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退屈日記「父ちゃんは倹約家であり、ケチではない。節約家ではない倹約家父ちゃん流」 Posted on 2022/02/28 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、不安な日々だけど、父ちゃんは今日もキッチンで料理をする。
献立を考え、買い物に行き、昼と夜のごはんを作る。(朝は、それぞれ適当に)
今日も、受験生の息子と子犬の生活を守っている。
ぼくは昔から、ちょっと多めに料理をこしらえる癖がある。
というのも、どうせ作るのだから、翌日のサブの料理に回せるものを心掛けている。
ちなみに、昨日の昼と夜はうどん、おいなり、巻きずし、肉団子のクリームパスタを作った。
残ったおいなりや巻きずしなどは、育ち盛りの息子のおやつになる。
おいなりさんは、冷蔵庫に保管しておけば、翌日もそのまた翌日もおいしい。
父ちゃん、ちょっと小腹が空いた時に、ビールとおいなりさん1個をつまむ、とか、よくやる。うまいね~。

退屈日記「父ちゃんは倹約家であり、ケチではない。節約家ではない倹約家父ちゃん流」



おいなりさんは生姜を刻んでいれておくとなんとなくさっぱりして美味しさが長持ちする。
肉団子のクリームソース煮は、煮込みだけあって、翌日の方がさらに美味しい。
白ご飯にかけて食べてもうまい。
ちょっと多めに作って、翌日一工夫してサイドディッシュに回す。
これがぼくの料理術なのである。ちょっとだめ多めよ!!!

退屈日記「父ちゃんは倹約家であり、ケチではない。節約家ではない倹約家父ちゃん流」



たとえば、NHKの「冬ごはん」でぼくが田舎のアパルトマンで作った一キロの肉で作ったハンガリーの煮込み料理グーラッシュ。
あれなどは一キロの肉で必ず作る。
これで3日はサイドディッシュがゴージャスになる。
初日、2日目の昼はそのまま頂き、翌日はグーラッシュの半分をのばしてグーラッシュスープにし、その残り半分はパリに持って帰り、翌日、息子のカレーライスにする。冷凍にしておいても風味は損なわれない。
肉だけをバゲットに挟んでもうまい。
200グラムくらいの煮込みは小さすぎて美味しくなりにくい。
大きな海の方が迫力があるのと一緒で、大きな鍋の方が味が美味しく広がりを持つのである。

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ちなみに、うどんのダシは前の日に作った焼き鳥から出た骨を使ってスープを一晩かけて作っておくのだ。
こうやれば無駄はない。
有頭海老の頭とか鶏肉や豚肉の骨とか残ったワインとか野菜の芯の部分とか、食べ物に捨てるところはないので、そういうものが出る食材をあえて買って、暮らしの知恵を最大限生かす料理を心がけ、食費を浮かしながら、最高の美味しいを手に入れる日々を心がけている。
その極意は息子に長い年月をかけて伝授している。
いずれ、この子も父の真似をして倹約家になるのであろう。
ところで、倹約家と節約家は混同されがちだが、倹約家とは物やお金を無駄遣いしない人のことを言う。 ケチではない。笑。
使うべきところでは出し惜しみしない。 出すべきところと、出さないところの基準を明確に決めているのが倹約家なのである。えへん。
つまり、無駄を省いて上手にお金を使う人、出さなきゃいけない時には誰かのためにドンと惜しみなくお金を使ったりするのだ。あはは。
さて、今日もこれから献立を考える。どんな時代であろうと、悲しいことがあろうと、キッチンに立てば、そこに生きることの意味が広がっている。
ぼくは毎日キッチンでやる気になっているのである。ボナペティ!!!

つづく。

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