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滞仏日記「だんだん人格が出てきた田舎のアパルトマンで、孤独を満喫!」 Posted on 2021/10/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、早朝、起きてきた息子をつかまえ、30ユーロを手渡した。
「ちょっと、田舎に行く。食料は冷凍庫と冷蔵庫にいろいろ入れといた。あと、足りないものがあれば、これで買って、残ったらかえしてね」
「あ、うん」
「ちょっと仕事がひと段落したから、休んでくる」
「ゆっくりしてきたらいいよ。パリは任せて」
「ありがと」
ぼくはラッシュアワーになる前に、パリを抜け出した。
最初は「遠いな」と思っていたけど、だんだん、慣れてきて、今日はあっという間に田舎に到着してしまった。
自分のアパルトマンのある県に入った時、なんとなく、ホッとした。
帰ってきたなぁ、という感じ・・・。

滞仏日記「だんだん人格が出てきた田舎のアパルトマンで、孤独を満喫!」



だんだん、家具が揃ってきたのだ。
もう、普通の生活が出来る状態である。
息子が寝泊りできる簡易ソファ・ベッドも購入した。もうすぐ秋休みなので、2人でキャンプみたいな生活がおくれる。
屋根裏部屋で、決して大きなアパルトマンじゃないけれど、ぼくにはちょうどいい。
何より、四方から光りが入るので、(小さな天窓もある)明るいのがちょっと自慢だ。
秋の清澄な光りが室内を淡く切なく染めあげている。
まず、ガス栓と水道を開き、窓をあけて換気した。
次に、ベッドを覆っているビニールシートを外し、すぐごろんと出来るよう、ベッドを整えた。
担いできたギターをスタンドに、パソコンを仕事机の上に設置。
喉のために、加湿器をかけ、ちょっと寒いので暖房も稼働させた。簡易暖炉もそろそろ、使えるかもしれない。
いいな、なんとなく、アパルトマンに人格が出来てきた。
お気に入りのジャズをかけ、コーヒーを淹れて一息ついた。

滞仏日記「だんだん人格が出てきた田舎のアパルトマンで、孤独を満喫!」



滞仏日記「だんだん人格が出てきた田舎のアパルトマンで、孤独を満喫!」

滞仏日記「だんだん人格が出てきた田舎のアパルトマンで、孤独を満喫!」

家具のほとんどはネットで買ったけれど、一番近いちょっと大き目な街にある家具屋にも出かけて、運べるものは、たとえば、この黄色い椅子とか、カーペットなどは、買って、自分で運んだ。手作りのアパルトマン感があり、手触りというのか、居心地というのか、空気感というのか、100%自分色に染めることが出来た。
ここを見つけてくれたこの地方の不動産屋のジャンとマリー(彼らは別々の不動産屋なのだけど)を近々、同じ日に招いてランチをふるまいたい、と思っている。
さて、スケジュールがあうかどうか・・・。
コロナ禍のど真ん中で、つまり、一回目のロックダウンと二回目のロックダウンのあいだに、ここを見つけ、見つけた日に「買う」と宣言した。
結局、マリーさんの物件で決まったけど、ジャンがいろいろとアドバイスをくれた。今では二人とも仲間・・・。
10月4日、マリーからSMSが入った。
「ひとなりさん、お誕生日おめでとう!!!」

滞仏日記「だんだん人格が出てきた田舎のアパルトマンで、孤独を満喫!」



3回目のロックダウンになる頃、パリジャンの多くがパリから地方へと転居を希望しはじめ、ちょっとおしゃれな地方から物件が消えていく事態になった
この地域は周辺に観光地もあるので、本当にグッドタイミングでの購入であった。
今は買いたくても、物件がなく、買えない状況が続いている。
友人たちに、「ひとなりは本当に、地方生活が出来るのかい?」と言われ続けた。「すぐに都会が恋しくなるぞ」
でも、そうはならなかったし、むしろ、ぼくのパリ・エクソダス計画は着々と進んでいる。
息子が大学生活をおくるようになったら、もう、完全に軸足をこっちに移すことは確実である。
ゆったりした時間が流れているし、ここの人たちとも馬が合う。
最初はこの建物の人たちが妖怪みたいに見えていたけど、下の階のカイザー髭さんは、今やぼくにとって、遠い親戚のおじさまのような存在になり、
「ひとなりのギターが聞こえないのは、ちと、寂しいのォ」
とSMSが届いたりもする。
田舎では、真夜中であろうと、ギターを弾き続けることができた。
カイザー髭がたまたま元オルガン奏者だったからだ。彼らの寝室とのあいだに、階段と廊下があるせいで、多少のことは許してもらえる。
新曲の「MATSURI」のYouTubeもさきほど、おくった。このアパルトマンで撮影したので、たぶん、喜んでくれるはずである。

滞仏日記「だんだん人格が出てきた田舎のアパルトマンで、孤独を満喫!」



「実は、前の住人のご夫妻がね、あなたに会いたいと言ってるんだ」
「え?なんでですかね」
かなりご高齢のご夫婦が元の家主さんだった。
「自分らが住んでいる家に、どういう人がどういう生活をおくっているか、知りたいんだよ」
ロックダウンがあったので、ぼくらは面会せず、サインをした。
マリーが仲介をしたけど、コロナ禍の契約は簡易的なものが認められたのだ。
でも、この屋根裏部屋を愛していた前の住人は、自分たちの家を今、誰がどのような姿にかえて生活しているのか、気になってしょうがないのだ。
当時の写真があるので、ちょっとお見せしたい。ぼくがこの物件を見た時、フランスのおじいさんとおばあさんは、こういう生活を送っていたのである。
こちらが、最初の内見の時に、撮ったもともとの部屋の写真である。

滞仏日記「だんだん人格が出てきた田舎のアパルトマンで、孤独を満喫!」

※ こちらが不動産屋のマリーさん。

滞仏日記「だんだん人格が出てきた田舎のアパルトマンで、孤独を満喫!」

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でも、ぼくがここで暮らすなら、全部、変えたいと思った。
さて、あまりに見違えてしまったこのアパルトマン、元の家主さんたちはどういう思いで眺めてくださるだろうか・・・。もう、思い出はそこに微塵もないのだから・・・。
しかし、高齢なご夫婦だったから、屋根裏部屋まで階段を上がり降りするのがきつくなって、・・・そうなることを想定して、泣く泣く手放したのだと思う。
今は、もっと田舎の、海の真ん前の家を買われたようだ・・・。
「もちろんですよ。いつでも、どうぞ」
とぼくはカイザー髭に返信をしておいた。
人間は、生きている数だけ、ドラマがある。ここに巡り合えたことにぼくは感謝をしたい。
さて、夕食のために、近くの漁港まで生きてるカニでも買いに行こう。



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