JINSEI STORIES

滞仏日記「知らないマダムに、自分が犬ならいやでしょ、と文句を言われた」 Posted on 2022/05/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、三四郎と田舎道を散策していると、後ろからやってきたマダム(40代後半くらいの人)に、
「あの、あなたね、犬の首ひっぱり過ぎですよ。今は首輪じゃなくて、ハーネスというのがあるから、犬の身になって想像してみてくださいね」
といきなり、文句を言われた。※ハーネスの写真はこのあとに掲載しますから、首輪と比較してみてください。
たしかに、そこは坂道で案の定、三四郎はちゃんと歩かず、しかし、狭い道で車も多いから、ぼくはきゅっと引っ張ったかもしれない。でも、そこまで虐待をしている人みたいに言われるほどじゃなかった。その自信はある。
ぼくもハーネスを使っていたことがあるし、その良さもよく知っている。
ところが、ドッグトレーナーのジュリアにある日、「ハーネスじゃない方が、今の三四郎にはいいと思いますよ。首輪の方がちゃんと歩くはず。もうしばらく首輪にしてみてはどうでしょう」と勧められたのだ。
いろいろな意見があるだろうから、ハーネスがダメとはぼくは思ってないし、むしろこのマダムが言うように首を絞めつけなくていいので、以前はハーネスを使っていた。
一方、ジュリアの犬訓練学校は全員、首輪を使用している。
そういう方針なのだろう。
パリの他の訓練学校も調べてみるとだいたい首輪なのである。
また、三四郎のかかりつけの獣医さんのブティックにはハーネスが置かれていない。首輪しか売ってないのだ。
ハーネスと首輪の議論はここではしない。問題の本質ではないからである。

滞仏日記「知らないマダムに、自分が犬ならいやでしょ、と文句を言われた」

滞仏日記「知らないマダムに、自分が犬ならいやでしょ、と文句を言われた」

※ これがハーネスである。胴と前脚を包み込む新しいタイプの首輪である。これだと首は引っ張らないので、安心なのだ。





ところで、その文句を言ったマダムは、
「自分が犬ならいやでしょ」
と言い残して、すたすたと教会に入って行ったのである。
けっこう、きつい言い方だった。差別的な言い方ではないが、きつかった。
ぼくは専門家に言われて、ハーネスから首輪にかえた経緯があるし、三四郎を大事に育てているのに、いきなり、こういう言われ方をされ、不意に背後から殴られたような衝撃を受けたのは事実だった。
快晴下の脳天直撃だったから、あまりに驚いてしまい、反論できなかった次第である。
その人は、困った人ね、という顔をして去って行った・・・。
嫌な気分が残ったが、冷静になると、三四郎の気持ちを確かめたわけじゃない。
ハーネスが彼にとってはいいのかもしれないのも、事実だ。
でも、ジュリアが言うように、今、このタイミングでハーネスだと三四郎はぼくに甘えて、ちゃんと歩かなくなってしまう。それも、ここ最近の傾向から理解出来ている。
自分から歩こうとしなくなるのは明らかなのである。首輪で訓練し、もう少し外を自力で歩いてくれるようになったら、ハーネスに戻そうと、ジュリアたちのアドバイスを受けて、ぼくは思っていたところだった。
「自分が犬ならいやでしょ」
を見ず知らずの他人にいきなり言えるこの人の言い方は、一方で、どうなのだろう。
ただ、その人は三四郎の味方をしてくれたのだ。三四郎が常日頃虐待を受けているかもしれないので、おせっかいをしたに過ぎないのである。きっと家族思いの、正義感の強い、やさしい人なのだ。ちょっと、きつい人というだけで・・・。
しかし、もう少し、静かに話してもいいのじゃないか、と思うし、子育てもそうだけど、各家庭に育て方があるのじゃないか。
それで思い出したのは離婚直後のことだ。
ぼくがシングルファザーになった時に攻撃してきた幾人かの人(ツイッターなどで)とそのマダムの言い方がそっくりな感じだった。
「あなたみたいな人に育てられるお子さんがかわいそうね」
という返信もあった。
ぼくの家庭の事情とか知らないだろうに、とちょっと悲しくなった。それでも、こういう攻撃をされても、子育てをするのはぼくで、がんばるしかないのだ。いやはや、あれに比べれば、このマダムはたいしたことないね。あはは。

