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退屈日記「尿閉から復活した父ちゃんに奇跡の風が吹く。後編」 Posted on 2021/09/18 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、「尿閉」というもの凄い症状に不意に襲われた父ちゃん。
一年半ぶりの人前での演奏会だというのに、一睡もできずに朝を迎えた父ちゃん。
あんなに「尿閉」が苦しいとは思わなかった、と今朝の日記で書いたものの、続編日記である。
お前の尿閉など知りたくないわ、という皆さんは、ごめんなさい、・・・。
ぼくも面白おかしく話したくないのだけど、笑って先へ進みたいと思うので、ちょっとだけ「尿閉」がその後どうなったのか、ライブが20時からなのに、同じ時間にライブをダブルブッキングしていたドラムのジョルジュの行方、その後どうなったのかなどを簡単に説明させていただく。
( ^ω^)・・・



まず、ライブに備え、不眠症の父ちゃん、どうしても寝たくて「導眠剤」飲んだことが「尿閉」の原因だということは、ネットで調べてすぐに理解出来た。
実は早くねようと、通常の一錠を21時に飲み、それで寝れなくて、3時間後の0時に二錠目をのんでしまった。(決められた用量は必ずお守りください)
「ライブは中止にして病院に行きましょう」というスタッフに、「おそらく、導眠剤のせいで膀胱が膨らんで尿道が圧迫されているものとみられるので、まもなく元に戻るはずだから、キャンセルはぎりぎりまで待とう」と説得。
何の根拠もなかったけど、ネットで、尿が不意に出なくなった、で検索すると最初に「尿閉」が出てくるので、これはよくあることなのだ、と信じて、朝を待った。
結論からいうと朝の九時にはちょろちょろっと出始め、手ごたえを感じた父ちゃんであった。←なんの、手ごたえや?
で、会場入りした14時には、もう、何事もなかったかのごとく、尿閉さんは消失していたのである。
これもネットに載っていたので、原因は導眠剤ということが確実化、一件落着&安堵であったが、問題はまともに寝てなくて61歳の中年以上男がステージをこなせるのか、という次の不安要素が立ちはだかることに、・・・えへへ。
しかし、入院しないで済んだし、これは幸運というものだ、やるしかなかった。日本文化会館の白崎部長には、やれそうだ、とメッセージを送っておいた。



地球カレッジ

しかし、会場に到着するや否や、ドラマーのダブルブッキング問題が勃発、尿閉どころではなくなっってしまう・・・。
つまり、ジョルジュはスタッフのせいにするし、スタッフは私はちゃんと言ったと言い張るし、しまいに、ブラジル人のジョルジュは「ぼくは人に信じてもらえないことが一番辛いんだ」と泣きそうな顔で抗議しはじめるし、泣きたいのはぼくの方だと思いながらもバスツアーライブもあるのでここでジョルジュにへそ曲げられたら負け戦になると思い、必死で、彼をなだめなきゃならないし、ピアニストの日仏ハーフのエリックは優しいから、うーん困りましたね、と微笑んでるだけだし、初参加のバイオリニスト、マリオは「三人でやればいいよ。ジョルジュなしでも出来るって」と言い出し、するとブラジル人はプライドをへし折られたのか、立ち上がり楽屋をプイと飛び出してしまった。
「ジョルジュ!!!!」
呼び止めたけど、戻ってこない。
「マリオ、なんてこというんだ。君を紹介したのはジョルジュなのに」
「でも、ダブルブッキングしたんだから、出来ないのなら、出来るべきことを考えてやるしかないでしょ? うじうじしていても、お客さん来るんだから」
とまっとうなことを言った。
舞台監督のフランソワがやってきて、
「で、どうするの? リハの時間、過ぎてんだけど、やるのやらないの?」
と言われたので、マリオが、
「やるよ。ドラム無しで」
と言ったその時、ジョルジュが戻ってきて、「ちょっと待て」と大きな声で訴えた。
「リハをやる」



実はジョルジュ、フランスで有名なバンドのツアーに参加中で、そのバンドが出るフェスが重なっていたのだった。
「今、先方と話しをして、彼らの出演時間を遅らせてもらった」
「そんなこと、できたんですか?」と優しいエリック。微笑みすぎやろ。
「それしかソリューションがない。ひとなり、もし、可能なら、ぼくらのバンドの出演時間を最後じゃなくて、最初にしてもらえないか? そうすれば、ギリギリ、可能なんだ。僕は今からここでリハをやり、リハ終わりで向こうの会場に行きリハに合流し、それ終わりで戻ってここで本番をし、21時20分にここを飛び出せば、向こうのライブに間に合う」
舞台監督のフランソワが、了解、と言い残して出ていった。
今回のライブは、ぼくがオーガナイズした「日本祭り」というイベントだった。「踊り」「太鼓」「朗読」「バンドのライブ」4つのパートからなっている。
ぼくらがトリだったが、それを、しょっぱなに替えれば、ジョルジュの出演が可能ということであった。
「ジョルジュ、やれば不可能なことはないんだよ。よし、がんばろう」
とマリオ。となりで、エリックがやさしく微笑んでいる。
ぼくは、人間って、面白いな、と思った。
絶体絶命な大ピンチを乗り越えることが出来る。
コロナ禍でこんなに大変な時だからこそ、希望が必要だ、と思った。



尿閉は治り、ジョルジュはぼくらと一緒に舞台に立った。
観客は衛生パスを提示し、みんなマスクをつけ、静かに客席に座っている。マスクをしているお客さん、こんな光景、生まれて初めて見た。これもすごい経験であった。
「ひとなり」
舞台に上がる前に、マリオに、呼び止められた。青ざめた顔で、ぼくを瞬きもせず彼が見ていた。
「どうした? 何があった。これ以上厄介なことはやめてくれよ」
「いや、本当なのか?」
「何が?」
「君は、61歳って? なんで、そんな人間がいるんだ? ぼくはびっくりしたよ。今、聞かされて。信じられない」
ふふふ。
「驚くのはまだ早い。さ、ステージにあがろう!」
尿閉から復活した父ちゃんは長いロックダウンの苦しい時期を乗り切った観客の温かい拍手に迎えられたのであった。めでたし。

退屈日記「尿閉から復活した父ちゃんに奇跡の風が吹く。後編」



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