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滞仏日記「オミクロンなんかに負けないために、ぼくは笑顔で目を覚ました」 Posted on 2021/11/29 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ラジオを聞いていたら、「今までの流れからするとオミクロン株はもうフランスに入ってますよ」と科学者の人があっけらかんと言い放っていた。
「近隣のベルギーで発見されているんだから、フランスに入ってない、というのは考えにくいですからねー」
その通りだな、と思った。
CDCのファウチさんも同じようなこと言ってたし、過去のどの変異株も、報道され始めた時にはだいたい時すでに遅し・・・。
じゃあ、どのくらい感染しているのか、・・・その科学者さん曰く、
「はっきりとしたことがわかるまでに(ケルクスメーヌ)数週間はかかる」
と言うのだから、マジかよ。・・・数週間って!!
やれやれ、そんな頃に状況が分かっても、手遅れだろうに・・・。
だから、各国政府が不意に焦り始めたのは、これまでの学習の成果なのかもしれない。

滞仏日記「オミクロンなんかに負けないために、ぼくは笑顔で目を覚ました」



それにしても、今までにないくらいの世界規模の過熱報道ぶりなので、オミクロン様は相当にやばいのだろう・・・。
ちょっと騒ぎ過ぎだろ、と能天気なピエールが鼻で笑っていたけど、本当に免疫や抗体をすり抜ける高い感染力、しかも、一部報道されているように空気感染までするなら、この冬にまたどうしようもないくらいの感染爆発が起こっても不思議じゃない。
そして、春くらいに新しいワクチンが登場し、それも打たないとならなくなったりして・・・。
イスラエルは国を一時期だけど閉めたというし、南アはもはや陸の孤島みたいになっていて、・・・恐ろしい時代である。
感染爆発しているのだけれど、南アみたいに仲間外れになりたくない国が続出する可能性もある。あるね・・・。
南アは模範的なことをしたのだから、まず、先進国はなんらかの救済策をたてないと。
じゃあ、黙ってようかな、と思う国が続出したら、もの凄い隠蔽がおきて、取返しがつかない事態になるかもしれない。
この星は一つ、逃げ場なんかないし、せき止められた海はいずれ死ぬのだから・・・。

滞仏日記「オミクロンなんかに負けないために、ぼくは笑顔で目を覚ました」



ところで、フランス政府のコロナへの制限がさらに厳しくなったのは、「パリ最新情報」でお届けした通り。
だから、みんな3回目のワクチン予約に集中し、来年までもうどこのワクチンセンターも空きがない状態。
ぼくは、とりあえず、12月の後半になんとか予約がとれたからいいけど、とれない人たちが焦っている。
4か月ほど前に2回目のワクチン接種した知り合いが検査をしたら、抗体が20%くらいしかもう残ってなかったのだとか・・・。
だから、早く打ちたいけど、一方で、こんなにワクチンを打っても大丈夫なのか、という懸念もさすがにある。
新しい変異株が出るたびに、どんどん打たないとならないだなんて、想像しただけでもクレイジーだ。
この冬、また、飛行機が飛ばなくなり、観光産業はさらなる打撃に見舞われ、国家間の移動が出来なくなり、経済も行き詰まり、・・・いったいどうしたらいいの?

滞仏日記「オミクロンなんかに負けないために、ぼくは笑顔で目を覚ました」



その一方で、世の中は着実にクリスマスへと向かっている。
カフェとかブティックとかが、華やかなクリスマスデコレーションで飾り付けられている。美しい冬らしい景色が広がっている。
こんな時代でも、人々はやっぱり、クリスマスを愉しみたい。
家族と暖かい年末を迎えたい。
デパートに行くと、プレゼントを買う人々が、列を作っていた。
辻家は冷戦状態だから、今年はツリーをどうしようか、悩んでいる。
どんなクリスマスになるのか、・・・。
クリスマスの先に待ち構えているのは新年である。
うちは新年の先に、息子の18歳の誕生日が待ち構えているが、フランスは18歳が成人なので、あいつはついに大人になる。
その先に、受験が待ち構えていて、その先に、ぼくの一人暮らしが待ち構えている、という寸法だ。
まさに、激動の時代を生きているということになる。
人々で賑わうデパートで、ぼくはツリーのオーナメントを見上げた。
毎年、一つだけ新しいオーナメントを買うのがぼくの愉しみなのである。
離婚をしてから8回目のクリスマスになる。2人きりのクリスマスは9回目だけど・・・。その9個のオーナメントはぼくの一生の記念品にしよう・・・。
母さんから送られてきた手作りのオーナメント2つもあるから、計、11個か、寂しいものであーる。
ま、今年が息子にとって子供時代最後のクリスマスということになるから、やっぱり、小さなツリーを買おうかな・・・。

滞仏日記「オミクロンなんかに負けないために、ぼくは笑顔で目を覚ました」



こういう恐ろしい時代だからこそ、ぼくは誰よりも元気でいなきゃ、と思って過ごした一日であった。
ぼくが塞ぎ込んでいると、友人も仲間たちも暗くなるから、と今日はもっともらしく、自分にはっぱをかけた。
何か、たくさん、目標を作って、そこへ向かっていかなきゃ、と志を新たにした父ちゃんであった。
30年も秘書をつとめてくれた菅間さんの死は辛かったけど、今朝、夢に出てきてくれて、なんと嬉しいことに笑顔だった。
雨だったのか、コートが濡れていたので払ってあげて、世間話しをしたら、知らない人が、そんなところで立ち話しないで、こちらのソファでどうぞ、と椅子をすすめてくれた。
そこで目が覚めたのだけど、・・・
よかった。元気そうで、と思いながら、ぼくは起き上がったのだ。
「そうですよ、辻さんは夢をどんどん追いかけてください。上から、応援していますね」
なんとなく、そんな感じの声が聞こえてきた気がした。
笑って、目覚めたのは何年ぶりだろう、と思った。いい朝であった。
もっともっと、夢を追いかけたい。ぼくはまだまだ生きなきゃならない。

つづく。

滞仏日記「オミクロンなんかに負けないために、ぼくは笑顔で目を覚ました」



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