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滞仏日記「お知らせ」 Posted on 2021/11/28 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、昨日、小さな荷物が東京から届いた。
差出人は長年、ええと、30年くらいかな、ぼくの秘書をやってる菅間理恵子からだった。
ぼくはスタッフのことを(弟以外)日記に書かない主義なので、たぶん、彼女がこうやってここに、これほど、長く登場するのは初めてのことになる。
読者の皆さんには、Design Storiesツイッターの中の人、と言った方がわかりやすいかもしれない。
「ぴょん吉をさがせ」のあの人・・・。あそこは菅間さんのご自宅・・・。
作家、辻仁成と仕事をされてきた人はみなさんご存じの、あの「すがまさん」である。
パリの自宅に届いたのはCD「コトノハナ」で、こちらのプロモーターに配る必要があり、退院したばかりで、無理をさせているのはわかっていたのだけど、お願いしたのだ。
その日付を見ると、19日だったので、彼女が亡くなる前日のことであった。
21日、弟から電話があり、その訃報を知らされたのだけど、ぼくは写真家・七種諭の時と同じように、ぴんと来なかった。
弟が、何を言ってるのか、まったく意味がわからないのである。今もまだ、わかってないかもしれない・・・。
「え、そうなの。(何、言ってるの?)で、どういうこと?」と興奮している弟の言葉を遮っていた。

今日、地球カレッジが終わるまでは、お世話になった仕事関係の皆さんには、黙っておくことにしておこう、と決めていた。
菅間さんは、ぼくの暗い顔とか悲しい表情が好きじゃないし、ぼくを困らせることが一番嫌なのだ・・・。そういう人だった。
だから、ぼくは今日全力で自分を奮い立たせ、植野さんと普通じゃないテンションで、冗談を言い合い、笑いあった。
植野さんも、お手伝いで参加してくださった料理研究家の尾身さんも、知らせてなかった。
終わった後に、知らせたから、そりゃあ、驚くよね・・・。ごめんなさい。
そして、終わったとたん、さすがに、ぼくは動けなくなった。
やっと、認めなければならないときが来たのである。
本当に、サヨナライツカ、しかないのだ。この人生という厄介な状態には・・・。

滞仏日記「お知らせ」

※ ここにぴょん吉が隠れている。菅間さんはいつも裏庭でこういう写真を撮影して、デザインストーリーズにはぜんぜん関係ないリズム感で、「ぴょん吉を探せ」と呟き、読者の皆さんと向かい合っていたのだ。(デザインストーリーズのツイッターのパスワードはなんとか、発見することができたので、パリ編集部が12月以降受け継ぎます)



ぼくは読者の皆さんがすでにご存じのように、難しい人間である。
単純で、まっすぐすぎるし、ぼくは誰ともだいたいうまくいかない。
我が強いから、みんな離れていく。
だから、連絡帳というものが大嫌いなのだ。
誰からも命令されたくないし、命令したくもない。
でも、菅間さんだけはぼくがECHOESをやっていた頃からの長い付き合いだけれど、独立してから作った事務所を手伝ってもらい、小説関係の出版社とぼくとをつなぐ、もしくはライブ関係、映画製作チームとの間を取り持つ、優しいお姉さん、あるいは、厳しいお母さんのような存在であった。
きっとカメラマンの蔦井さんとか、サウンドクリエーターの中原さんとか、各出版社の担当の皆さんとか、びっくりするだろうなぁ・・・ごめんなさい。

いや、こんな日記、書きたくなかったし、自分が今、なんでこんなことここに書いているのかさえわからないのだけど、これまで菅間さんと仕事をしていた方々に連絡ができないので、ここにこうやって、彼女の旅立ちを伝えなければならない・・・。
不意にあっちに行っちゃったので、彼女のパソコンが開けられない。誰とどういう話しをされていたのか、ぼくにはわからない。
ぼくはぜんぶ、彼女に任せていたから・・・。
博多にいる弟の恒ちゃんが(たまたま母さんが入院をしていたので)神奈川の彼女の家に行き、菅間さんのお姉さんといろいろ探すことになった。
パスワードや暗証番号や必要書類や通帳や印鑑やとにかくいろいろなものを探したのだけど、パソコンだけが開錠できなかった。
いつか、きっと、開けられるかもしれないけれど、今はまだ閉じたまま・・・。別に、そんなのどうでもいい。
彼女の自宅にはこの30年の仕事の書類が段ボール30箱分くらいあった、らしい・・・。
パソコンが開かないにしても、それは重要じゃない。
ぼくにとって、菅間さんがいないということが、どういうことなのか、ということの方が圧倒的な問題だから、・・・。
彼女は、ぼくが20代の頃からの本当の仲間・・・



