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退屈日記「暮れなずむパリのこの美しき世界をそぞろ歩く、おっさんずラブな野郎たち」 Posted on 2021/10/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ま、飲もうか、ということになり、パレロワイヤルのレストラン「ENNYA」のカウンターで国虎の野本と一風堂のみっちゃんと向き合った父ちゃん。
2人にお礼を言いたくて誘った張本人だから、昨夜食べた火鍋で胃が痛くて調子が出ない、とは言えず、帰りたいなぁ、と思いながら、夕方、4時に、飲みはじめた。
「あの、ええと、あ、あれやな、ほら、なんやったっけ、ひとなり・・・」
といつものごとく、日本語がまとまらない野本なのだけど、前回のバスツアー&ライブの終盤、どこで乗車したのか、下から不意にあがってきて、
「わあ、来た」
とみんなを驚かせた。ぼくの横に座って、ぼそぼそと、映ってるのか、と呟いたので、マイクを向け、なんか言ってよ、とふったら、
「どうもみなさん、こんにちは、国虎の野本です。今日は天気もすばらしく、よかったですね。いつも、ひとなりが、お世話になっております」
とぼくの知る限り、はじめてまともに日本語が繋がって、ぼくの期待を見事に裏切った、このおやじ、であった。
「なんだよ、ちゃんと喋ってるじゃん」

退屈日記「暮れなずむパリのこの美しき世界をそぞろ歩く、おっさんずラブな野郎たち」

※ パレロワイヤルは、人々の憩いの場である。



昨夜、店が閉まった後、スタッフさんらとライブのアーカイブ試写会をやったらしい。画面に野本が登場した瞬間、スタッフがどよめき、その後のこのまともなコメントに、
「しょうもない」
「つまらん」
「何しにいったんや」
とやじがとんだ、のだとか・・・。
「あ、ええと、あの、ほら、あれやな」
「だから、はよー言え」
ぼくが何度も、つっこむので、一番年下の一風堂のみっちゃんが大笑いしていた。
ぼくらはしこたま飲んだ後、左岸のカフェ、パレットを目指して、セーヌ川を渡ることになる。おっさんずラブな3人組は途中、パレロワイヤル、ルーブル美術館、などで記念撮影などをしながら、秋の美しい夕景を見て散歩をしたのであった。
「あれやな、ひとなり、あれ、ほら、ゆうひ、きれいやね」

退屈日記「暮れなずむパリのこの美しき世界をそぞろ歩く、おっさんずラブな野郎たち」

※ 広場で、社交ダンスの練習をするパリの市民・・・。かっこええ。

退屈日記「暮れなずむパリのこの美しき世界をそぞろ歩く、おっさんずラブな野郎たち」

※ ルーブル美術館へと向かう途中の回廊。かっこええ。

退屈日記「暮れなずむパリのこの美しき世界をそぞろ歩く、おっさんずラブな野郎たち」

地球カレッジ

退屈日記「暮れなずむパリのこの美しき世界をそぞろ歩く、おっさんずラブな野郎たち」

※ かっこええ。

退屈日記「暮れなずむパリのこの美しき世界をそぞろ歩く、おっさんずラブな野郎たち」

※ かっこわるー。笑。おっさんずラブなパリの男たち・・・。右が野本、左がみっちゃん。



久しぶりに顔を出したパレットは、かつて亡くなった友人の七種諭と芸術談義をやった場所なので、不意にその記憶がぼくの心を揺さぶった。
「あ、あ、あ、あ、わかる、あの、そうやな、さとし、そうやったね」
何が、そうやったのか、わからんけど、野本もパリ30年選手なので、諭とは親しかった。だから、悲しみを共有し、また飲んだ。のもっちゃんとは芸術談義はできない。
「それは、ほら、あの、ええと、あれや、だから、ええー、な、ほら」
「だからはよ言え」
みっちゃんが笑った。野本には芸術談義は無理なのだけど、実は彼もカメラをやっていて、ルーブルで毎年開催されるパリ最大のアマチュア写真フェスティバルで金賞をとっている。人は見かけによらない、とはよく言ったものだ。
だから、写真芸術が何か、彼なりにわかってはいるのだけど、日本語がね、・・・。
「あれやな、ひとなり、しゃしんってさ、だから、かんたんに言うとな、しゃしゃん」
「だから、何がいいたいねん」

