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滞仏日記「旅先から戻った足で、荷物抱えて、息子の新学期説明会に行く」 Posted on 2021/09/14 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、ハードな3泊4日の南仏プロバンスの仕事が終わり、TGVで再びパリを目指した父ちゃん、ちょっと疲れ気味ではあったが、今日は実は大きな仕事がもう一つ待ち受けていた。
パリのリヨン駅到着後、そのままギターとトランクを担いで、息子の高校へと向かったのである。
新学期の大事な説明会があるのだ。
大学受験を控えた子たちの親は必ず出席しないとならない会議であった。
高校三年生になった息子の進路や過ごし方、バカロレア試験(高校卒業試験)、そして志望校受験について、さらには法的にやっておかないとならい諸手続き(JDIとかPIX)など、これまでにないほど、重要なカンファレンスである。
出席しないわけにはない。
しかし、問題はギターケース&トランクを持っているのがちょっと・・・。
しかも、スーツはなく、軽装と麦わら帽子、という出で立ちなのだった。黒い麦わら帽子、・・・。
 

滞仏日記「旅先から戻った足で、荷物抱えて、息子の新学期説明会に行く」



実はうちの子の学校はカトリック高校の中でも厳格な方で、校長先生は半端なく、怖い。
誰もが恐れる校長様で、一昨年、同じようなカンファレンスがあり、ぼくが一番後ろの席に座っていたら、
「やる気のない親は後ろの席に座る。それでは子供がかわいそうだ」
と言い出した。
もちろん、後ろに座っていたのはぼくだけじゃない。
というか、満席で、後ろに座らざるをえなかったのに、ようは体育館が小さいのを棚に上げて、人を押し込んでおいて、この言い草、・・・そのくらい超怖い存在であった。今はもっと怖い・・・
(´;ω;`)ウゥゥ

滞仏日記「旅先から戻った足で、荷物抱えて、息子の新学期説明会に行く」



という過去があるから、「何ですか、その荷物は」と怒られそうで、ちょっと内心、びくびくしていたのだけど、とりあえずは、大きな荷物に関しては入口の守衛さんらから文句は出なかった。会場のロビーに置かせて頂いたのだ。
「ムッシュ、ツジ」
振り返ると、フレデリック君のお父さんだった。(名前を思い出せないけど、仮で、パトリックとしておこう)
息子の小学校からの同級生のお父さんで、音楽好き。
ぼくのコンサートにも来てくださったことがある。
「どこのギター? お、ヤマハですね。これ、クラシックギターでしょ?」
「よくわかりますね」
「機種は?」
実はパトリック、めっちゃギターオタクで、自分は弾かない(弾けない)のだけど、なぜか、古いギブソンとかフェンダーを集めている、いわゆるコレクター・・・。
会議前なのに、と思ったけど、自分もこのギターが気に入っているので、思わず、「NCX2000FM」と言っちゃったから、さぁ、大変。
「おお、憧れのギターですよ。ちょっとだけ見せてください。お願い」
やれやれ。面倒くさいと思ったけど、ケースを開けて見せたら、子供みたいに大騒ぎしはじめ、弾かせろとか、触らせろとか、写真撮りたい、とかうるさいので、大変なことになってしまった。
そこに息子の担任が通りかかり、
「何をやってるんですか、会議始まりますよ。さぁ、急いで」
と忠告されたので、慌ててケースをしまって、フレデリックのお父さんの腕を引っ張って、会場に入った次第である。やれやれ・・・。

しかし、目の前に広がる世界は異常であった。まず、会場はコロナ禍だからか、今までのように講堂ではなく、校庭なのである。
四方を校舎に囲まれた中庭、しかも、ぐるりを囲む感じで、踊り場があり、先生たちが、まるで刑務所の看守のように、腕組みをして、見下ろしている・・・ううう、逃げられない・・・
校庭には、パイプ椅子がずらっと並べられており、自由の国、フランスとは思えないような厳格な世界であった。
写真を撮りたいと思ったけど、恐ろしくて携帯さえ、取り出せない。
なんだ、この緊張感・・・。
さっきまで偉そうにギターのうんちくを語っていたパトリックさえも、ぼくの隣で小さくなっている・・・。
一枚だけ、足元の写真を撮ったが、これが限界であった・・・。
この緊張感、これがフランスの高校三年生が置かれている現状なのである・・・。
 

滞仏日記「旅先から戻った足で、荷物抱えて、息子の新学期説明会に行く」

※ この写真は、カンファレンスが始まる前、この数分後、ほぼ、満席となった・・・。



「いいですか、これから、卒業するまでの残り10か月で、生徒たちの未来が決まります」
校長様は、校庭の親たちの顔を1人1人睨みつけながら、言った。
「ここで、頑張らないと、今までの人生が台無しになってしまいます。これは脅しじゃないですよ。たとえ、風邪をひいて、39度の熱が出ても、自己責任です。その日学校を休んだら、それがそのまま成績表に記載されます。つまり、風邪をひくような暇もない。風邪なんかひいてる暇はない、泣き言は受け付けません。家庭内で、体調管理、心の管理、勉強できる状況を作ってないと、お子さんの未来はそこまで。いいですね、これは脅しじゃない。やってもらうしかない。わかりますね?」
その一言一言が、リアル過ぎて、恐ろしかった。
プロバンスから、この厳しい世界への落差が激し過ぎて、死にそうである、・・・。
しかし、ここは、パリだ。
父ちゃん、苦しくて、呼吸が出来なくなったのであった。



校長様が今回一番言いたかったことは、この一年は受験シーズンなのだから子供たちは縛り付けてでも勉強をやらせてください、というようなことであった。
「すべては結果です。それが嫌なら、よその学校へ移ってください。甘えたら、人生が終わる、と思ってください。今のような時代で生き残るためには、頑張るしかないんです」
今までにないくらいの緊張感が校庭を包み込んでいた。
正直、ぼくは黒い麦わら帽子でそこにいることを後悔していた。リルシュルラソルグが懐かしい。
息子がこの前、爆発したのは、もしかしたら、このストレスに心をやられていたからかもしれない。多分、そうだ。
「いろんな人が受験について、いろんなことを言うでしょう。生徒は誰を信じていいかわからなくなり、複雑な気持ちになるでしょう。そういうことが起こったら、はっきりと言ってやってください。学校以外を信じるな、と。我々はその道のプロです。この大切な一年、あらゆる余計な勧誘を排除して、乗り切るように、お父さん、お母さんからも、伝えないといけません。弱肉強食の世界に今、お子さんたちはいるのです。迷わせてはいけません。学校を信じて、志望校を目指すようにさせてください。迷ったり、悩ませたりするのは大学生になってからでも遅くありません。将来、行きたかった学校に行けなかったことくらい、彼らを後悔させることはないからです。今は、迷ったり悩んだりする暇はありません。わかりましたか?」
校長様の意見に逆らう人間など、その会場には、一人もいなかった。
ここがあの自由の国、フランスだとは、到底思えない、すさまじさなのだった。

「おフランス」などと言って、フランスを揶揄する人がいるけれど、こういうフランスもあるのだ。これが現実である。
ぼくは、プロバンスのダビッドと陽子さんの世界が懐かしかった。
しかし、父親として、今、息子が立ち向かってる世界から逃げだすわけにもいかなかった。
ぼくはメモをとり、校長様をじっと見つめ続けた。
今のぼくには、批判されても、やらなければならない、親としての役割があるのだった。
ふー、・・・疲れた。
(_´Д`)ノ~~オツカレー



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