ぼくは面倒くさい人間だから、それと自分で言うのはなんだけど創作している時は集中し、他が見えなくなるし、よく大事なことを忘れるし、他に気が回らなくなる。
そういう人間だから、ほとんどの人に莫大な迷惑をかけてきたが、菅間さんだけは、それをひしと受け止めてくれた。
いつも、「これお願いします」「菅間さん、明日までにやっといてください」「あれ、どうなっていますか?」と短文を送るだけ、あとは彼女が黙々と処理をしてきてくれた、30年間・・・。
それは完璧だった。
その上、ぼくが自分を貫きすぎて、大失態を起こし落ち込んでいると、「大丈夫ですよ」と必ず戻ってきた。
「辻さんはそれでいいんです。自分の信念を貫いてください」
でも、気が付かなかったのだけど、そのメッセージはもう、戻ってこないのである。30年も励まされてきたというのに、もう、戻ってこない。
それの意味、相談をしても、頼んでも、連絡しても、電話をしても、もう、彼女はこの地上にはいないのである。
そのことが少しずつ分かってきて、やっと、昨日、
「なんだよ、どこに行ったの。何してるの? お願いします。また、戻ってきてよ」
と天に向かって、ぼくは文句を言った。心臓が痛いよ。
すると、そこに、彼女からの郵便物が届いて、ぼくは差出人が菅間さんからだとわかって、今までにないくらいの衝撃を受けて、なんだよ、と呟いたまま、暗い玄関口で動けなくなったのである・・・。
今、これを書きながらも、涙が止まらないのに、怒っている。なんで、まだ、仕事あるし、やってください、お願いします、何してるの、と、訴えている。
人の死でここまで孤独を感じたことはない、・・・。
でも、ぼくはそれを誰にも見せないし、見せたくもない。だから、外では、いつも笑顔でいる。地球カレッジも笑顔で通したし、ニースでも、ずっと笑顔で・・・。
なぜかというと、菅間さんはそういうのが嫌いだからなのだ。
日本で最初の骨髄移植成功例で、お医者さんに「24歳で死ぬ」といわれていたのに、それから40年以上生きて「自分の生は神様からのギフト」と言い続けていた。
手話をやり、ボランティア活動をしていて、与えられた命を使命だと思って生きていた。
そんな菅間さんにだけは見放されなかったことが、もしかすると、ぼくにとっては宝なのかもしれない・・・。

滞仏日記「お知らせ」

ぼくがこういう性格だから、メディアとかに叩かれている時にも、「大丈夫ですよ。信念を貫いてください。きっと味方が現れますよ」と言い続けてくれた。
離婚の後、息子が日本に帰ると、寂しい息子の話し相手になったり、博多のぼくの母さんのところまで息子を送り届けてくれたり、東京ではしょっちゅう息子と買い物に出かけていた。キディランドなんかにも、・・・。
だからね、まだ、息子には言えないでいる。
なんて言えばいいのかわからないでしょ? 
これを読んで気づいてくれればいい。ぼくからは言いたくない。
たぶん、言わないかもしれない。
そもそも、ぼくはまだ菅間さんの死を認めてないし、メールをしたら、「大丈夫ですよ」と戻ってきそうだから、ぼくは待機し続けているのだ。
彼女の、死という現実と、今、にらめっこをしているところ・・・。

出版業界、ライブ関係者、ミュージシャン仲間の皆さん、それから映画・演劇関係の皆さん、だから、ここに書いたように、「ご冥福をお祈りします」だけぼくには送らないように・・・。
オーチャードホールだって3回も延期になっていて、まだ終わってないし、映画だって、小説だって、やり残しているし・・・。菅間さんは、なんとかなります、と応援し続けてくれたのだ。
新世代賞だって、そうだ、新世代賞は彼女が創設に尽力し、その中心的存在でもあった。
そこから巣立った若者たちにとって、彼女はお母さんのような存在だった。
その審査会の日に、亡くなったのだ。
ぼくは連絡がつかないので、おかしい、と思っていたけど、審査会が大変で、確認が出来なかった。
「大丈夫ですか?」
というぼくからのその日の朝のメッセージが最後のラインとなった。



次の日、弟がこの辛い知らせを届けてきた。どうするの? 新世代賞・・・。
ぼくはどうしたらいいというのであろう。もう、何も、お願いできやしないじゃないか。
「菅間さん、明日までに、あの書類を全部、探しておいてください」
「菅間さん、この原稿、誤字脱字チェックしてから編集部の人に9時までに渡して」
「菅間さん、閉め切りいつだっけ?」
「菅間さん、次の帰国時にWi-Fiを借りといてください」
「菅間さん、窓側の席がいいな。パリに戻る便の予約変更してください」
「菅間さん、体調が悪いんだけど、今日は行けそうにないから先方に連絡してもらえる?」
「菅間さん、ぼくはどうしたらいいんですか?」
「菅間さん、ぼくはだれに小言を言えばいいの? 文句を言えばいいんですか?」
「菅間さん、何やってるの? お願いしますよ、ぼくなんかに出来るわけないでしょ」
「菅間さん、明日から、どうやってぼくは生きていけばいいんでしょうね」
「菅間さん、でも、お願いだから、休んでください。あなたが倒れたら、ぼくはどうしたらいいか、わからないから。それはぼくがやるから、今は寝てください」

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