JINSEI STORIES

滞仏日記「18歳の誕生日を迎えた息子へ贈ることば」 Posted on 2022/01/14 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝早く目が覚め、息子が起きてくるのを待った。
待ちながら、ベッドに腰かけ、今日までの長い年月のことを考えた。
いろいろとあったけど、不思議なことだが、嫌なことは思い出せない。
息子と一緒に生きてきた日々が脳裏を過っていく。
特に思い出すのは、一緒にバレーボールの練習を近くの広場でやった時のことで、一生懸命、ボレーとかサーブの練習に付き合ったこと・・・。いい思い出である。
今の反抗期後半のあいつと比較すると当時は、実に、素直な子だった。(笑)
二人で生きるようになった頃のあの子はもちろん、精神的にはきつかったとは思うけど、むしろ、ぼくを支えようとよく気を使ってくれたし、頑張ってくれた。
いろいろと子供の頃から持論を展開する賢い子ではあったけど、小学生の頃、中学1,2年生の頃は絵に描いたように純朴な少年だった。
けれども、母親の話しをしあったことはない。
息子からその件について聞かれたことは、この長い年月の中で、1度か、2度、それもシリアスな感じじゃなく、何かを思い出して、ふっと口をついて出たという感じ程度で、でも、裏返すと、そこに幼い頃の母親の記憶が残っているのがわかった。
でも、母親のことを二人で掘り下げることはなかった。
なんでだろう、と思うけど、今日まで、そうだったのだから、仕方ない。
たぶん、離婚直後に、その話題を彼に向けてぼくから言ったら、遮られ、「ぼくだって頑張ってるんだから、その話はしないでよ」と怒られたことがあった。
それから今まで、いいことなのか、どうなのかわからないけど、きちんと話しにのぼったことがないのだ。
彼が何を考えているのかは、父親のぼくにもわからない。
ただ、そうやって歳月が流れた。

滞仏日記「18歳の誕生日を迎えた息子へ贈ることば」



ぼくの携帯には息子がぼくに語った、幼い頃の会話がたくさん録音されていた。
食事に行った時とかに、息子はよく人生について哲学的に語っていたのだ。
残念なことに、福岡の定宿のホテルでその携帯をシーツと一緒に洗濯機にいれられ破壊されたので、集めていた幼い頃の彼の声はすべて消えてしまった。(泣いた)
甲高い声で、二人きりのクリスマスの日に、通りを歩く人たちを見ながら、「パパ、見てごらん。みんな一人じゃないんだ。彼らの後ろに神様がいるでしょ? どんな人にも見守っている存在がいるし、人間は天とつながっているんだよ。だから、寂しいことはない。感謝をして生きるのがとっても大事なんだよね」というようなことをずっと喋って、ぼくを心配させた。(笑)
感受性の強い子であった。
カトリックの学校に通っていたので、キリスト教の授業(カテシズム)などから学んで、彼が作り出した思考なのだろうけど、彼は結局、キリスト教を選択することはなかった。
そこにも、きっといろいろと彼が考え悩んだ道があったと思う。
ただ、とある教会の前でひざまずいて、手を合わせたことがあった。
あの時に彼が何を祈ったのか、それがあいつの祈りなのだろうな、と今でもぼくは想像をしている・・・。
信仰があるかないかではなく、人間に祈りがあるかないか、・・・。

