいません。大げさに書いてしまい」
と謝った。
でも、正直、心が晴れているわけではない。子育てが嫌なわけでもない。
掃除や洗濯は面倒くさいけど、みんな誰もがやってることで、こんなことが原因ではない。そのようなことを自分に言い聞かせながら、フリットをオーブンに入れる。
スーパーで売ってる冷凍のフリットをオーブンの中にいれると、20分くらいで揚げたて風のフリットが出来る。
フランス人はみんな毎日のようにフリットを作って家族で食べている。ぼくも作る。
今日は、チキンとネギとレタスのサンドイッチを作った。
息子と並んで食べた。会話はない。でも、いつものことだ。彼は機嫌がいい時はしゃべるけど、機嫌のよくない時は無口なのだ。
ぼくも一緒である。黙って、フリットを口に入れた。美味しい、と思ったけど、口にはしなかった。

滞仏日記「鬱っぽい父ちゃんが、今日、大笑いをしたとある出来事」



夕方、最近、知り合った日本人のご夫婦とカフェでお茶をした。
「シングルは大変ですね、とくに、男親が年ごろの男の子みるの、大変だと思いますー」
とご主人さんの方に言われた。
ぼくは自分が男性だからと言って、辛いとか、思わないけど、1人で異国で17才の子と向き合うのは並大抵のことじゃないことだけは、事実だ。
でも、どんなに大変でも、育てないとならないのだから投げ出せないし、あと少しで、成人なので、今は頑張るだけです、とそういうことを言った。
「レースでいうと、後半の最終コーナーを曲がったところだから、子育てのゴールまで今は余計なことを考えずに突っ走るだけですー」
とその人の喋り方をまねて言ってみた。笑。
「でも、なんか、ちょっと鬱っぽいんですよ。歳なのかなぁ」
「年齢ってやっぱあるんですかー」
ぼくはあると思う、と言った。
人間というのは、巨大な砂時計なのである。生まれた時に、その砂時計がひっくり返される。若い頃は、無限の砂を持っているから、時間など気にならない。
でも、着実に砂は、全人類共通の速度で減っていく。ニュース欄で毎日のように人がなくなっている。順番がある。いつかその順番は、全ての人間に訪れる。
「百年後、あなたもその子もこの世界にはいないんです」
ぼくは言った。
「でも、見てください。このパリは残るでしょう。この楽しそうにしているテラス席を埋める全ての人がいなくなってもパリはほぼこのまま残る。すごいことじゃないですか? ぼくがパリで20年生きてきた中で気が付いたことです。人間だけが入れ替わっていく。そして、同じような間違いや争いや憎しみをやらかし、そして、時には友情や愛を分かち合うんです」



滞仏日記「鬱っぽい父ちゃんが、今日、大笑いをしたとある出来事」

滞仏日記「鬱っぽい父ちゃんが、今日、大笑いをしたとある出来事」

ぼくは家に戻り、夕飯を作ることになった。何にも用意していなかった。
ご飯だけは炊きあがっていた。冷凍の肉団子をニンニクで炒め、玉ねぎをいれ、ケチャップ、ソース、お酢、醤油、酒、みりん、生姜、砂糖などを入れて、酢豚ならぬ、酢団子を作った。
息子の部屋に顔を出し、
「お腹すいたなら、ご飯作ったから適当に食べてね」
と言って、この日記に向かった。
日記はだいたい、かかっても30分以内で書き上げる。
一日、24時間のうち、ぼくは二本の日記をサイトにアップするので、推敲などいれて、日記に費やす時間は、一日の24分の1。
だいたい、一時間というところである。
ぼくの巨大な砂時計の残り少ない砂の貴重な一部を、ここに使ってる勘定となる。
書きあがったので、ぼくも夕飯を食べようと思ってキッチンに行ったら、フライパンいっぱいの酢団子は消えさり、二合炊いたご飯もほぼほぼ消え去っていた。
ぼくは炊飯器を覗きこみ、残った米粒を見つめながら、こみあげてくる笑いを我慢することが出来なかった。
これは凄いことだ。
なんて凄い食欲だろう。
やるなぁ、我が息子よ。
実に愉快である。

百年後、こんなにぼくが笑ったことを誰かに伝えられるとしたら、それは書くことでしかない、と思った。
ぼくはそのまま、部屋に戻り、この部分をエネルギッシュに加筆した。
この貴重な時間をおしんで、生きたい。
どんなに今が苦しくても、楽しいことを探して、見つけて、それを最高に面白がってやり切って死んでみせたい。
書きながら、そんなことを思った。
ぼくはそれを人生と呼びたいのだ。
人生・万歳。

つづく。

滞仏日記「鬱っぽい父ちゃんが、今日、大笑いをしたとある出来事」



自分流×帝京大学
地球カレッジ