JINSEI STORIES

滞仏日記「ごはんだよーと父ちゃんが呼ぶと、はーい、と返事が戻って来る」 Posted on 2021/09/15 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、なんか、昨日のことだけど、プレパ(大学予備校)はどうか、と息子に訊いたら、
「すっごく楽しいし、先生はいろいろな技術を教えてくれて、それが自信につながって、なるほど、そういうことをやって大学生になるんだ、って分かったんだよ」
と珍しく自分からどんどん語ってきたのだ。
「ただやみくもに勉強をするだけじゃだめで、コツがあって、プレパはそれを教えてくれる。学校では絶対教えてくれないようなことがわかる。だから、予備校に通って正解だったし、楽しい」
ところが、学校から一時戻ってきた息子の顔が、めっちゃ暗いので、どうしたの、と聞いたら、
「なんか、先生が、今の学校で一番になっても、ぼくが目指す大学には入れるかわからないくらい高い競争率だって。ぼく、一番なんか絶対無理だから、うちで一番になっても入れない大学目指していたことがわかって、今日は自信がない」
と言い出した。

滞仏日記「ごはんだよーと父ちゃんが呼ぶと、はーい、と返事が戻って来る」



だから、自信なんてそんなものだ、と励ましたのだけど、これはそう簡単には解決できる問題じゃない・・・。
「しかしね、みんな同じだよ。一番なんか一人しかいないわけで、それ以外の人はじゃあ、みんな諦めるってこと? 諦めた人はもうぜったい、志望校には入れないよね。でも、まだ10か月あるんだから、頑張るしかないんじゃないの? 二番とか三番になればいいんだよ。それだって、相当に大変だけどね。でも、したたかな二番になり、一番を追い越せばいいんだよ。みんな、先生に言われ、落ち込んで志望校を変更していく中で、君は頑張って突破できるかもしれない。諦めたら、そこまでなんだよ。やってみればいいんじゃないの?」
「うん」
人間の自信って、不思議だな、と思う。半年前は、
「パパ、やってみなきゃ、わからないじゃないか!」
と強気だった息子。
先生に現実を知らされ、今はどん底のようである。

滞仏日記「ごはんだよーと父ちゃんが呼ぶと、はーい、と返事が戻って来る」



ぼくにできることは、結果を求めないこと。どんな結果であろうが、それがこの子の今なのだから、それを尊重し、そこで生きぬける道を一緒に探すことだろう、と思った。
「パパ、あのね、ぼくが選んだコースだと、就職先がかなり限られているのがわかった」
「就職先? それ、教えてよ。君は、将来、何になれるの?」
「広告業界で働くか、政治家かな」
「ぜんぜん、違うじゃん」
「うん。嫌いな数学を排除したら、なれるのは政治家とか、ええと、広告の世界」
「政治家? 何言ってんの、それは無理でしょ」
「・・・」
やれやれ、本当に大丈夫なんだろうか・・・、たしかに心配になる。

滞仏日記「ごはんだよーと父ちゃんが呼ぶと、はーい、と返事が戻って来る」



「パパはどうやって、今の仕事見つけたの?」
「パパは、昔も今も、自分で仕事を作って、それで生きてきた。パパ、一度もサラリーマンをやったことがないんだ。頭から会社勤めは考えたことがなかった。最初から、自分で仕事を作って生きていこうと思った。でも、それは今の時代は無理かもしれない」
「なんで?」
「コロナだし、78億7500万人も人間がいて、簡単ではなくなった。昔はアルバイトだけでも生きていけたけど、今はバイトもなくなったし、でも、可能性がゼロじゃない。アイデアとガッツがあればできるかもしれない。君に、そのガッツがあるだろうか? 経験もないし、何をしたいか、見つけきれてないし」
「うん・・・」
「パパは17歳の時には、自由業で生きていこうと決めてた」
「パパは自由業のスペシャリストなんだね」
「ま、そうだね(笑)。他はできないんだ。パパは、一人で仕事をするのが得意で、集団の中ではちょっと無理だった。父さんが、スーパーサラリーマンだったからね。父さんを見て、ちょっと自分には無理だな、と思ってた。日本語で、反面教師っていうんだけどね」
反面教師について、ぼくは息子に説明をした。
「なるほどね。ぼくもパパを見て、無理だなって、思う」
「マジか」
ぼくらは笑いあった。
自由業か、・・・難しいよね。生きていくのは大変である。

滞仏日記「ごはんだよーと父ちゃんが呼ぶと、はーい、と返事が戻って来る」



息子が学校に戻った後、ぼくはセーヌ川左岸の河岸を走った。ノートルダム寺院まで走ってみようと思ったのだ。
そこは今度、10月4日にパリ市内のバスツアー&ライブをやるコースの一部になる。
走りながら、息子のことを考えた。流れていく景色が美しくて、癒されたけど、いやはや、困ったものである。
でも、どんなにぼくが悩んでも、パリのこの景色はずっと相変わらず、何世紀もこのままなのだ、と思うと不思議だ。人間だけが入れ替わっていく。こうやって悩んでいるぼくもそのうち、この世界から消え去り、うちの息子がいつか、今のぼくと同じ年になった時に、こうやって、ノートルダム寺院を同じ場所から見上げ、自分の子供の大学受験の問題で悩んでいることは十分に考えられる。

滞仏日記「ごはんだよーと父ちゃんが呼ぶと、はーい、と返事が戻って来る」



ぼくはノートルダム寺院の真正面に立ち、深呼吸をした。
ここをバスで通過する予定なのだ。ここで、歌うのは「パリの空の下で」になるのかな。それとも、「バラ色の人生」だろうか。
ぼくはそこから全速力で自宅まで走って戻った。
マーシャルの八百屋で野菜を買い、今夜はビビンバにしよう、と思った。
息子は野菜が好きなのだ。野菜嫌いだった小学生のあの子が野菜好きになったのは、料理、のおかげである。ぼくはそれだけは自慢だった。料理をし続けることが、家族を支える偉大なる愛なのである。その愛がある限り、きっとこの子は生きていける。
「ごはんだよー」
とぼくは叫んだ。
「はーい」
と息子がいつものように返事をした。

滞仏日記「ごはんだよーと父ちゃんが呼ぶと、はーい、と返事が戻って来る」



地球カレッジ
自分流×帝京大学
新世代賞作品募集