退屈日記「暮れなずむパリのこの美しき世界をそぞろ歩く、おっさんずラブな野郎たち」

※ ずらりと並ぶ、セーヌ川河畔名物の路上書店、ブキニスト。



みっちゃんの元従業員だった女性が途中から合流し、野本の横で大声で騒いだかと思ったら、今から、ボルドー行きの最終TGVに乗って家に帰ると言い出し、あっという間に消えたかと思ったら、そこに野本の奥さん、ますみさんがやってきて、野本の横にちょこんと座った。(ENNNYAのシェフもそこから合流)ますみさんとは、十年ぶりくらいに会ったけど、野本にはもったいない可愛い人なのだ、・・・。
「どうやって、こんなきれいなかみさんがいるの、君に」
と余計なことを言ったから、野本が釈明しようと、
「ほら、それは、あれ、おれが、むかし、だからな、・・・」
これが5分くらい続いたところで、奥さんが、出会い、なれそめをきちんとした日本語で全部教えてくれた。
へー、くどいたんだ、どんな日本語でくどいたんだろう、と思った。
その後は、野本がわけのわからない、たとえば、不意にポーランドの話しとかしだすから、みんな、ぽっかーん、としていると、すべて、奥さんが通訳して、ポーランドの食品会社のことを話しているのだとわかった一同・・・。なんで、ポーランドなのかは、誰もわからないけど、ぼくは野本に教えてやった。
「これからは、まず、結論を先に言ってから、あーとか、うーとか言え」
「あ、あ、それやね」
「それから、言語というのは主語とか動詞とかがあるということを忘れるな」
「あ、あ、ほんまや」
「すいません、みなさん、ご迷惑をおかけして」とますみさん。
羨ましいというか、嫁さん、すごいな、と思った。
「あのな、野本、独身だとな、頭が痛い、と言っても誰も、大丈夫か、とか心配してくれないんだ。それがいまのぼく。君は、頭が痛いと言ったら、こんなに出来た嫁さんが心配してくれるんやね。それを幸せというんだよ」
「あ、あそ、あはは、そうか、あれ、ほらだからな、ええと、えええーと」
「だかさら、はよ、言え」
一同、爆笑だった。パリの夜が更けていった。



ぼくらはオデオンの一風堂へと場をうつした。当然なのだけど、フランス人の若者で満員で、ぼくらは一番奥の席の半個室に陣取った。
そこでみっちゃんが、出してくれたのが、平田バンズとかいう、ま、台湾にある中華風チャーシューパン、割包(クワバオ)のようなものが出てきた。注文したみっちゃんも、途中から合流したますみさんも、みんなさっと手を伸ばして、それを奪うようにとって頬張ったので、ぼくも何事がおこったのか、とおもって、残った最後のを掴んで食べたら、
「うまい。なにこれ」
となった。
なんでも、ニューヨークの平田さんという人がクワバオから着想し、開発したものだそうで、へー、と再び世界の広さを思い知らされたおっさん、ひとなりであった。

退屈日記「暮れなずむパリのこの美しき世界をそぞろ歩く、おっさんずラブな野郎たち」



退屈日記「暮れなずむパリのこの美しき世界をそぞろ歩く、おっさんずラブな野郎たち」

ぼくらは「もう一軒行こう」と言って、サンジェルマン・デ・プレにあるカフェ・フロールに場所を移し、別れのワインを飲んで、解散となった。
最後まで何を言いたいのか、言いたかったのか、わからない野本だったが、嫁さんに支えられて家路につくその後ろ姿を眺めながら、寄り添う人がいるのは素晴らしいことだな、と思ったシングルファザーの父ちゃん。
オレンジ色の街灯の光りのなか、ますみさんと野本の並ぶ姿はパリの夕景よりも、素敵だった。日本語が通じなくても幸せならいいね、と遠くから声をかけた、父ちゃんであった。
ぼくは家まで一人で歩いて帰ることになった。秋の夜風が気持ちよかった。
4時から飲んで、12時まで8時間も飲んだけど、何を会話したのか、何も頭に残っていない、おっさんたちのくだらない時間、しかし、ロックダウンの過酷な日々には出来なかった、これはこれで人間らしいひと時でもあった。めでたし。

つづく。

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