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想い出日記「パパがこの子の母親代わりになろうと決意した日」 Posted on 2022/01/13 辻 仁成 作家 パリ

※ ちょうど、一年前に書いた、日記、17歳になったばかりの息子との日々を振り返った文章だけど、明日、18歳、成人になる息子のことを思う自分は何も変わらず一緒であった。
再配信させてもらいたい。そこには、普通に親として生きてきた自分と息子がいる。
ぜひ、ここまでの道のりを、再読してもらいたい。初めての人にはぜひ目を落としてもらいたい。
なぜ、ぼくはごはんを作り続けるのか・・・・。

某月某日、シングルファザーになった時の絶望感はいまだ忘れられない。
あの日から息子は心を閉ざし、感情をあまり見せない子になった。
なんとかしなきゃ、と必死になり、どうやったら昔みたいに笑顔に包まれた日々を戻すことが出来るだろうと考えた。
ある夜、子供部屋を見回りに行ったら、寝ている息子が抱きしめているぬいぐるみのチャチャが濡れていた。
びしょびしょだったのだ。ええ?
びっくりして、息子の目元を触ってみると濡れていた。ぼくの前では絶対に泣かなかった。
その時、本当に申し訳なく思った。自分が母親の役目もしなきゃ、と思ったのもその瞬間だった。

想い出日記「パパがこの子の母親代わりになろうと決意した日」



ぼくも息子もあまり食べなくなっていた。
大きな冷たい家だったので、これはいけないと思い、小さなアパルトマンに引っ越し、びったり寄り添ってあげるようになる。
ぼくの部屋と息子の部屋は薄い壁でつながっていた。がさごそと、いつも寝返りをうつ息子の音を確認しながら、ぼくは眠りに落ちていた・・・。
ぼくは胃潰瘍と診断され、毎日薬を飲んでいた。
体重が50キロを切る勢いで落ちていた。食べなきゃ、と思った。
そのためには美味しいごはんを作らなきゃ、と思った。
毎朝、白ご飯のはいったお弁当を作るようになった。朝弁習慣と名付けた。
昼は給食があったので、夜は自然と笑顔が戻るような料理を拵えるようになる。
そんな日々の料理の中で、息子がよく食べてくれたのが、シンプルなトマトとツナのパスタであった。



おやじのぼくに母親の代わりなど出来るわけもなかったけれど、ぼくに唯一出来ることが料理だった。
でも、料理が得意だったことにも、感謝している。
料理がもしも出来なければ、もっと厳しい生活になっていたと思う。
料理が出来たことで、家の中にぬくもりが戻ってきた。
そして、キッチンという避難場所は救いだった。
食べなきゃ、と自分に言い聞かせることで毎日を維持できるようになった。
落ち込んでいられなかった。ぼくがここで頑張らないと家族が崩壊してしまうと、・・・必死だった。
だから、一日中、キッチンの火を消さなかった。
キッチンの横に小さなテーブルを買い、そこにパソコンを置いて、煮込み料理などをしながら仕事をした。つまり、ぬくもりを消さないよう必死だったのだ。

友人の料理好きから、トマトの中には必要な栄養が詰まっているから、トマトが好きなら、とりあえず、トマトを食べさせてね、と言われた。
藁にも縋る日々だったけれど、トマトに救われた。
息子は、トマトとガーリックのパスタをよく食べるようになった。それで、そこにツナを入れたりいろいろと工夫をこらすようになる。
「美味しい?」
と訊いたら、小さく頷き、
「うん、美味しい」
と返ってきた。
なんでもないやり取りだったけれど、あれは家族再生の最初の一言だったと思う。



「美味しい?」
「うん、美味しい」
毎日、このやりとりの繰り返しだったけれど、ぼくの体重が少しずつ増えていくのと同時に、息子の顔に笑みがちょっとずつ戻ってきた。
もちろん、元通りの家族にはならないけれど、新しい家族のカタチがそこにあった。
食べることは生きることの基本だった。
どんなに忙しくても、ちゃんと料理をすること、そこにそれなりの時間を注ぐこと、それがぼくにとっての再生の第一歩にもなったのである。
まもなく、温もりのある美味しい料理を通して、息子の言葉や声や微笑みが戻ってきた。明るさが戻ってきた。それなりの幸せも戻ってきた。
ぼくは、父であり、母であった。

離婚から2,3年が経ったある日、
「パパも少し、自分のことを考えたら」
と言われたことがあった。
泣きそうになったけど、ぼくは堪えた。今でも忘れられないものがある。
それは小学生だった息子の涙の感触、…。
ぼくはあのトマトのパスタを人生の初心と思うようになった。
今でもトマトとツナのパスタは辻家の定番料理の一つである。ちっともゴージャスじゃないし、めっちゃ豪華でもない。日々の味である。
息子は泣きながら寝ていたことを今でも覚えているだろうか? その見えない心の傷を癒してくれたのがトマトのパスタなのであった。

想い出日記「パパがこの子の母親代わりになろうと決意した日」



当時、ぼくが良く作っていたパスタ料理をご紹介しよう。
まず、ココットにオリーブオイル大さじ1とニンニクを潰し荒めのみじん切りにしたもの、アンチョビ、ケッパーを入れ、アンチョビを崩しながらニンニクの香りが出るまで弱火で火を通す。香りが出たら紫玉ねぎを炒めるのだ。

想い出日記「パパがこの子の母親代わりになろうと決意した日」



玉ねぎが透明になったら白ワインを加えアルコール分を飛ばし、トマト缶を加え、蓋をして10分ほど煮る。油をしっかり切ったツナ缶を加え、15分くらい煮込んだら、最後にサワークリーム(もしくは、生クリーム)をちょっと加え、塩胡椒で味を整えたら完成となる。
ね、全ての基本がここにあるでしょ? ボナペティ。

追記。離婚から9年目に入った。ぼくと息子の信頼関係は変わってないと思う。大学生になる息子の姿を見る時、ぼくの心の中には、母親の気持ちと父親の気持ちの両方が存在していることだろう。日々に感謝である。

材料;トマト缶1、ツナ缶1、アンチョビ2ヒレ、ケッパー10粒程度、紫玉ねぎ1、にんにく1片、白ワイン大さじ2、塩胡椒

想い出日記「パパがこの子の母親代わりになろうと決意した日」



想い出日記「パパがこの子の母親代わりになろうと決意した日」

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