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退屈日記「息子は息子、ぼくはぼくの夏休み」 Posted on 2021/08/17 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、家事と仕事、子育てに疲れたぼくは、息子と話し合い、別々の夏休みを過ごすことにした。
親子もたまには別々にならないとお互いの良さや意味がわからなくなる。
どんなに仲良しでも、ちょっと離れて距離をとる方が、お互いのありがたみもわかるというものだ。
とりあえずの食料を作り置きした。
これまでと違うのは、毎日、数百円分のユーロを小分けして、テーブルに置いて出ること。
高校三年生にもなると、付き合いも多くなり、息子だけ仲間たちと一緒にご飯が食べられないのは可愛そうだから・・・。

退屈日記「息子は息子、ぼくはぼくの夏休み」



退屈日記「息子は息子、ぼくはぼくの夏休み」

足りないといけないので息子用の保存食を買いにスーパーまで出かけた。
ついでに、ちょっと区をまたいで遠出をした。
たまに行くカフェに立ち寄り、パリの今を味わった。
というのは、この時期、開いてるカフェがほとんどないのである。
シャンゼリゼとかエッフェル塔周辺の観光地以外は、閉まっている、夏休みで・・・。
「あれ、ずいぶんと買い込みましたね」
とちょっと知っているギャルソンに言われた。
「ぼくが旅に出ている間の息子の食糧だよ」
「なるほど、まだ自分じゃご飯作れないんですね」
「いや、作るよ。だから、パスタとか、ソーセージとか、そういう食材を中心に買った」
「いいですね。ところで、ムッシュは何か、食べます?」
と言われたので、
「あんまりお腹すいてない。明日から夏休みだから、今日は飲みたいかな」
と言ったら、
「フライドポテトにパルメジャーノとトリュフをかけたものがあるんですけど」
と返され、それ、と即断。いや、美味かった。
ちょっと日本語を話すギャルソン君で、いちいち、ありがとうごぜーます、と言い残してそこを離れる。可愛い奴だ。

退屈日記「息子は息子、ぼくはぼくの夏休み」



エッフェル塔の街だからか、カフェの前の街角で結婚したカップルが記念撮影していた。奥さんのウエディングドレスが素敵だった。
幸せそうな二人の笑顔に癒された。
ぼくも新学期までに、この心労をなんとかしなきゃ、と思っている。田舎にこもったら、毎日、運動をして、自分をとりもどさなければ、・・・。
「ところで、ムッシュ」
とギャルソンが近づいてきて、一緒に花嫁を眺めながら言った。
「15年くらい前に。・・通りに住んでませんでしたか?」
「住んでたよ。なんで?」
「よく見かけてました。ほら、角のカフェ・・・(店の名前を言った)によく乳母車に小さな子を乗せて、奥さんと来てたでしょ?」
ぼくは言葉が続かなかった。でも、思い出した。このギャルソン、どこかで会ったことがあると思っていたのだ。時が経ち、恰幅よくなっているから、気づかなかった。
「あ、思い出した」
「ぼくはね、気づいてましたよ。皆さん、オゲンキデスカ?」
お元気ですか? は日本語だった。
「それが、今はあの時の赤ん坊と二人きりでね。もっとも、高校三年生で、ぼくより、うんと大きくて、髭生やしているよ」
「それが人生というやつですね。(セ・ラ・ヴィ)」
ぼくは微笑んだけど、いろいろなことを思い出して、ちょっとセンチメンタルになった。渡仏して20年になろうかという・・・長い歳月が流れてしまった。
「ワイン、お替り」
「アリガトー、ムッシュ」
そうか、このギャルソン君、昔、日本語をよく喋っていた、あの若いギャルソンだったのだ。思い出した・・・
人は入れ替わり、年を取るのに、なぜか、パリはずっと昔と変わらぬままなのだ。
それが不思議でならない。
光陰矢の如し・・・。
我が町、パリよ、君は変わらないねぇ。
また目頭が熱くなる、父ちゃんなのであった。

つづく。

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