滞仏日記「知らないマダムに、自分が犬ならいやでしょ、と文句を言われた」





今日、いきなり文句を言ってきた女性の正義もわからないではない。
犬の身になって考えろ、と言いたい気持ちが芽生えたのだから、しょうがない。
でも、その犬を育てるのも飼い主の役目で、甘やかし続けてもいけない。
ジュリアの訓練校は首輪で調教をしている。彼らは首を絞めないように上手にリードを操って、訓練をしている。
調べると、そういう調教法が昔からあるようだ。
実はジュリアの犬訓練校の評価はだいたい「5」なのだけど、一人評価「1」の人がいて、「首輪を引っ張るのが残酷だ」とコメントされていた。
でも、よく読むとその人は入会したわけじゃなく、ちらっと訓練を見ただけ。印象だけで攻撃しているのである。
訓練の会が終わり、公園を出るまでの間、他の犬たちの親御さんらと話す中で、主宰のボーべさんやジュリアたちへの敬意がものすごく大きいことが伝わって来る。
「回を重ねるごとに彼らの犬への愛が伝わる」と、年配のご夫婦がぼくに訴えたことがあった。ぼくにも伝わっている。
ぼくに文句を言ったような人が評価「1」を付けたのだろうと思った。
でも、こういう評価はいつもいい加減な基準で一人歩きし、その本質を見てない人によって現実が捻じ曲げられていく。「5」も過信してはいけないが、評価は、実際に経験した人にしかわからないことなのだ。

滞仏日記「知らないマダムに、自分が犬ならいやでしょ、と文句を言われた」





ぼくに今日、文句を言った人は、短い時間で、自分の怒りをぼくにぶつけて、自分の正義だけを信じてそこを離れ、ぼくの意見を聞くことはなかった。
そこまで強く意見を言うのであれば、相手の意見にも耳を傾けるべきであろう。
この人の正義だけだと戦争は終わらない、とぼくは思った。
確かに、みんな正しいのかもしれない。それぞれの正義を信じて殺し合いをしている。
でも、一方的に相手を否定して、そこを去るのは間違えている。
なぜ、首輪をつけているのか、なぜ、訓練会に参加して、ハーネスから首輪にかえたのか、獣医さんとも相談をし、獣医さんのところでその首輪を買った。三四郎がちゃんと歩けるようになったら、ハーネスに戻すつもりだった。ぼくは拙いフランス語で説明することが可能だった。
ぽんと持論をぶつけるだけで、世の中の気に食わない部分を悪にしてまうのは、危険な考え方で、ぼくも気を付けないとならない、と思った。
この日記を読んでいる方の中にも、「首輪はよくない」と思っている人もきっといるだろう。当然である。
今日、海で一時間以上、放し飼いにした帰り道のわずか数秒の出来事なのである。そこだけを見て、
「犬の気持ちになりなさい」
は、ちょっとよくない。
ぼくは怒っているわけじゃない。ただ、残念だな、と思う。解釈の違いが殺人も生む。
ということで、この話は、ただの首輪問題ではない。
文句を言い残して去って行った正義感溢れるそのマダムの後ろ姿を眺めながら、ぼくは、この世界には、中身は違っても似たような偏った解釈がごまんとあって、いまだに、人々を苦しめているのじゃないか、と思ったのであった。
ぼくは教会を見上げた。
そして、世界が平和でありますように、と祈った。

つづく。

今日もここまで読んでくださり、ありがとうございます。
ま、仕方ないですね。
強い心でこれからも子犬を大事に育てていきたい、と思います。
はい、それでは、恒例の、父ちゃんのオンライン・文章教室のお知らせを・・・。

5月29日、父ちゃんのエッセイ教室が開催されます。
ブログなどをやっていて、人にエッセイなどを見せないとならないけれど、もうちょっと楽しく上達させたいなぁ、という皆さんに最適、ぜひ、ご参加ください。
ということで、詳しくは、下記の地球カレッジのバナーをクリックくださいませ!!!

地球カレッジ

滞仏日記「知らないマダムに、自分が犬ならいやでしょ、と文句を言われた」





自分流×帝京大学