JINSEI STORIES

滞仏日記「一気に深まった秋の日曜日のパリ、ぼくはバゲットを買いに」 Posted on 2021/09/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、日曜日で快晴なのに、息子はずっと窓のシャッター(ボレー)をおろし、真っ暗な部屋の中で、しかも一日そこから出ないで、友だちとチャットをしている。
「掃除しないと病気になっちゃうよ」
そう言って、掃除機を持っていき、部屋の真ん中に置いた。
「オッケー」
返事だけはいい。
「晴れてるのに、・・・空気入れ替えろよ」
「オッケー」
・・・やれやれ。
ベッドのシーツは一昨日替えたけど、替えろと言ってもやらないから、不健康極まりないので、仕方なく、やってやった。
受験勉強を一生懸命しているなら、そのくらい、やってあげてもいいけど、ゲームとか音楽とかYouTubeとかチャットばかりしているので、本当はやるべきか、悩んだ・・・。
でも、ほっとけないのだ・・・。やれやれ、である。

滞仏日記「一気に深まった秋の日曜日のパリ、ぼくはバゲットを買いに」



NHKBSの「辻仁成の秋ごはん」撮影はまだ核心部分の撮影は進んでいない。
まず、番組の性質上、料理をしないとならないのだけど、そもそも、最近、料理が出来ない。プロデューサーのLさんは、前回の番組で頻繁に登場した、
『ごはんできたよー(父ちゃん)、はーい(息子)』
の場面が欲しい、ようだ。
実は最近、そうは、ならない。
バラバラにご飯を食べることが多くなった。
それぞれの時間が増えてきたし、作っても家にいないことも多くなり、だから、ラップした料理を、テーブルに置いておく方が多くなった。
仲良し家族を装って、そのシーンを捏造するというのも、気が引ける。
そもそも、気が向かない時は何もする必要はない。

滞仏日記「一気に深まった秋の日曜日のパリ、ぼくはバゲットを買いに」



先日、地球カレッジでプロバンスに行った時、(NHKの撮影隊も同行していた)そこのご主人のダビッドが豪華な料理をたくさん作ってくれたのだけど、彼は元シェフだし、カメラの前でかっこいいし、キッチンはホテルみたいだし・・・。
ぼくはそれを見てから、正直、もう、すごいものを作ろうという気力がわかないのだ。
出来れば、ロジェの肉屋に行き、ロジェが下ごしらえした肉を焼くだけとか、スーパーである程度、作られたものを買って帰りアレンジする、くらいの料理しか、思いつかない。
Lさんががっかりすると思うだけで、ううう、・・・気が重い。
でも、それが日常だから、それしかできない。
番組のことを考えると、気の利いた秋ごはんを作って盛りあげたいけど、ぼくは今、生活に疲れているので、春ごはんの時のようなガッツが、どうしても沸かないのだ。
冷凍の食材とか、惣菜を温めるだけとか、溜め息をつきながら、そんなものばかり作ってるので、インスタにさえもあげられないし、そもそも、カメラを回す気なんてならない。
ダビッドのとこは豪華で立派なキッチンだったけれど、うちのキッチンは漏電と水漏れで半分、触れないような、使えないような、ぼろぼろな厨房だし・・・。
しかも、狭くて、そんなところで日常をさらすのが、だんだん、恥ずかしくなってきた。
ダヴィッドの家で撮影したデータをLさんに送る準備をしているけど、素敵な奥さんがいて、いちいちが羨まし過ぎて、ますます、やる気が萎えていく・・・。

滞仏日記「一気に深まった秋の日曜日のパリ、ぼくはバゲットを買いに」



ともかく、気分を変えるために、外出をしなきゃ、と思った。
そういえば、急に、パリが秋めいてきた。それが、今の自分の唯一の救いでもある。
秋が好きなのだ・・・。
外に出たら、快晴だからか、もの凄い人出であった。
日本も快晴で行楽地が大渋滞というニュースを読んだばかりだったけど、パリも凄い人、人、人・・・。
というのは、昨日、今日が、「ヨーロッパ文化遺産の日」ということで、たとえば、エリゼ宮殿とか、首相府とか、いわゆる古い省庁などを市民に開放しているのである。
日曜日で、やることもないので、夕方、ふらっと散歩に出たついでに、門が開いている文化遺産をいくつか見学をした。
なんの省庁なのかわからないまま、でも、普段、市民が入れない場所だからか、子供連れの家族が大勢いて、興味深く、それなりに楽しかった・・・。
ちなみに、エリゼ宮などは予約した人しか入れない。

滞仏日記「一気に深まった秋の日曜日のパリ、ぼくはバゲットを買いに」

地球カレッジ

滞仏日記「一気に深まった秋の日曜日のパリ、ぼくはバゲットを買いに」

滞仏日記「一気に深まった秋の日曜日のパリ、ぼくはバゲットを買いに」



歴史的建造物をいくつか閲覧した後、セーヌ川河畔を歩いていたら、本当にたまたまなのだけど、近所の少年、二コラ君が、昨日一緒にご飯を食べたばかりだというのに、河畔の駐車場でスケートボードの練習に勤しんでいた。
あ、と思った・・・。
声をかけようと思ったら、知らないおじさんと一緒だった。
誰だろう? お父さんじゃないしな、と思って目を凝らすと、その男性の少し後方のベンチに二コラのお母さんがいた。水筒とか、食べ物が入ったタッパーとか、がある。
なるほど・・・。新しい彼氏さんだ。
マノンはいなかったけど、おじさんは優しそうな人で、二コラに、スケートボードを教えていた。
いい感じだったので、思わず微笑みがこぼれ、邪魔しないように、木陰から眺めて、それから、こっそり、踵を返した父ちゃんであった。

滞仏日記「一気に深まった秋の日曜日のパリ、ぼくはバゲットを買いに」

※ 途中で黒ビールを呑んだのだ。美味かった!!!!



夕食は、ぼくは頂き物のチーズ、息子には得意のチキンフリットとペペロンチーノをこしらえてやることに・・・。
ただ、チーズにはバケットが必要だった。
日曜日だけど、ぜんぜん、日曜日じゃないような賑やかな日に、ぼくはバケットを買うために、さらに歩き、空いている店で、一本、伝統的なベケットを買った。

滞仏日記「一気に深まった秋の日曜日のパリ、ぼくはバゲットを買いに」



秋の美しい光りの中、ぼくは公園の真ん中に立ち、深呼吸をした。
若い人たちが楽しそうに芝生の上でピクニックをして寛いだり、年配のおやじさんたちがペタンクと呼ばれる鉄球遊びに夢中になっているのを、ベンチに座って眺めるのだった。
息子に
「掃除、空気の入れ替えしたか?」
とメールした。
「オッケー」
と返事が戻ってきた。この「オッケー」はやるよという意味だから、掃除機を部屋に放り込んでから二時間くらい経っているのに、まだやってないということを意味している。
「やらないと病気になる。頼むよ」
「オッケー」
やれやれ。困ったものだ。
それにしても、なんにも事件の起こらない、普通の日曜日だった。でも、それが日常というものである。
皆さん、読んでくれてありがとう。今日も良い一日でありますように。

つづく。

滞仏日記「一気に深まった秋の日曜日のパリ、ぼくはバゲットを買いに」



自分流×帝京大学
新世代賞作品募集