滞仏日記「18歳の誕生日を迎えた息子へ贈ることば」



でも、だんだん、純朴な少年も、思春期、反抗期、など人間が普通に通過していく儀礼のようなものを経験し、それなりに、生意気になって、ぼくを安心させた。(笑)
それでも、彼は不良にはならなかった。
バレーボールと並んで彼が熱心に傾倒したのがビートボックスとヒップホップだった。
仲良しグループの中には音楽をやる者がおらず、息子はネットを介して、カナダやアメリカやアフリカや英国などの音楽の仲間たちとつながっていった。
その頃からガールフレンドもでき、整髪料をつけるようになった。
でも、結論から言うと、彼は真剣に音楽に向かい、映像などにも関心を示し、どちらかというと裏方の世界へのあこがれを強く持って、父親のようにしゃしゃり出る人生は選択しなかった。
シャイで、おとなしい子だ。いい音楽を作っていて、よく聞かされた。
アドバスを求められた。そのくせ、ぼくのコンサートには来たがらなかった。
全部、独学だった。
彼はバイリンガルで、英語も話すから、頭の中に言語的な分割がきちんとなされていて、そのせいなのか、小さい頃はしゃべらない子で、心配をした時期もあった。
離婚直後、担任に呼び出され、「あの子は学校で一言もしゃべらないのだけど、家ではどうか?」と訊かれた。
家では日本語をしゃべることを義務付けていた(日本人であること、日本語を忘れさせないために)ので、家ではしゃべりますよ、とお伝えした。
その心配をよそに、中学に上がると、仏語が彼の口をついて飛び出すようになり、バイリンガルの壁を突破した。
さちさんという日本語の先生が長年、息子に日本語を指導し、彼にとっては親戚の人のような存在でもあり、その方から日本というものを学んだように思う。
さちさんは生まれた頃から息子の面倒をみ続けた乳母のような存在でもあった。

滞仏日記「18歳の誕生日を迎えた息子へ贈ることば」



高校生になってから、反抗期がはじまり、さちさんは日本に帰り、受験問題が加わってからは、親子のギスギスが増えた。
彼の将来を普通の親として心配した。
息子にしてみれば、がみがみ、必要以上にぼくが意見を言うのが嫌だったのだろう。
そこにコロナ禍が加わり、ぼくらはある日、ついに取っ組み合いの大喧嘩をしてしまう。
今、思うと、思春期、反抗期の子供としては、普通の道だった。
今年になり、その激動期も嘘のように、静かになった。犬を飼うと決まってからは、実にいいムードが辻家に訪れている。三四郎を通して、辻家も新しい時代に突入するのかもしれない。
素晴らしいことが待っているなら、ぼくは嬉しい。
ぼくはもう受験に対して、とやかく言わなくなった。
たぶん、今がもっとも彼にとっては大切な時期で、昨日も夜遅くまで勉強をしていた。
志望校がまもなく決まり、彼はそこを目指す。
第一志望の大学はかなりすごいところだから、無理からもしれない、第十志望の大学には入れるのじゃないか、と思っている。
どこになっても、彼が向かう世界がぼくにはなんとなく見えてきた。
彼はこの18年間の中で音楽や映像のほぼプロ並みの技術を持ったので、パソコンや映像機器を駆使して、仕事ができる分野へと進むような気がする。
一昨年まで語っていた政治とか法律の世界には向かわないようのじゃないか、もっとも、まだその可能性も残っているのだけれど・・・。
ぼくはそれでいいと思う。
彼がこの国でストレスをできる限り持つことなく、働ける場所があるならば、それが一番だ。みんなが進みたい世界なので、狭き門だけど、夏までには出口が見つかることだろう。

滞仏日記「18歳の誕生日を迎えた息子へ贈ることば」



徒然なるままに、書いてきたけれど、朝、ベッドに座って、ぼくはこんな風に、今日までのことをぼんやりと考えていた。息子がリュックを背負って玄関に出てきたので、
「おめでとう」
と声をかけた。
息子が寝室の開いた扉を振り返り、ベッドに座って待っていた父親を見つけ、
「ありがとう」
と最近では一番大きな声で返事をしてから、登校した。
閉まったドアをぼくはじっと見つめた。
小学生いっぱいまで、子供の学校への送り迎えは親の義務だった。
ぼくは息子の手を引いて、学校まで送り届けた。
彼は「いってらっしゃい」というぼくに「うん」と告げると、飛び込むように学校へ走って入って行った。
ずっとだ。そして、彼は一度もぼくを振り返ったことがなかった。
そこにはこの国で生きていくんだ、という強い決意があった。
その子が今日、18歳になった。
彼の決意は今もゆるぎない。

十斗、お誕生日、おめでとう。

自分流×帝京大学

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