JINSEI STORIES

滞仏日記「ぼくと息子は修羅場を超えて、今、見えざる敵を目視している」 Posted on 2021/08/28 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ここのところ、息子との関係はとっても穏やかで、ストレスはない感じ、まぁ、良好じゃないか、と思う。
あの過去最大の父子喧嘩が彼の17歳における山場だったのなら、ガス抜きが出来て、それでよかったのかもしれない。
言いたいことをすべて吐き出したことで、ここのところ、彼の振る舞いも穏やかになった。
家族ってのはそういうものかもしれないなぁ、と父ちゃんは安堵している。
2020年3月からはじまった長いフランスのロックダウン下で、頑張って生きてきた父子、当然、二人きりだから、ストレスもお互い相当にあった。
青春期の大事な時期をコロナで奪われた子供たちは、大人以上にきつかったと思う。
何せ、一番の成長期に、外で遊び歩けないのだから・・・。
そりゃあ、ストレスはたまる。



彼があんなに爆発したのも、今思えば、コロナの影響もあったし、至極当然のことだったと思う。
思春期、反抗期に加え、コロナ禍である。
これは、第二次世界大戦にも負けない、人類史に残る、もの凄い出来事なのだ。心をやられない人間なんかいないだろう・・・。
でも、その長いトンネルをやっと抜けつつあるのじゃないか、とぼくはうすうす感じている。日本も今はきついけど、必ず抜け出せる。なんとなくわかるのだ・・・。
いや、抜け出せるという言い方は間違いで、なんというのか、危険は危険だけど、共生するような関係になっていく、つまり、ただの恐ろしい見えざる敵から、弱点を知る、分かりうやすい敵になっていくような・・・。



今日、昼飯のトマト・スパゲティを息子に作りながら、思ったことがある。
ぼくはコロナには罹らないのじゃないか、と・・・。結論から言うと、罹らない訓練をこの一年半続けてきたので、なので今のぼくは、もちろん怖いけど、去年の3月の頃に比べると、デルタ株を恐れてはいない。
2020年3月のロックダウンの時は、(過去記事を読んでもらえばわかる通り)ありとあらゆる防御を試み、気がおかしくなるくらい神経質に行動を続けた。
人類は勝てないかもしれない、と絶望も味わった。まだ、ワクチンさえなかった。
敵の姿が見えないから、全部、消毒した。
スーパーで買ったビールの缶、食パンの袋、スーパーで入れて貰った紙袋まで、ありとあらゆるものを、消毒した。
Amazonの荷物も消毒をし(今もやっている、普通に)、24時間待ってから開封した。
マスクは毎回交換し、しかも、最強のFFP2マスクを仕入れた。
人混みを避けるというか、スーパーとかでも5分以上は滞在しないようにした。
そういうことの中で、絶対罹らない自信というのがついた。
それはデルタ株になっても変わらない。
変な言い方だけど、「何が危険で、どこが安全か」が分かるようになったので、むやみやたらに神経質にならないでも済むようになった。力が抜ける・・・。
力の加減がわかるようになったのだ。
それでも、数回、どうしても回避できない危険な場所にも顔を出さざるをえなかった。
けれども、その直後に鼻の洗浄とか衣服は全部洗うとか、想像できることは全部やり続けてきた。
そのおかげで、今、これだけデルタが流行っていても、自分はきっと罹らないで通り抜けることが出来るという自信が出来た。
これはある種、危険な考え方かもしれないけど、神経をやられるよりはうんとましだ。
この防御生活を続けていれば大丈夫という自信は、ストレスを払拭させてくれる。
神経質になりすぎると、コロナ以前に心をやられてしまうからだ。



息子と昼ごはんを食べながら、結局、この子も罹らなかった、と思った。
辻親子は、コロナという悪魔から自分たちを防御するすべは心得たということだ。
手洗いや消毒は癖になったし、それをしないと気持ち悪くなった。マスクは第二の皮膚になって、顔に張り付いている。
逆に言えば、ここまで防御しておけば、新型コロナには罹らない、という一線が見えてきた。
ここは危険だ、という場所にはぼくも息子ももはや本能的に近づかない。
その判断が出来るようになった。
まず、素人ながらも勉強し、コロナとどう向き合うかを家族で話し合い、実行してきた。
一年半、死者が10万人も出たフランスで、ぼくらは罹らなかったし、ワクチンの接種も二人とも終わったので、しかし、接種後罹っている人もいるので、気を抜かないということが大事だということまで話し合っている。



「このウイルスは形を変え、人間を何度も脅威に落としていくだろう。でも、恐れないでいい。何が危険で、何をしておけばいいか、を心得ていれば罹ることはない」
「うん」
「どう思う? 敵が見えないか?」
「敵?」
「そうだ、新型コロナだよ。パパはたまに思う。あそこにはコロナがいるな、とか、ここはコロナウイルスが付着しているかもしれないなって」
「ああ、うん、わかるよ。そういう時はすぐに消毒している」
「つねに、家にいても、一時間に一度は手の消毒をした方がいい。人間は無意識で何かに接触する可能性があるからだ。無意識で防御をし続けることが大事だ」
「うん」
「目を凝らして新型コロナを見つけろ。ウイルスがうっすらと見えるはずだ。危険だと思う場所には近づくな」
「うん。そうする」

滞仏日記「ぼくと息子は修羅場を超えて、今、見えざる敵を目視している」



自分流×帝京大学
地球カレッジ
新世代賞作品募集