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退屈日記「カフェは人生のたまり場で、ホっといてくれる場所なのだ」 Posted on 2021/10/13 辻 仁成 作家 パリ

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今日も、朝から田舎のカフェに行き、カフェオレを飲んだ。
家でももちろん、飲めるのだけど、必ず、どこか行きつけのカフェに行き、そこのギャルソンたちと二言三言、言葉を交わすのが、孤独な父ちゃんの愉しみなのである。えへへ。

つまり、ぼくの日々の愉しみはカフェ巡りにあるのだ。
今日は、そんな父ちゃんが考える、カフェとは何か?

行きつけのカフェはパリの自宅周囲に四軒ほどある。
一番よく通うカフェは、毎日一度は必ず顔を出す。
二番目に多く出かける店は週に二、三度、そのほかは月に数度……。
お気に入りのカフェは日本人観光客にはちょっと敷居が高いかもしれない。
オペラやシャンゼリゼあたりの観光カフェとは異なり、地元のカフェは、なんとなくいちげんさんを寄せ付けない気配が漂っている。
でも、誤解がないように付け足すと、わざと寄せ付けないのではない。
誰も気を遣わないという意味で、旺盛なサーヴィス精神はなく、気にしない人だけが集う。
テラスに座っていてもなかなか注文を取りに来てくれないこともある。
気にする必要はないし、気になるなら違うカフェに行けばいい。
でも、観光地以外ならば、どこもそんな感じだ。逆に観光地は抜群のサービスなんだけど、ぼくには物足りない。笑。
 

退屈日記「カフェは人生のたまり場で、ホっといてくれる場所なのだ」



退屈日記「カフェは人生のたまり場で、ホっといてくれる場所なのだ」

 
カフェというのは文字通りの喫茶店というだけではなく地域の人たちのたまり場であり、いわば集会所である。
だから、観光客に媚びることもないし、観光で利益を得る必要もない。常連を大事にしていれば、回せるのだ。
カルチエ(地域)に密着しているし、家族的なつながりが濃厚で、集う人々がある種の孤独を癒しに、といえば大げさだが、時間を潰しに、あるいは、ただ存在しに集まる。
大事なことはそこに自分の居場所を作ることで、それは愛想を振りまくことではない。
みんなこっそりと自分の空気や気配を植え付けにやって来る。
人間関係などは誰も要求しないし、お前誰だ、とも聞いてこない。
なのに、その人のことを誰もが了解しており、その上で、みんなでカフェの空気を控えめに演出していたりする。
その地域の空気感の質はそこにあるカフェでこそ決まるといっても過言ではない。
ぼくが暮らすカルチエは自慢したくなるカフェばかりだ。
ちなみに、田舎生活がはじまって、すでに、2,3軒、なじみのカフェが出来た。
一月ぶりに顔出すと、
「ああ、ムッシュ。お久しぶり。寂し過ぎて、日本に帰ったのかと思ってました」
と言って軽い冗談、飛ばしてくれる。
ふふふ。
その地元感、めっちゃ嬉しいじゃないの~。

でも、そこで働く連中が優しくていい人たちばかりで愛の溢れたカフェなんてことは全然なくて、むしろ真逆、驚くほどに愛想がないのが、また、ご愛敬・・・ぼくは好き。
しかし、そのひねくれ感が自然なので、ぼくのような偏屈な人間にはちょうどいい。
こびる者はおらず、だから、嘘もなく。
それでも、カフェの人たちは上手な話し相手なのだ。
聞き上手というか、いろいろと、彼らなりに察してくれる。
「ムッシュ、元気?」
この一言、染みる・・・。
 

退屈日記「カフェは人生のたまり場で、ホっといてくれる場所なのだ」



退屈日記「カフェは人生のたまり場で、ホっといてくれる場所なのだ」

 
ちなみに、ぼくが一番通うカフェはテラス席、店内窓際の席、カウンター周辺、奥のホールとで客層が異なる。
カウンター周辺は清掃局や警察官や周辺の肉体労働者の人々が屯しているし、
テラス席は若干の観光客とタバコを吸う地元の人々、犬連れの常連客らで賑わっている。
窓際の席はぼくを含めどこか独特な毒気を発している常連客が陣取る。
ホールはこっそりと食事をする人たちや近くの会社や役所の人たちの会議の場となっている。
担当するギャルソンたちも持ち場によって雰囲気が異なる。
テラス席周りのギャルソン、朝番専門の古参のギャルソン、ホールから出ないのにしかしすべての客の素性を見抜いている番頭のような給仕、カウンターの中で機敏に働く若いギャルソン、と様々だ。

客だって負けてない。
行けば必ずいる老女や、新聞を何時間もかけて隅々まで読んでいる大学教授風(アドリアンね。笑)、セカンドライフを生きるご夫婦や、昼間っから(朝から?)飲んだくれている中年オヤジたち(カメラマンのピエールね、笑)、近所の大使館員、国際機関の研究者、自称ミュージシャンに自称俳優、中には超有名人も混ざっているし、客を睨んでいる気難しそうなおじいちゃんだっている。
彼らの響きあう視線が交差するカフェのこのフランスらしい空気感は毎日、四季を通して、経験してこそやっと理解できるフランスの独特の文化臭。
フランス的なもののあわれがそこにはあるのだが、これを言葉にするのは難しい。
つまり、そこにはそのカルチエの時間が根付き、佇み、どっしりと横たわっているのだ。
世界中、どこにだってそういうカフェはあるが、パリは至るところにこの聖域が存在しており、そこで生きる人々を繋ぎ、見つめ、送り出す。
 

退屈日記「カフェは人生のたまり場で、ホっといてくれる場所なのだ」



退屈日記「カフェは人生のたまり場で、ホっといてくれる場所なのだ」

 
ある日、行きつけのカフェの一軒で、二人組の老人たちが語らいあっていた。
彼らが飲んでいたものがぼくの視線を摑まえ離さなくなった。
二人とも同じものを注文している。飲み終わると、同じものをさらに頼んだ。
どちらも顔が真っ赤。でも、会話は終わらない。
馴染みのギャルソンを呼び止め、小声であれが何か知りたいと訊ねた。
カフェ・カルバだよ、と教えてくれたので、同じものを注文してみた。
エスプレッソとカルヴァドス、しかもダブルのカルヴァドスを交互に舐めるのである。
うまい。たまらん。

寒い日の午後、ぼくはあの老人たちを真似て、カフェ・カルバを注文するようになった。
カフェの片隅でぼくはこっそりと自分の老後なんてものを想像する。
どうやってぼくはくたばるんだろう、と考えながら苦いエスプレッソを呑む。
差し込む光りがテーブルの上で愚か者を諫めるように一隅を照らす。
 

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